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西洋スモモ 1215 みんなと一緒のことができない

2013.06.23 15:00

西洋李(せいようすもも)は、一般に、プルーンと言われています。

 

バラ科サクラ属は、Prunus ですが、

日本語では、

セイヨウスモモ Prunus domestica という種(しゅ)だけを、

カタカナで、プルーンと言うようです。

 

アーモンドに似ていますけれど、

果実に毛がなく、葉の幅が広いので、区別がつきます。

 

アーモンドや桃や李(すもも)のように、

幹や枝から、脂(やに)が出ますので、

衣服に触(ふ)れないように、気をつけます。

 

        ***          ***

 

 

心の性別なるものがある、と言い、

体の性別と異なるので、体の生殖機能を壊したい、と望むのは、

頭がイカレているのに、決まっています。

 

他人は、心と体の性別が、同じでも、

自分は違う、と言いますから、精神の病気なのに…

 

この人たちのことを、GID(性同一性障害)と名付けて、

精神の病気の、よくあるワンセットの症状としたのは、

歓楽街にたむろする精神障害者たちに、

心の性別を教え込んだお医者さんです。

 

こう言え、こうしろと、教育してから、

こういう新しい病気がありますって、学術論文を発表するのは、

精神科医の得意技ですけれど、

性転換医療を作ったのは、散髪屋さんでした。

 

患者さんの望む通りに、体の生殖機能を壊してあげて、

こういう治療法がありますって、発表するのは、

自作自演もいいとこですけれど、

箸にも棒にも掛からない論文を書くお医者さんって、

頭のイカレている人が多いから、どうしよう?

 

だって、学術論文の99%は、箸にも棒にも掛からないんだもん。

 

オウムのお医者さんと患者さんの関係も、そうでした。

自作自演や自業自得と言うよりも、共食いに見えました。

 

欧米の人たちが、同性愛差別を撤廃しなければいけない、

と言いながら、性転換と同性愛を、くっつけるのは、

心の中の同性愛差別を、排除できないでいる証拠なの。

 

同性愛差別に、未練があります。

性転換は、同性愛差別に決まっているのに…

 

差別のない日本の人たちが、

欧米の性転換の真似(まね)をするのは、

あほもいいとこですけれど、

日本の精神の病気の人たちと、

性転換医療を行なうお医者さんたちが、真似(まね)をしました。

 

     お医者さんって、あほなんです。

     みんなと一緒のことができないから、

     学校のお勉強ばっかりして、引きこもり、

     一番の成績になり、お医者さんにさせられました。

     

     精神の病気です。

     言語を習得できずに、コミュニケーションができないのと、

     よく似ています。

 

     発声言語や、文字による言語だけでなく、

     動作や行動も、意味を表していますから、

     言語と同じです。

 

     目で見て、手で触って、耳で聞いて、事実を知るのも、

     言語を理解することですけれど、

     動作を実行するのは、言語を使用することです。

 

     コミュニケーションをして、

     くっついて、増殖をするのは、

     孤立すれば、死ぬからに、決まっていますけれど、

     生物は、不良品を積極的に壊して、材料を再利用します。

     

     医療って、

     治すのも殺すのも、似たようなものなんですけれど…

 

     眠っている時と、目覚めている時とでは、

     脳味噌の機能が、自動的に切り替わりますけれど、

     習慣なの。

 

     精神的ストレスがあり、苦痛を感じていると、

     うまく切り替わりません。

     眠れないとか、目覚めていながら、夢を見るとかね。

 

     ほとんどのお医者さんは、心があさってですから、

     知的障害と、あまり区別がつきません。

     面倒を看てあげるのは大変だと、看護師さんは言います。

 

     政治家に似ていますけれど、

     そろばんの先生が、暗算をしている時も、そうです。

     

     知能検査をすればわかりますけれど、

     目覚めてから、1時間くらいは、知的障害です。

     わたしは、歯が痛いだけでも、一日中、知的障害です。

    

     そのほうが、良いことを思いつきます。

     ストレスに苦しむほうが、賢くなりますから、

     あさってのまま、

     お肉のように飼育されているお医者さんが

     あほになるのは、当然です。

 

     統合失調症やGID(性同一性障害)だけでなく、

     精神の病気って、たいてい、

     発達障害から枝分かれして行きます。

     生まれつきに、みんなと一緒のことが、できません。

 

     みんなと一緒のことをしない程度があり、

     リンパ球でしたら、

     骨髄で作られて、胸腺に入ったT細胞の前駆細胞は、

     5%ぐらいの個数が、ちゃんとしたT細胞になリます。

     残りは、検査落ちの不良品なので、壊されます。

     

     お医者さんって、

     学校や国家試験の問題を解かせるには、使えますので、

     そればっかりをやらせて、生かしています。

 

     お給料が高いので、お札(さつ)を印刷します。

     お金があれば、好きな物を買えますけれど、

     別に買いたくありません。

     好きなことなんか、したくありません。

     

     実行って、コミュニケーションをして、くっついて、

     増殖をするためですけれど、

     お医者さんって、あほですから、

     気持よくなりたくありません。

 

     苦しければ苦しいほど、努力するのが、好きですから、

     GID(性同一性障害)の自傷に似ています。

 

     日本人は、殺し合いに負けましたから、

     即座に射殺されるのが、当たり前でしたけれど、

     もったいないから、奴隷にされて、こき使われています。

     このごろは、働きませんから、どうしよう。

 

     お医者さんや、精神の病気の人たちも、それなの。

     いわゆる負け組ですから、

     みんなと一緒のことが、できません。

 

     ストレスに苦しむのと、

     コミュニケーションができなくなるのとは、同じです。

     満州から、ソ連に連れ去られたのは、日本兵だけでなく、

     民間の日本人も、シベリアに移住しました。

 

     死ぬまで、ロシア語を習得できなかった人や、

     日本語を忘れてしまった人などが、たくさんいました。

 

     自由に、外国に移住するのと違い、いきなり強制的に、

     気持ちの通じない社会に放り込まれましたから、

     たくさんの人が、

     コミュニケーションの手段を、失ないました。

 

     言葉を喋れないだけでなく、

     妄想や幻覚が出て、支離滅裂になります。

     

     ある人は、ロシア語を習得して、

     しかも、日本語を忘れないのに、

     大部分の人は、ロシア語を習得できないか、

     さもなければ、日本語を忘れてしまいました。

 

     不具合の出る人のほうが、圧倒的多数派ですけれど、

     言葉の異常が出るのと、妄想や幻覚や支離滅裂などの、

     統合失調症の症状の出るのとが、ほぼ一致します。

     認識や行為も、言語のようなものですから、

     当たり前です。

 

     統合失調症って、

     生まれつきの知的障害と、同じ血統に多発しますけれど、

     フェリーニ監督の、道っていう映画の中の、

     ジェルソミーナとザンパノみたいに、一緒になります。

 

     現在のイタリアには、

     日本風の精神病院ってのが、ありません。

     廃止されましたけれど、

     これといった不都合も、起こっていません。

     死刑のない国も、たくさんありますけれど、

     別に、治安が悪くならなかったのと、同じです。

 

     ストレスが掛ると、

     言語の使い分けができなくなるように、

     妄想や幻覚が出て来て、支離滅裂になりますけれど、

     生まれつきの人と、よく似た血筋です。

 

     言語って、ロシア語や日本語などのほかに、

     事実の認識や、事実の実行にも、無数の種類があります。

     認識や実行の、言語が異なれば、

     睡眠と覚醒ぐらいの、違いが出て来ますから、

     気違いと健常ぐらいの、差になります。

     夢の中の事実って、何という言語なのかしら。

  

     普通は、自分一人だけにしか通じなければ、

     言葉と言われません。

     夢の中では、確かに間違いないと、思っていますけれど…

 

     通貨って、使用に制限がないほど、よく流通します。

     事実もそうなの。

     世界は、値段の書かれた正札が、

     いっぱい陳列されたショーウィンドウのように、

     事実と言われる価値が、見せびらかされています。

 

     事実は、パチンコ玉のように、流れているだけです。

     あの玉って、お金の代わりですけれど、

     飴玉(あめだま)みたいなものかしら。

 

     コンピュータのデータも同じようなものでして、

     仕分けされるデータには、何の意味もありません。

     データが仕分けされることによって、

     分類の仕方がわかります。

 

     パチンコの分類の仕方と言うか、

     勝ち負けの帰趨(きすう)は、

     パチンコ台というハードウェアだけでなく、

     ソフトウェアにも拠るのでしょう?

 

     事実なんか、どうでも良いと、裁判官は言います。

     どうせ、みんな嘘をつきますから。

     憲法や裁判官の、筋書きに一致しなければ、

     信用できない、と言われて、死刑になります。

 

     事実であるかどうかの基準は、

     筋書きに一致するかどうかです。

 

     筋書きに一致していれば、

     嘘を証明する方法なんか、ありませんから、

     嘘のつき放題です。

 

     コミュニケーションは、通じれば良いのですから、

     当たり前です。

     通じるって、くっつくことです。

     筋書きって、くっつきかたです。

 

     みんなと一緒かどうかが、大切なの。

     嘘や本当や真偽などの価値は、

     定義によって、決まります。

     コンピュータは、

     ハードウェアやソフトウェアのプログラムによって、

     真偽が定義されます。

     

     定義って、くっつき方を決めます。

     くっつければ、通じますから、

     コミュニケーションは、スケベです。

 

     事実の認識や実行は、脳のハードウェアや、

     文化と言われるソフトウェアの通りに、

     くっついたり、くっつけたりします。

     脳の中で分類したり、

     脳の外の世界を整理整頓したりするのは、

     コミュニケーションのためなの。

 

     分類整理をするって、

     くっつけたり離したりすることですけれど、

     算盤(そろばん)の玉を動かすのと同じですから、

     計算は、離合集散です。

 

     脳の中と外の、離合集散を一致させるって、

     翻訳と言われますけれど、

     事実と言われるデータよりも、

     筋書きのほうが大切ですから、

     データを翻訳するのでなく、関係を翻訳します。

 

     脳の中の、これこれの関係と、

     脳の外の、これこれの関係とは、同じである、

     と翻訳します。

     文化と言われるプログラムに定義されている通りに、

     翻訳します。

 

     データを、個人と呼んで尊重するのは、あほであると、

     コンピュータは言います。

     データの流れや筋書きが、大切です。

 

     裁判官も、

     個人や事実などは、データにすぎない、と言います。

     憲法は、個人を大切をしろって、言っていますけれど、

     フランス革命や、アメリカ合衆国の独立革命の人たちは、

     コンピュータやパチンコや算盤(そろばん)を、

     知りませんでした。

     

     憲法がどうあれ、

     翻訳を変えれば、なんとでも解釈できるって、

     イスラムの法律家は言います。

     コーランは、7世紀のものですけれど、

     いまだに憲法として使用中ですから、

     日本国憲法の中身なんか、どうでも良いのですけれど…

 

     法治主義って、宗教のお題目を、

     都合の良いように解釈するのと同じですから、

     実用的な法律を作るのも、

     実用的な物事(ものごと)や事実や器物を作るのも、

     確かに役に立ち、便利であると、解釈するのは、

     ただの躾(しつけ)や仕込みや習慣などにすぎません。