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ギンバイカの実 1375 論理や、合理主義

2013.11.28 15:00

真っ黒けの実で、ちっとも奇麗でありませんが、

香りの常緑低木です。

 

葉を千切ると、

ローズマリーや薄荷(はっか)に似た香りが、強烈です。

こんなのが、料理に入っていると、日本人は食べたくありませんが、

欧米人は、大好きです。

 

お肉が腐ってくるのを、こいつが誤魔化してくれます。

雨の少ない土地では、腐る前に乾燥しますから、

一時凌(しの)ぎになれば、それで良いの。

 

性転換医療と同じです。

日本では、乾燥する前に、腐ります。

統合失調症のようなものです。

 

常緑樹のくせに、紅葉しています。

古い枝の、古い葉ですが、実が成ると、危ういのかも知れません。

若い枝は、元気です。

 

医者も、年を取ると、簡単に死にますので、あほです。

これが、一番わかりやすい定義かも知れません。

知能は、寿命です。

 

知能を測る暇があれば、寿命を予言して、

宝くじみたいに、当ててみなければいけません。 

 

人間の体は、腹や胸や脳などを裂いて、

内臓を剥(む)き出しにしなければ、

なかなか、うまく乾燥しません。

 

          ***          ***

 

卵から養殖された鮪(まぐろ)が、

大学のブランドを付けられて、売られています。

卒業生も、お肉にされるのかしら。

 

精神の病気は、

自分の命や体や健康や、他人と共有すべき社会などを、壊します。

 

みんなと一緒のことができないのと、同じ意味ですが、

体のせいで、みんなと一緒のことができなければ、

身体の病気と言われます。

 

体の具合が悪くなれば、必ず、精神もイカレますから、

身体の病気は、精神の病気の一種です。

先に、精神の病気になっても、

そのせいで、遅かれ早かれ、体が壊れます。

 

すべての体の病気は、精神の病気のせいで、起る、という意味です。

心や、心の病気は、そういうものですから、当たり前なの。

 

精神が、病気にならなければ、体は病気になりません。

自分の精神の病気でなく、

他人の精神の病気のせいで、体の病気になるかも知れません。

 

体は、心のせいで、わざと壊されなければ、

絶対に病気になりません。

心って、そういう意味なの。

 

心のせいで起こらない自然現象は、ありません。

認識されない自然現象を、だれも知らないから。

心と心は、コミュニケーションを行ないますから、

特定の個体のせいで起こらない自然現象を、知ることができます。

 

時間の順番を、認識が決めているから、

自分という気持ちが、起こります。

 

こういうことを言うと、怒られますけれど、

心の病気は、わざと、自分や他人の体を、壊すことなの。

 

本人は、わざと、そうしているって、気づいていませんから、

わざとである、と言うのも、変(へん)ですが、

はっきりと意図的に、そうしているかのように、見えます。

昔は、ヒステリーと言われました。

 

精神の病気だけでなく、

すべての病気が、ヒステリーとして説明されても、

昔は、不思議でありませんでした。

 

弁証法やロマン主義や進化論などの考え方では、

自動的に、そうなります。

論理的であれば、最初から、そうなると、わかり切っています。

 

成り行きが、わかり切っている、というロマンティックな考え方の、

最も華やかな結論が、弁証法的や史的などと言われる唯物論でした。

マルクスやレーニンの、共産主義ね。

 

もう一つの、華やかな結論が、

記号論理からコンピュータという成り行きですが、

こっちのほうは、まだ潰(つぶ)れていません。

 

論理は、ようするに、自作自演の定義の体系である、と言います。

弁証法だけでなく、コンピュータって、そうでしょう?

 

どうせ、最初に定義した通リのことを、

持って回って、導き出してくるだけであるのは、

目で見て、手で触って、耳で聞いて、

いわゆる事実を知る、という認識の仕組みに、由来しています。

 

もうじき壊れると思いますけれど、

地震が起ると言っておけば、当たるのに決まっていますから、

いつ、どこで、どれくらいの大きさの地震が起るのかを、

予言しなければ、賢くありません。

 

コンピュータの壊れ方は、日本の社会を見ていれば、

よくわかります。

     

     論理って、数学みたいに、人間の判断を制限します。

     合理的でなければ、頭が悪いと、笑われて、

     遅かれ早かれ殺されます。

 

     エステティックや事実なども、そうですけれど、

     みんなの価値は、個体の判断を、縛ります。

     手枷(てかせ)足枷(あしかせ)や、

     縄(なわ)みたいに、人間を拘束するための、規則なの。

 

     整理整頓をするための、分類と言っても、構いませんが、

     みんなと違う秩序を、無秩序と言って、許しません。

     ギリシャ人は、宇宙を、秩序と言ったように、

     宇宙を仕切る論理は、ただの人為的な分類の規則なの。

 

     中国人は、渠(きょ)成りて水至ると、表現しました。

     溝を掘り、思い通りの道筋(みちすじ)に、

     水を流します。

     趣味やエステティックだけでなく、論理や事実も、

     人が掘った溝です。

 

     脳の神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方と、

     同じです。

     人間の文化が、遺伝するのは、法律や病気のように、

     みんなの言うことを聞かん奴を、廃人にするからなの。

 

     精神の病気だけでなく、身体の病気も、

     みんなと一緒のことをしない個体を、

     廃人にする方法です。

 

     けっして、病気と言われる痛みや苦しみや故障などは、

     自然に起るのでありません。

     みんなと一緒のことをしなくなった奴を、

     みんなで壊そうとするから。起こります。

 

     統合失調症の人は、そう言います。

     壊されたと。

 

     老化した年寄りが、

     年齢のせいで、自然にそうなったと思うほうが、

     間違っています。

     自然にそうなったのでなく、

     邪魔だから、消されて行くの。

     そのことを、年を取る、と言います。

 

     価値って、生殖を制御して、品種改良をしますから、

     遺伝子の組み合わせが、制限されるのは、当たり前です。

 

     2の100乗は、30桁の数で、

     126穣(じょう)なんとかなんとか…らしいの。

     遺伝子の組み合わせの数って、

     何か一つの素質を制限しただけで、物凄く減りますから、

     2の100乗ぐらいの成り行きを制限するって、

     1世代で十分かも知れません。

 

     犬の品種改良は、数世代で、

     狼みたいな奴から、チワワやブルドッグみたいなのを、

     作り出しました。

 

     人間の品種改良なんか、ちょろいもんです。 

     伝統的な手口だけでも、チワワみたいな人間を、

     わずか数世代で、作り出せます。

 

     遺伝子の組み合わせの、膨大な数から、

     偶然に人間が生まれるのは、

     40億年でも、あやふやですけれど、

     生物と言われる素質が、

     みんなと一緒にくっつく本能でしたら、

     40億年は、長すぎるほど、あほであったかも知れません。

 

     人為的に遺伝子を取捨選択すれば、

     単細胞のばい菌を品種改良して、人間を作り出すのに、

     1万年もあれば、十二分でしょう。

 

     自然のあるがままに、論理が成り立つのでありません。

     人間の文化の一つですから、合理的であろうとすれば、

     人間の判断や行動を、制約します。

 

     論理は、具体的な文化と言われる癖や習慣の一つなの。

     みんなの文化ですから、因習と言っても、構いません。

     変更できなくなれば、確実であると、思われるだけです。

 

     人間の判断は、理不尽で不合理です。

     判断の意図と、異なる論理を抽出するのは、

     あほかも知れませんが、

     合理主義の看板を掲げる人は、賢いと、評価します。

     特殊浴場のネオンサインと、さほど違いません。

 

     嫌(いや)なやつを、やっつけたいから、

     法律を作ったのに、

     正義や合理性を、謳(うた)われて、

     賢いと褒められれば、悪い気持ちでありません。

     変(へん)な気持ちです。

 

     これこれならば、これこれであると、

     定義されたことだけが、合理的です。

 

     論理って、トートロジーなの。

     赤い花は赤いと、言います。

     同じことを、蜿蜒(えんえん)と言い替えますから、

     科学技術みたいに、切りがありません。

 

     溝を掘れば、地球の裏側まで、

     延延と、水が流れるようなものです。

     当たり前ですけれど、

     道頓堀プールのように、溝の中で泳ぐのが、

     目的でありません。

 

     あんなことを言っていたから、日本は潰れたのに。

     慎太郎や不沈空母や通産官僚や電器屋などの、

     浮かれた気持ちって、泡(あわ)を作る装置でした。

 

     論理を駆使できるから、賢いと、

     自惚(うぬぼ)れたいのなら、

     溝を掘る土方(どかた)になれば、良い。

 

     論理って、エステティックと同じように、

     価値の一つです。

     科学技術は、美容のようなものなの。

 

     美容の価値は、見てくれの通リですから、

     火を見るよりも、明らかです。

     

     論理も、そう。

     目で見て、手で触って、耳で聞く通リに、

     価値が現れます。

     科学技術の成果が、疑いようのない事実に見えます。

 

     美容や科学技術は、価値の通リに、認識されます。

 

     何を共通点にして、

     これとあれを、同じとするかって、価値です。

     何を基準にして、これとあれを、違うとするかと、

     言っても構いません。

     その基準の有無により、

     一つのものを、二つに分類します。

 

     認識や判断の分類の仕方を、弁証法と言います。

     流行の価値を争い、権力を得る手順です。

     殺し合いの、作法や儀式のようなものですが、

     進化の系統樹に、表われて来る意味です。

 

     行き止まりになり、絶滅する種(しゅ)が、

     たくさんあります。

     美容や科学技術は、権力闘争なの。

 

     嫌(いや)な奴のお肉を食べて、

     お腹が一杯になると、うっとりとして、眠たくなります。

     眠っている間に、殺されたりね。

 

     脳の中の、

     神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方って、

     進化の系統樹や、

     価値を争う権力の、離合集散や合従連衡のように、

     行き止まりの、絶滅する判断かも知れません。

     苦しんで、精神の病気と言われる判断かも知れません。

 

今日は寒いって、だれでも正しいと思います。

昨日も寒かったし、明日も寒く、今日は暖かいのかも知れません。

自分だけが寒く、他人は暖かいと思っているかも知れません。

同じ場所や服装でなければ、寒さや暖かさが違うのは、

当たり前なのに。

 

今日は寒いって、

どうして無条件に、人は絶対に間違いないと、信じるのかしら。

 

経験的な判断と、論理的な判断とが、識別されません。

論理は、これこれならば、これこれであると、定義します。

表現された中身が、定義の内容です。

 

経験的な判断が、何を定義したかを、知る方法って、ありません。

物理化学のように、

やっぱり定義をしなければ、数式に乗りませんけれど、

日常的な判断の、ほぼ全部は、みんなと共通に定義されていません。

 

統合失調症の人の、妄想や幻覚のように、

自分だけの事実と、同じです。

 

本人だけでなく、誰も知りようがないのに、

どうして、これこれならば、これこれであるって、

警察官や裁判官や学者さんなどは、

信じて、推理して、議論して、判断するのかしら。

 

世間一般の人は、これこれならば、これこれであるって、言います。

みんな、支離滅裂なのに、平気で主張します。

どれだけ、頭が悪いのかって、疑うまでもありません。

 

数学の初歩や、中学生の国語などの、試験をすれば、

満点を取る人だけでなく、

半分ぐらいしか、正解のできない人が、一杯います。

 

中学校の数学で、半分しか正解できなければ、

おそらく、事実の原因や結果を、合理的に判断できません。

中学校の国語の長文読解問題を、半分しか正解できなければ、

おそらく、新聞記事を読んでも、筋書きを理解できません。

 

マグロの大学の学生さんも、

もしかしたら、それくらいかも知れません。

論理が通じませんから、

裁判になれば、冤罪ばかりになっても、不思議でありません。

 

マグロの大学の学生さんだけでなく、

一流大学出身の法律家の裁判官も、今日は寒いと、確信します。

なんのために、裁判では、論理的な言い回しが、使われるのかしら。

あれは、数学や国語の試験で、満点を取れない人たちを、

ちょろまかす方法のような気がします。

 

社会の底辺の人まで、その真似(まね)をしていますから、

滑稽です。

インターネットのブログを読めば、

みんな、こうなれば、こうなるって、書いています。

全然論理的でないのに、なんとかに刃物って、背筋がぞっとします。

 

わたしは、お台所に立ちますから、包丁は毎日なのに、

自分の背筋は、ぞっとしませんから、現金なものです。

精神科医の仕事って、ちょろまかすのが精一杯ですから、

悪いやつもいたもんだと思いながら、お肉を切ります。

 

論理能力って、ほとんど生まれつきですから、

いくら訓練をしても、わからない人は、わかりません。

わかる人は、練習をしなくても、見た瞬間に、わかります。

ルービックキューブと同じで、

能力が高くても、人を騙すことにしか、役に立ちません。