Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ポプラの果実 1174 規則という定義と、データの真偽の判定

2013.05.13 15:00

ポプラは、雌雄異株(しゆういしゅ)です。

雌株(めかぶ)の、

尾状花序(びじょうかじょ)の花が実(みの)ると、

一本の花軸に、1cm足らずの朔果(さくか)が、幾つも付きます。

 

一つの果実に、1.5mm×3.5mm、厚さ1mmくらいの、

柿の種の形の、白色に近い淡黄色の小さな種子が、

0~10個、純白の綿毛の中に、埋没しています。

綿毛ばかりで、種子の無い果実も、結構あります。

 

種子の中に、わりと濃い黄色の子葉(しよう)が詰まっていました。

 

果実の内側に、種(たね)のくっついている様子を、

孫と一緒でしたら、確認してもらうのですが、

わたしは老眼なので、よく観察できませんでした。

 

細い綿毛は、200本ぐらいを一つに束ねて、

50束ぐらいを、果実の内側に、植毛した感じです。

果実は3つに破れて、それぞれの心皮の中心線に、

15個ぐらいの胎座があります。

 

綿毛の一束の付け根の位置が、種子一個の胎座の周囲ですので、

ポプラの果実は、

ほとんどが、不稔(ふねん)の、しいなのようなものです。

 

綿毛は、1cmぐらいの長さでしたので、

果実が割れると、直径2cmの白い毛鞠のようになります。

 

20cmぐらいの尾状花序に、

30個ぐらいの果実が付いていますから、

綿毛が飛ぶと、辺(あた)り一面が、雪のように真っ白になります。

 

何百mも離れていると、

白い犬の毛を、ブラシで梳(す)いたように、

誤解されるかも知れません。

 

ポプラの綿毛でしたら、弁解して下さい。

5月でなければ、言わないほうが、良いかも知れません。

 

写真は、これから裂開して、真っ白な綿毛を飛ばす果実ですが、

種子を確認するには、今が一番でしょう。

 

改良ポプラや、カロライナポプラや、カロリナポプラなどと、

言われています。

 

改良ポプラには、

ヨーロッパクロポプラのような、細長い箒(ほうき)型の、

ファスティギアータ fastigiata と言われる直立性が、

ほとんどありません。

 

ヨーロッパクロポプラも、

雌株(めかぶ)は、横に広がりやすい傾向が、幾分あるそうですが、

小楢(こなら)や桜(さくら)などと、大差のない樹形に見えれば、

改良ポプラと思って、まず間違いありません。

 

ポプラは成長が速いので、

アメリカ合衆国南部の、湿地の多い原野の、木材用の植林のために、

人為的に選択された雑種ですが、

病気に弱く、実用にならなかったそうです。

 

ヤナギ科は、水辺(みずべ)の樹木です。

大木になります。

 

シベリアや日本にまで、苗木が普及しましたが、

第二次世界大戦後の木材は、

輸入のほうが、安上がりになりましたので、

日本では、街路樹として利用されました。

成長が速くなければ、街路樹は役に立ちません。

 

樹木の通(つう)の人は、

成長の遅い樹種でありながら、大木に育った個体に、

高い価値を見出(みいだ)します。

   

 

 

サイコロを振ると、1の目の出る確率って、1/6でしょう?

6回振って、1の目の出る確率を、尋ねられると、

素直(すなお)な人は、1って、答えます。

 

そうすると、算数の好きな小学六年生は、違う、と言います。

意地悪でしょう?

 

言葉遣いの定義の問題ですから、国語の流行を話していますけれど、

子供は、算数であると、思っています。

大学の入学試験を受ける頃まで、気づかないかも知れません。

 

一生、気づかなけば、

お医者さんと同じくらいに、お目出度いのですけれど、

だいたいは、体の老化が、深刻になると、

否(いや)が応(おう)でも、気づきます。

 

老化すると、みんなと一緒のことが、出来なくなりますから、

孤立して、あほと言われます。

人のことを、あほと言う者が、あほなのにって、

心の中で呟(つぶや)きますから、哀れです。

 

数学って全部、流行語の無駄話なの。

純文学ですけれど、役に立ちます。

言葉を使わないと、コミュニケーションに困るものね。

 

空間や時間が、変(へん)でしたら、

知的障害や統合失調症や認知障害などと、言われるように、

論理も、そうです。

 

コンピュータみたいに、処理速度と記憶容量に、

人それぞれの差があると言えば、聞こえは良いのですが、

流行語や無駄話の、処理速度や記憶容量って、

漫才やお笑いでないのかと、疑いたくなります。

 

サイコロを6回振って、1の目の出る確率って、

6回を1単位として、

1の目の出る単位の、出現する確率のことを、尋ねているのか、

それとも、1回振るたびの、1の目の出現する確率が、

6回振ると、どれほど変わるかを、尋ねているのか、

言葉を定義しなければ、わかりません。

 

じつは、数学の答えが、問題の意味を定義していますから、

性転換医療と同じように、完全に自作自演です。

 

人間の判断って、自作自演しかないのでないかと、

プラトンという人は、疑いました。

 

数学のできない奴は、この門をくぐるなと、

アカデメイアという学校に、書いてあったそうですけれど、

プラトンが作りました。

 

6回振ったら、2回も3回も、1の目の出ることもあります。

それでも、6回を1単位とするのでしたら、

1回としか、数えられません。

サイコロを6回振って、

6回1単位の、1の目の出る単位の出現する確率って、

1よりも低くなるのは、当然です。

 

この建物には、この鉄骨が正当であるって、

文書に数式を印刷して、お役所に提出するのと、

芸者さんやヨットのお遊びを、お役所に教えてあげるのとが、

だいたい、ワンセットの1単位になっております。

 

数学が自作自演の、定義の体系であることよりも、

目で見て、手で触って、耳で聞く事実の認識が、

自作自演の定義の体系であることのほうが、大切なの。

 

定義って、言語や行動もそうですけれど、

体の部分と部分や、自分と他人や、自分と物体などの間の、

コミュニケーションの規格を、定義することなの。

 

相手のない定義が、あり得ないのは、

自分一人だけにしか通じない言葉が、役に立たないのと同じです。

 

目で見たり、手で触ったり、耳で聞いたりする認識って、

言語や行動のような約束事ですけれど、

その規格や、規格された具体的なデータなどを、事実と言います。

規格が、みんなの標準に適合していましたら、

データは、嘘のつき放題です。

 

自作自演ですから、データの真偽って、

規格に適合しているか否かが、判断されるだけです。

お役所に提出する文書も、そうでしょう?

プラトンは、そのことを言いました。

アカデメイアの数学です。

 

実存主義の人たちは、

一回きりの、自分だけの出来事というデータを、大切にしました。

人に通じないことを大切にすると、

ストレスが溜まるような気がしますけれど…

世界の矛盾を、自分一人で背負い込むことになります。

 

昔なつかしいキャバレーって、お役所の人も、結構、遊んでいます。

性転換をした芸者さんが、連れて行ってあげるそうですけれど、

だれの依頼であるかは、教えてくれません。

キャバレーのあとは、だれと一緒なのかしら。

 

言葉は、使用そのものが、定義ですから、全部、自作自演です。

後出(あとだ)しジャンケンみたいに、狡(ずる)いと思いません?

 

GID(性同一性障害)の人の、心の性別って、

後出しジャンケンのくせに、負けてるじゃんかと、

言われそうですが、精神の病気って、みんな、そうです。

嘘のつき放題なのに、儲(もう)かりません。

 

統合失調症の、妄想や幻覚なども、そうですけれど、

整合性のある論理なんか、どこにもないのに、

精神科の診断基準に、抜け抜けと支離滅裂って、書かれています。

 

そんなもん、この世の中に、支離滅裂でない論理があったら、

教えてもらいたいくらいです。

定義をしても、支離滅裂になるのですから、何をか言わんやです。

 

数学や論理学って、それなのに、

ちゃんとコンピュータが作動して、

みんなの役に立っていると、言います。

 

支離滅裂でない証拠だそうです。

支離滅裂に作動していても、ちゃんと役に立つのに…

人間や世界が、そうでしょう?

 

夢って、1回きりの出来事や、自分1人だけの出来事が、

いっぱい出て来ます。

みんなと共通の規格に準じていないのは、明らかです。

 

目が醒めると、慌てて書き留めないと、

夢の中身って、すぐに忘れます。

たいていは、目が覚めた時に、

すでに、ほとんどを忘れているのですが、

夢を見てるのと、目覚めているのとの違いって、それなの。

 

みんなの規格を、どれだけ採用するか、どれとどれを採用するか、

1回きりの出来事や、自分1人だけの出来事を、

どれだけ大切にするかを、変更すると、

夢と覚醒を、自由に、往(い)き来(き)できるだけでなく、

お料理のメニューを、選んだり作ったりできるように、

かなり自由に、

夢や覚醒の中身を、計画的に演出して、実演することができます。

 

1回きりの出来事や、自分1人だけの出来事を、

コンピュータでは、データと言います。

コンピュータは、入力されたデータを、

ハードウェアやソフトウェアの規格に従って、

篩(ふる)い分けたり、消去したりすることしか、できません。

 

特定の規格という定義に合致したものを、

真や偽と名付けることは、できます。

 

人間も同じなの。

特定の定義に従い、データを篩い分けて、

レッテルを貼ったり、消去したりすることはできますが、

ようするに、分類しているだけです。

 

真偽って、規格という定義によって、分類するだけですから、

提出されたデータを、

お役所は、規格に合致しているか否かを、判断することしか、

出来ません。

 

データの中身が、規則に適合していれば、嘘のつき放題です。

そんなの、当たり前ですけれど、人間の認識も、同じことなの。

みんなの規則や、誰かの規則という定義にないものを、

誰が、どのように判断できるのかしら。

 

1回きりの、1人だけの出来事を、大切する生き方って、

データという嘘のつき放題を、

心のポケットに入れて、いつも持ち歩いています。

 

夢と覚醒を、自由に往(い)き来(き)する人たちは、

そんなの、当たり前であると、言いますけれど、

GID(性同一性障害)や統合失調症などの、

精神の病気と言われる人たちに、よく似ています。

 

データの真偽を識別する能力は、人間にありません。

コンピュータと同じです。

自分や他人などの、

みんなの作った有象無象(うぞうむぞう)の定義に従い、

データを篩い分けることしか、できません。

 

性転換医療みたいに、患者さんの体を壊しても、

患者さんやお医者さんは、役に立っていると言います。

そのデータの真偽は、

誰かの作った定義に従い、判断されるしかありません。

定義に合致していれば、嘘のつき放題です。

 

お役所に提出するデータと同じです。

わざわざ、「みんなの規格に合っています」と、

証拠の計算式を印刷して、嘘八百のデータを提出します。

 

ナチスが、過半数のドイツ国民の支持を得たのも、

間違いありません。

 

なーんだ、文書の規格に合っているかを、

調べているだけでないかと、誰でも思います。

嘘の数字を、正しく計算すれば良いのです。

 

お役所仕事って、そうに決まっていますから、

業者は、嘘のつき放題ですけれど、

お医者さんだけでなく、わたしたちの認識の仕組みも、同じなの。

お役所に書類を提出するように、物事を認識します。

 

コンピュータと同じように、

情報処理や認識って、敵味方識別装置のようなものです。

生物では、免疫と言います。

 

ドイツ人が、イケイケムードになった理由は、

中学校の歴史の教科書に、書いてありました。

欧米の人が、性転換を、良いことと思うのも、

同性愛差別のひどかった現実がありますから、よくわかります。

 

ロシアなんか、今でも、同性愛をカミングアウトしただけで、

みんなに殴り殺されますから、凄(すご)い差別ですけれど、

わたしの若い頃には、

アメリカ合衆国や西ヨーロッパでも、そうでした。

 

同性愛をカミングアウトすると、

その人の友達が、みんな、同性愛者として差別されますから、

いつもの親しい友だちばかりに取り囲まれて、

小突(こづ)き回されて、殴り殺される羽目(はめ)になります。

 

日本は、そんなこと、なかったもんね。

火を見るよりも明らかなぐらいに、

ちゃんと見て来て、知っているのに、

同性愛やGID(性同一性障害)をカミングアウトする人たちって、

日本は、世界一、同性愛差別のひどい国で、

世界一、遅れていると言い、絶対に譲りません。

 

世界で唯一、同性愛を差別する文化のなかった日本の人が、

どうして、性転換をするのかしら。

世界で唯一、原爆を落とされた国だから?

 

イギリス人が加工貿易で儲けたやり方を、

日本人は真似(まね)をしました。

普通は、自分たちを侵略した敵の真似をするって、できません。

敵とグルのように思われると、味方に殺されますから、

意地でも、敵の真似をしません。

免疫と同じです。

 

日本人は、簡単に鉄砲や黒船の真似をしましたけれど、

原爆の真似をしませんでした。

 

精神の病気の人って、いつもと違う事が起こると、

即座に上手(うま)く適応できずに、

馬脚(ばきゃく)を露(あらわ)すことが、よくあります。

 

いつもの共通点を、

健常な人とは、違うように理解していましたけれど、

自分では、違いに気づきません。

 

いつもと違うことが起こると、

健常な人と、著しく反応が異なりますので、

いつもの纏(まと)め方が、みんなと違っていたと、

周囲の人に気づかれます。

 

虐(いじ)められる子って、たいてい、そうですけれど、

心の性別のために、体を壊すのが、それなの。

性別を、心という纏め方で理解しますけれど、

体が大切である、という纏め方をしません。

 

もっと厄介なのは、心の性別っていう纏め方は、

GID(性同一性障害)の患者さんたちが言い出したのでなく、

性転換医療を行なうお医者さんが、言い出して、

精神の病気の人たちの、袖(そで)を引いたことなの。

精神障害者を、優生医療に誘導するための、催眠術でした。

  

お医者さんが、考え出したの。

有罪になりたくないから。

 

自閉症の子供を見ていると、

意地でも嫌(いや)な奴の言うことを聞かないかのように見えます。

こいつと一緒に扱われるのは、絶対にお断りって、

言いたいがために、

わざと精神症状と言われる突飛(とっぴ)なことを、

やってのけるかのようにも見えます。

 

神戸の酒鬼薔薇(さかきばら)君みたいに、

生き馬の目を抜かなければ行けません。

お医者さんが、精神障害の子を、性転換に誘導するために、

心の性別っていう謳(うた)い文句を作りました。

砂糖水を置いて、蛍(ほたる)を誘うようなものです。

 

蛍を捕まえて、光らせて、楽しんでも、すぐに死ぬのに…

お医者さんは、無体(むたい)なことをします。

自分が、牢屋に入りたくないためですけれど、

類は友を呼ぶような共食い医療って、

こうならざるを得ないのかも知れません。

 

わたしの前任の医師は、ゴキブリにコップを被(かぶ)せて、

逃がしてあげていました。

寄生虫が一杯いますから、あまり食べないほうが良いと、思います。

 

宮崎勤って人に、性転換が有効なわけがないのに、と言うと、

怒られるから言いません。

あの人は、知的障害者に育てられた身体障害者でしたけれど、

性転換医療を行なう医師に治療された精神障害者に、似ていました。