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イワタバコ科キリタ属 1365 変更不能な心

2013.11.21 15:00

栽培している人から、名前を尋ねられました。

買った時の名札は、イワタバコ。

 

嘘こけ。こんなイワタバコは、ない。

 

見た感じで、イワタバコ科のキリタ属と思いますが、

栽培している人が知らないのに、わたしが知っているわけがない。

 

イワタバコ科って、たくさんの属や種(しゅ)があり、

花が奇麗ですが、日本には、ほとんど自生していません。

 

セントポーリアやグロキシニアみたいなやつですが、

熱帯や亜熱帯の植物です。 

日本では、温室の蘭や、山野草の好きな人が、栽培しています。

 

キリタ属は、日本人好みと、思います。

 

写真の花は、

キリタ・フィンブリセパラ Chirita fimbrisepala に、似ています。

 

           ***          ***

 

性転換は、異性の見てくれや心に、成りたいだけでないかと、

疑う人もいます。

身体や精神は、病気や障害でない、という意味です。

 

健常なので、体に、致命的な弊害がなければ、

生殖機能や、他の体の機能を、破壊しても、

成りたい自分になるのは、進歩的な生き方でないかと、言います。

 

現在のように、

GID(性同一性障害)を、精神の病気の一種とするのは、

古いそうです。

 

GIDの人の、言葉や行動は、当人の履歴や、

現在の知能検査の成績や、知識や経験などと比べて、

著しく幼稚です。

 

とりわけ、いわゆる心の性別の表現には、知的障害の嫌疑が掛かり、

一般の人の印象や、GIDの治癒した人たちの述懐では、

10才未満の知能です。

 

不釣合いに幼稚であるって、あほの、なり掛けかも知れません。

いわゆる「まだらぼけ」ってやつに、近いのですが、

脳血管障害は、発見されません。

 

GIDには、お医者さんや、東京大学の出身者や、法曹や、

一流企業のエリート社員なども、たくさんいます。

 

その人たちが、心の性別と言われる理屈を、作ってくれますから、

他の人たちは、ステレオタイプのように、

適当に、真似(まね)をしておけば、間(ま)に合います。

 

楽賃なの。

指導者の考えが、ケツっぺたの人たちよりも、あほなのに、

みんなが靡(なび)いて行きますから、

オウムやマスコミや政治や学校教育などの、流行文化に、

そっくりです。

 

     今で言うGID(性同一性障害)の人たちのグループと、

     昔に、交際をしていた人たちの中に、

     三島由紀夫という小説家がいました。

     ノーベル文学賞候補と言われていたのに、

     切腹をしました。

 

     今でも、GIDの人たちと、性的な交際をしている人の、

     約半分の人は、GIDの傾向があります。

     三島氏も、顕著でした。

 

     強(し)いて、男っぽい態度を演じていましたが、

     女っぽい趣味や考え方や性格を、

     ご自身も、認めていました。

 

     当人の分析では、

     幼少時に、女の子のように育てられたので、

     変更できなくなりました。

     生まれつきで、ありません。

 

     女の子のように育てられた、と言うのは、

     当時のMtF(male to female 男→女)の、

     流行の言い草でした。

 

     三島さんのお父さんの言うには、

     幼児の頃から、みんなと一緒のことをしないで、

     夢現(ゆめうつつ)のように、

     ふらふらと離れて行く言動が、目立ちました。

     生まれつきらしいの。

 

     切腹した時の演説や、バルコニーから撒いたビラが、

     残っています。

     まるで、小学五年生の作文のようですから、

     ノーベル賞候補としては、変(へん)な作風です。

 

     たくさんの他人のスローガンを、繋ぎ合せて、

     自分の文章を作ります。

     新聞記事やテレビニュースや、学校の教科書や、

     学力試験や資格試験などの、問題と正答のようです。

 

     思春期未満の、健常な子供の心と、同じですから、

     みんなと一緒のことをしなかった幼児期が、

     とても、気になります。

 

     東京大学を卒業して、大蔵省に勤めましたから、

     子供っぽい心は、当たり前ですが、

     クーデターを訴えて、失敗をすれば、

     自殺をするつもりの、計画でしたから、

     決行前に、あほになるのも、やむを得ません。

 

     幼児期に戻ったようなものです。

 

     たくさんの精神科のお医者さんが、

     彼の知能は、低くない、と言います。

     統合失調症も、知能は、低くならないそうですので、

     わたしは、怒られてばっかりです。

 

     統合失調症は、人格の病気であり、

     知能の病気でないそうなの。

     知能検査をしても、低くなく、

     発症しても、下がらないからと、言います。

 

     そんなの、誰かが、勝手に問題を作り、

     自分たちで、知能検査と名付けて、

     うっとりしているだけなのに…

     

     わたしは、三島さんと会った時に、

     統合失調症の成りかけかも知れないと、思いました。

     知能が、もの凄く低かったから。

 

     統合失調症は、

     認知障害の一種として、説明することも出来ます。

     知能の下がる病気なの。

 

     ひょっとしたら、

     生まれつきに、低かったのかも知れませんが、

     生まれた時を、見ていないから、厄介です。

 

     三島さんは、

     自分の誕生の瞬間を、記憶している、と言っていました。

     

     知能が低くても、東京大学の医学部に、入学できます。

     もしかしたら、低くなければ、

     入学できないのかも知れません。

 

     知能検査や学力検査の、成績が高くても、

     知能の低い人は、一杯います。

 

     大脳の機能は、

     肝臓やコンピュータと、似たようなものですから、

     別に、お肉や機械の、性能が高かろうが、低かろうが、

     ちゃんと、試験問題の答えを出していれば、

     東京大学に入学して、お医者さんになれます。

 

     ほかの大学でも、構いませんけれど、

     お肉や機械が、賢いわけがないのは、

     言うまでもありません。

 

     インドって、カーストの差別がひどいのに、

     貧乏な人たちを差別しないで、公平に接していると、

     貧乏な人たちに、殺されるかも知れません。

     舐められるの。

 

     背中に、目がついているみたいに、用心しなければ、

     誰とでも、公平に接するなんて、できません。

 

     インドの神さまの彫像って、

     体のあちこちに、目が付いているでしょう?

      

     命が惜しければ、

     お付きの者が、低いカーストのやつを、叱り、

     怯(おび)えさせて、

     無断で近づかないにように、平身低頭させて置くのが、

     一番です。

 

     高いカーストの人たちは、

     日本の天皇陛下のように、こころ安らかに暮らすのが、

     理想なの。

 

どうして、三島さんの知能は、低かったのかしら。

 

何を賢いと思い、何をあほと思うかって、

ただの価値にすぎませんから、意見が異なれば、殺し合いをして、

勝敗の帰趨(きすう)を見なければ、仕方ありません。

 

多数決と似たようなものですから、流行文化なのに、

知能を測って置きながら、流行にかかわらない、と言うように、

流行文化の、変更不能になった中身の一つ一つが、

もはや、流行に反応しないのは、当たり前です。

 

みんなの事実のように、みんなの精神障害でしたら、

健常と言われますが、

知能検査の成績が高いのは、精神の病気の症状に、似ています。

 

三島さんは、なりたい心になれる、と言っていましたが、

ほんとは、自分がなりたい心になれるのでなく、

みんなが、その人に相応(ふさわ)しいとして、押し付けた心に、

その人はなります。

 

みんなの見立てる通リの心に、ならなければ、

たぶん殺されますけれど、

牢屋に入れられたり、精神障害と言われたりするかも知れません。

 

     自分だけ、みんなと違うって、

     危険なことぐらいは、誰でも知っています。

 

     自分だけ、みんなに褒められて、

     天才や代表や指導者などと、言われると、

     自分だけ、犯罪者や気違いや低能などと、言われて、

     殺されるかも知れません。

 

     祀(まつ)り上げられて、使い捨てられて、

     見せしめにされるって、

     フセインやカダフィや、ムソリーニやヒトラーを、

     見るまでもなく、

     東條英機も、ぶら下げられましたから、

     日本人は、よく知っています。

 

     わたしの子供の頃って、進駐軍の気に入られないと、

     闇から闇に、葬り去られました。

 

     日本の警察は、第二次世界大戦の後も、

     1960年代頃まで、拷問が当たり前でした。

     こそ泥も、警察の言う通リに、自供をしないと、

     痣(あざ)だらけの、擦(す)り傷だらけの、

     ずる剥(む)けの、骨折だらけで、帰ってきました。

 

     弁護士も、だれも警察を糾弾しません。

     1960年代に、初めて、

     警察から、ケガだらけで出て来るのは、

     拷問を受けた証拠であると、

     認められるようになりました。

 

     泥を吐かないと、牢屋の食事に、下剤を入れられるって、

     当たり前でした。

     密室の中の出来事は、証拠がありませんから、

     みんなが、諦(あきら)めていました。 

 

     今も、警察官の目撃証言は、まるごと信用されますから、

     日本の刑事裁判は、有罪ばっかりです。

     アメリカ合衆国は、無罪ばっかり。

 

     お医者さんの、嘘やインチキは、密室の出来事なので、

     みんなが、諦めています。

 

     韓国の警察は、1990年頃まで、

     国民を、闇から闇に葬り去る所でした。

     権力の悪口を言うと、すぐに行方不明になりましたが、

     密告をされただけでも、同じ目に遭い、

     密告をした人も、行方不明になりました。

 

     今も、そうなのかは、よく知りませんが、

     中国や北朝鮮は、今も、そうと言われています。

 

患者さんが、病院の庭に、煙草の吸い殻を捨てて、踏み潰すと、

精神の病気って、言われるかも知れません。

うちは、全館全敷地内、禁煙ですから、吸えば犯罪です。

 

昔は、総理大臣も、屋外で煙草を吸い、

ポイ捨てにして、靴の裏で、火を消しました。

そのまま、吸い殻を拾いませんでした。

 

時代や場所や人が変われば、

規則や法律や、文化の具体的な中身が変わるのは、当たり前なのに、

若いお医者さんは、理解できません。

 

ちょっと前まで、煙草を吸うのは、健康の印(しるし)でした。

今日も元気だ、煙草がうまいって、

緑十字の横に、書いてありました。

 

そうして、国民を育てたくせに、

変更不能になり、禁煙ができないと、

煙草依存症と言われて、精神の病気の一種です。

 

専売公社でしたから、国家の犯罪なのに、だれも責任を取りません。

     

放射能が危険なので、原子力発電を廃止すべきと、主張する人が、

煙草を吸っていると、支離滅裂と言われて、嘲(あざ)けられます。

 

ただの、人殺しのような犯罪と、

責任能力のない種類の、精神の病気の違いも、

若い子には、わかりません。

精神の病気が、流行の産物であるのは、言うまでもありません。

     

流行に乗って、変わらなければいけないのに、

知能検査を作った人たちは、

知能は、流行文化の具体的な中身に、かかわらないと、言います。

嘘こけ。

 

     わたしと同い年の、男性の精神科医は、

     歯が、真っ茶色で、1日20本以上も、ぷかぷか吸います。

     精神衛生に、たいへん良いそうです。

 

     昔は、郊外の行楽地って、ゴミの山が、普通でした。

     紅葉のきれいな山には、展望台や見晴らし台があり、

     足元の斜面は、ゴミだらけでした。

 

     お弁当やお菓子の、空き箱や空き袋や食べ残しが、

     山になり、蝿がたかって、腐っていました。

     人間のうんこは、ハンカチで覆われていました。

 

     これが、奥多摩や嵐山だけでなく、

     富士山や北アルプスでも、そうでした。

 

     都会の公園も、花や木を見るには、

     犬のうんこを、踏まなければ、近づけません。

     そんなの、つい最近なのに、

     もう、日本人は、忘れました。

 

     お花見の茣蓙(ござ)は、

     犬のうんこの上に、敷かなければいけませんでした。

 

     公園の樹木の剪定って、

     バキュームカーのホースを抱えるのと、

     似たような職業でした。

     うんこを踏まなければ、仕事になりません。

 

     オイルショックの後に、経済成長が低下して、

     週休2日になりましたので、

     行楽地の観光業者が、お掃除をして、奇麗にしました。

     そのほうが、儲かるので、タダ働きを、買って出たの。

     商売にならなければ、誰もしません。

     

     奇麗になれば、お客さんが増えて、儲かります。

     週休2日でなければ、そうは行きませんでした。

 

     いったい、時代や場所や人によっても、

     変わらない心があるのかしら。

     人間は、宇宙の始まりから、人間でなく、

     昔は、猿であったし、ばい菌であったと、

     進化論は言います。

 

     精神の病気が、今も昔も、変わらないワケがありません。

     知能や人格を、質(しち)に取り、

     精神の病気を、正当化するのは、

     もの凄く変(へん)なの。

 

     でも、人類は、知能が高いって、言うもんね。

     人間の個体に、心があるのなら、人格もあります。

 

     知能や人格は、似たような文学を言っているのに、

     統合失調症は、知能の病気である、と言うと、

     怒られます。

     人格の病気であるそうです。

 

     その精神科医は、性転換医療を始めるかも知れません。

 

     煙草のヤニだらけの精神科医は、

     性転換医療をやらないそうです。

     老人医療をやっています。

 

     今日も元気だ、煙草がうまいって、

     年寄りには、通じるもんね。

     

     GID(性同一性障害)の人たちは、

     心の変更不能な性別が、脳味噌に書き込まれているって、

     言います。

 

     知能検査をすれば、知能が測れると、思うように、

     精神の病気です。