Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

センダンの実 1278 オナニーや、自分という気持ち

2013.08.25 15:00

栴檀(せんだん)は、どこにでもある落葉樹ですが、

インドからこっちの、暑い所が原産ですので、

北海道や高い山にはありません。

 

初夏の紫色の花は、綺麗ですが、これと言って実用にならないのに、

どうして、たくさん見かけるのかは、よく知りません。

 

なんとなく好きな木です。

花の色と、葉の形や枝振りのせいかも知れません。

 

        ***          ***

 

体を弄(いじ)くらなくても、

戸籍の性別を、何度でも自由に変更できるようにするのが良いと、

わたしが言えば、

事務的に性別を変更してから、

性腺の摘出や性器の美容手術をするって、教えてくれる人も、

一杯います。

 

どうしても、これこれの体の見てくれでなければ、いけません。

男ならこれこれの見てくれ、女ならこれこれ、という関係を、

どうしても変更できないそうです。

 

男ならズボン、女ならスカート、というのを、変更できない人も、

たくさんいます。

 

細かく分類して、

これとこれの組み合わせなら、なんという症状、

別のこれこれの組み合わせなら、別の名前のレッテルを貼り、

無数の組み合わせを、ゴミの分別みたいに、仕分けするって、

なんとなく、あほ臭くなりません?

 

焼却炉の温度が低いと、ダイオキシンが出ますので、

ごちゃ混ぜにして、高い温度で燃やしたほうが、実用的なのに…

 

わざわざ分別収集をして、

焼却温度の上がらない生ゴミに、石油を振り掛けて燃やすのは、

資源やお金の無駄遣いです。

 

無数の組み合わせを分類しても、切りがありませんから、

分類しないほうが、合理的かしら。

 

生物学的な体の分類によって、男と女だけで行く、

というやり方です。

性別の文化を、一々分類しません。

そんなもん、流行によって変わりますから、

国家は、女子供(おんなこども)の文化に、付き合ってられません。

 

それなら、性分化疾患は、どうするの?

男と女の、体の中間があるではないか。

脳にも、性別があるではないか。

文化と違うぞ。

 

体の男と女だけでは、間(ま)に合いませんから、

その他も、必要となれば、

その他を、一つに括(くく)るよりも、幾つかに分けたほうが、

親切と言うものです。

 

きめの細かい行政でなければいけません、と言われると、

東大出の国会議員も、意味がわからなくなります。

 

頭が悪いから…

そんなの、当たり前なのに、と言うと、怒られます。

東大出の人や、お医者さんなどは、とても賢いそうです。

 

文学者のゲーテは、4才の頃に、初めてフランス語を聞いただけで、

ペラペラに喋れるようになりました。

ゲーテは天才ですから、当然です。

 

東大出の人や、お医者さんなどは、

学歴の低い貧乏人と話しただけで、精神障害とわかります。

話をすれば、こいつは賢い、こいつはあほである、

こいつは精神障害であると、一発でわかります。

 

わたしは、たくさんの言葉使いに触れなければ、

言語を習得できません。

時間と量が必要ですから、精神の病気も、そうなの。

無尽蔵の時間やコミュニケーションがあっても、なかなかです。

 

東大出の人や、お医者さんなどは、ゲーテみたいに偉いのかしら。

 

日本は、野口英世でしょう?

イギリスはニュートン、アメリカはアインシュタイン。

フランスは、デカルトやパスカル。

 

天才を崇(あが)めなければ、国威にかかわります。

わたしの子供時代は、

シュバイツァーってのが、ノーベル賞を受賞しましたから、

困りました。

 

彼を頌(たた)える言葉を、

学芸会の舞台で、発表しなければいけません。

知らん奴を、褒め讃(たた)えるって、できないのに…

 

精神科医の診断や治療は、知らん人間を診断して治療します。

そんな、あほな…

毎日、世界中でやっていますから、間違いありません。

知らん奴に、投票するようなものですから、簡単です。

 

これが社会であるって、精神障害の人たちは、知りません。

昔は、ロボトミーでやっつけられましたけれど、

今は、性転換で処分されます。

 

赤ちゃんでもなければ、眠っているわけでもないのに、

みんなと同じことができなければ、障害や病気に決まっています。

 

できるけれど、しない人は、どうするのかしら。

GID(性同一性障害)の人たちは、

できるけれど、しないのかも知れません。

本人は、苦しくて出来ない、と言いますけれど。

 

できるくせに、しない人は、治り易(やす)いのですけれど、

ほんとうに出来ない人もいます。

 

鉄砲を突きつけて、みんなの前で、できない奴を撃ち殺せば、

ほんとうに出来ない奴と、出来るくせにしない奴を、区別できます。

 

鉄砲は物騒なので、ホルモンや手術を使い、生殖機能を狙います。

 

     GID(性同一性障害)って、なんらかの事情によって、

     みんなの文化に合わせる能力が、低いのですけれど、

     ご本人たちは、性別のせいであると、主張します。

 

     体と心の性別の、一致しないのが、

     諸悪の根源であるそうです。

 

     それでしたら、体の性別は、いわゆる性転換をしても、

     変更できませんから、

     生涯、みんなに合わせられない障害者として、

     生きて行かなければ、仕方ありません。

 

     性転換をすれば、上手(うま)く行く、

     と言うGIDの人の思惑(おもわく)と、違います。

 

     性転換と言っても、生殖機能を破壊して、

     性器や顔や体の、エステティックな見てくれを、

     変形するだけです。

 

     望みの性別の生殖機能を作りませんから、

     わざと体をぶちこわして、身体障害者になるだけなの。

     死ぬまで、体と心の性別は一致しないって、

     最初から、わかっています。

 

     実際に、性転換をした嬉しさは、

     せいぜい、10年間ぐらいしか、保(も)ちません。

 

     あとは、元の木阿弥(もくあみ)になるどころか、

     体を壊したツケが回って来ますので、

     かえって、身も心も不調になります。 

 

     性別を超えた生き方を、習得した人だけが、

     切り抜けることができます。

     そうでなければ、

     死ぬまで、心と体の性別の不一致のせいで、

     心が苦しいって、訴え続けなければいけません。

 

     精神的に、だんだんと良くなって行かない患者さんって、

     心と体の性別の不一致を、

     死ぬまで訴えることができません。

 

     性転換をしたのに、再び苦しくなる人は、

     もはや、性転換の屁理屈を、強弁しません。

     何かが、思惑(おもわく)違いでしたけれど、

     御本人には、わかりません。

 

     だんだんと精神障害が悪化して行く理由って、

     だれも、はっきりと言えませんけれど、

     気持ちを変更できずに、みんなから孤立して行きます。

 

     性別のことって、快楽を得る手段みたいなの。

     麻薬やお酒や抗不安薬のように、

     気持ち良くなりますから、

     さまざまな事情による心の苦しさを、

     紛らわせてくれますけれど、

     快楽って、癖になり易(やす)く、

     やめられなくなります。

 

     いい気持ちは、あほになりますから、

     一時的に、隔離された状況でしたら、

     安全に、ストレス解消の、役に立ちますけれど、

     長期間や、みんなの前であほになるのは、

     お勧めしません。

 

     お医者さんになるのも、気持ちが良いように、

     あほにならなければ、いい気持ちでないでしょう?

     わたしでしたら、

     費用の高い医学部は、気持ちが悪いけれど…

 

     あほって、一時的に、心のけじめをつけなければ、

     癖(くせ)になります。

     急に変更できません。

     人間って、今さっきの自分を、豹変させて、

     その都度、違う自分になるなんて、信用がありません。

     支離滅裂と言われて、精神障害の扱いになります。

 

     いつもの自分を継続しなければ、

     責任能力を認めてもらえませんから、

     あほになって、気持ち良くなると、

     責任上、ずーっと、あほにならなければ、

     やって行けません。

     自分から、変更不能になリます。

 

     だから、ちゃんと短く、期限を区切り、

     非公開のあほになるのが、安全なの。

     善良な市民の性交渉って、そうでしょう?

     自分から、変更不能な心になるのは、賢くありません。

  

みんなに合わせるって、誰でも、しんどいものです。

言葉を習得するのも、みんなに合わせることですけれど、

赤ちゃんの新品の脳味噌は、性能が良く、苦になりませんでした。

 

だんだんと、中古になると、

みんなに合わせるって、あほにならなければ、

しんどくて、やってられません。

 

人間は、お母さんのお腹(なか)にいる時から、

すでに、化学物質や神経の、くっつき方やつながり方が、

変更不能になっています。

 

何も知らない胎児にも、生まれつきの価値観があるようなものなの。

みんなの文化に近ければ、みんなに合わせるのも、楽賃ですけれど、

遠ければ、みんなに合わせるだけでも、くたくたです。

出勤のために、1時間半も、電車に揺られると、

職場に着いた時は、もう、よぼよぼの年寄りでしょう?

 

そんなもん、お腹の中の赤ちゃんが、

世の中の流行文化を知っているわけがありません。

生まれて来てから、周りを見れば、みんな白人ばかりです。

自分だけ黒人で、生まれながらにして奴隷なんて、くそったれです。

 

皮膚の色や、顔かたちなどの、エステティックだけでなく、

脳の中の、化学物質や神経の、くっつき方やつながり方も、

みんなの文化に、近いか遠いかって、

生まれた赤ちゃんの責任でありません。

 

その上に、生れてからの境遇も、

生まれる前に、変更不能になった事情と、似たような意味です。

貧乏人の子供に生れただけなのに、みんなと一緒のことが出来ずに、

癖になります。

 

みんなに合わせることの、しんどい人が、性転換を望みます。

異性になったような気持ちって、誰にとっても、性的快感ですから、

当たり前です。

 

みんなと一緒の気持ち良さを習得できたのですから、

言葉を喋るのと同じで、脳味噌の性能は、悪くありません。

 

それでも、みんなに合わせるのが、しんどいのは、

遠回りをしなければ、

みんなと一緒の判断にならない脳の仕組みになっているからです。

 

遠回りをすれば、たくさんの判断を、関係付けられるので、

大器晩成型なのに…

慌てれば慌てるほど、あほと言われて、損をします。

 

性転換を望む理由がわかれば、

ホルモンや手術をしてはいけないと、わかります。

戸籍の性別の事務だけで、十分に快感が得られます。

 

     こんなものは、オナニーと同じです、と言うと、

     GID(性同一性障害)の人たちは、怒ります。

     オナニーの快感と、違うそうです。

 

     だから、病気なのに…

     オナニーの習得が、遅い。

     何処(どこ)をほっつき歩いて、

     道草をしているのかしら。

 

     石ころと言われれば、石ころを想像して、

     気持ちよくなって下さい。

     何を想像しても気持ち良くなれます。

     最初は、指を使って、擦っても結構ですけれど、

     慣れて来れば、指を使う必要はありません。

 

     好きな人を想像しようが、

     好きな人に愛されている自分を想像しようが、

     どちらでも、気持ち良くなれるはずです。

 

     GIDの人は、

     異性になったような気持ちが、快いのですから、

     自分と相手を、簡単に入れ替えることができるはずです。

 

     嫌(きら)いなやつを想像しても、

     好きな人と同じように、快感が得られます。

     異性になった自分を想像するのと、

     同性に、完全に適応している自分を想像するのとは、

     同じ快感であると、わかります。

 

     主体と客体を、簡単に交換できるから、

     意識と言われます。

     主体と客体が、入れ替え不能なら、

     自分という気持ちや意識を、使う意味がありません。

     

     同性愛は、性指向であり、

     GID(性同一性障害)は、性自認であるから、

     二つは違う、と思う気持ちは、精神障害の症状なの。

 

     違うとすることも出来るし、同じとすることも出来ます。

     何を共通点にするか、という価値を変更すれば、

     簡単に、分類の仕方が変わります。

 

     いくらでも変更して、いちばん便利なように、

     マニュアル操作で分類できる機能が、意識なの。

     自動機械のような無意識の体の機能と、違います。

 

     無意識の自動機械の仕組みと、

     他人や文化の示す価値との間を、穴埋めするように、

     意識は、分類の仕方を、翻訳します。

 

     あまりに落差が大きいと、しんどい翻訳になるので、

     社会や他人の、文化的な価値が、

     自分と相容れない異物のように、感じられます。

     みんなと一緒に合わせられません。

 

     主体と客体ってやつです。

     自分と、そうでないやつに、どうしても分かれて、

     穴埋めや翻訳ができない時に、意識を自覚します。

      

     自分って気持ちは、

     実行をするために、あるようなものなの。

 

     実行をして、事実を変更すれば、落差がなくなり、

     主体と客体が一致しますので、

     自動機械のように、いつもの習慣で行けます。

 

     他人や社会を、そう簡単に変更できませんけれど、

     オナニーが上手(うま)く行けば、簡単でしょう?

     実行をシミュレートするように、

     オナニーをして、彼我(ひが)の一致を見るのと、

     実行をしないで、

     オナニーだけで、済ませることができるのを知るのとは、

     同じ作業でしょう?

 

     自分っていう気持ちや、意識の成り立ちの、

     わかりやすいコンピュータみたいに、

     オナニーに習熟して下さい。

 

     ルービックキューブで遊ぶ感じや、

     このブログを書く感じと言えば、

     怒られるかも知れません。

 

     オナニーって言うと、

     GID(性同一性障害)や、同性愛や異性装の人は、

     物凄く怒ります。

     オナニーって、手も使わずにできますから、

     コンピュータやルービックキューブよりも、面白いのに…

 

     言葉や法律や科学技術などの文化だけでなく、

     事実や感情や論理法則なども、文化ですから、

     オナニーが、無意識の自動機械のような仕組みと、

     文化的な価値との、架け橋になっているのがわかれば、

     自分という気持ちが、あほみたいに見えて来ます。

 

     お釈迦さんやイエスキリストも、

     そうかも知れませんけれど、

     昔のことですから、わたしには、よくわかりません。

 

     このブログは、

     エステティックと物理化学と宗教などの、古い考え方に、

     あまり好意的でないので、みんなに怒られます。

 

     世の中を変えたほうが良いと思えば、

     昔ながらのやり方の、変(へん)なところが、

     すごく気になるので、すみません。

 

     変更不能になった脳味噌の癖(くせ)と、

     同じなのですが…