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イチョウ 1382 言葉や論理の意味

2013.12.05 15:00

もうじき、葉っぱの無くなりそうな、銀杏(いちょう)。

落ち葉の季節に、黄葉って、遅れています。

 

          ***          ***

 

意味が異なっているのに、

同じ単語でしたら、同じ意味であると、誤解されます。

 

同じ単語でも、使い途(みち)により、意味が異なるのでしたら、

区別しなければ、いけません。

一つの単語には、無数の使い途(みち)が、あるかも知れません。

 

単語の意味は、使用の仕方により、定義されるだけでなく、

使用されるたびに、新しく定義されるようなものです。

 

なんで、日常会話や裁判などが、論理的であろうとするのかって、

とても不思議です。

 

単語の使い方を間違えると、それを指摘されますけれど、

間違えなければ、相手と同じ意味でなくても、ちゃんと通じます。

 

単語の意味でなく、伝えたいコミュニケーションの中身の意味が、

最初から、決まっているのかも知れません。

 

伝えたい中身を共有している相手としか、

コミュニケーションが通じないのでしたら、

なんのための、コミュニケーションなのかしら。

 

同じ意志の個体が、たくさん集まれば、強くなる、というだけの、

コミュニケーションかも知れません。

ほとんどの動物は、そうですので、人間も、そうかも知れません。

 

     使用のたびに、新しく定義されるはずなのに、

     使用する前から、判断の結果がわかっていましたら、

     日常会話が、論理を標榜する理由も、見えています。

 

     独裁や粛清のための、裁判と同じように、

     論理の振りをしているだけかも知れません。

 

     舞台の上の、嘘八百の演技というやつ。

 

     ものすごい個数の、単語の意味を固定するための、

     概念の定義の仕方を、誰が、知っているのでしょうか。

 

     他人に通じないのに、

     通じているかのように錯覚するのは、

     何をする、という意志が、共有されるからですが、

     けっして、論理が伝わったので、ありません。

 

     することが一緒なら、理由は、こじつけでも、

     間(ま)に合います。

 

     その種(しゅ)の、理屈や膏薬(こうやく)を、

     因果関係や相互関係などと、言います。

     恣意的(しいてき)で、経験的ですから、

     自我といわれる種類の、誤解に、持って来いです。

     論理的でありません。

 

     言葉が通じる仕組みは、事実と言われる認識の中身が、

     他人に通じるかのように、錯覚するのと、

     同じ判断の手順ですが、

     端的には、科学技術を確信するように、

     気持ち良さが、変更不能になるからです。

 

     性的快感が、条件反射のように、枝分かれをすると、

     癖や習慣になるように、

     科学技術の確信も、オナニーと似たようなものです。

 

男性は、女性の裸を見ると、ちんちんが立ち、

女性は、知らない男性の裸を見ると、

異口同音に、恐怖や嫌悪(けんお)を感じたと、訴えます。

 

何を恐怖と言い、何を嫌悪と言うかって、

そんなもん、人と場合により、そのたびに違いますから、

他人の恐怖や嫌悪と、自分のそれとが、同じであるかって、

照合のしようがありません。

エロ裁判って、国家直営のお笑いです。

 

いつも、ちんちんの立つ男性は、正直ですから、

裁判官よりも、使い捨ての兵隊のほうが、あほかも知れません。

 

同じ価値を共有するって、流行文化の単位のようなものです。

 

価値は、二つの概念が同じであるとするための、共通項です。

一つの概念の中に、二種類の中身があるとするための、

分類の基準も、似たような意味ですから、

価値は、検索表みたいに、弁証法的な判断です。

マルペケ式なの。

 

共通項の有無のマルペケが、分類の要諦ですけれど、

0と1の表記でも、構いません。

 

中学校の数学の時間に、2進法と10進法は、表記が違うだけで、

同じ中身を表しているって、習いました。

 

進化の系統樹や、大脳の神経って、枝分かれが一杯ですから、

数(すう)は、判断や分類の、枝分かれを表記するために、

マルペケ式の符号を、書き連ねます。

 

数を足し合わせるって、

2種類の概念が、一つに纏められる、としますから、

二つの共通項や識別点などを、新たに書き加えなければいけません。

 

すべての記憶には、長ったらしい数が、付けられますから、

枝分かれの道筋って、

戸籍や住所や国民総背番号制などに、似ています。

 

コンピュータは、戸籍や住所を、足したり引いたりしますが、

日常会話の単語の、ほぼ全部は、価値の定まらない概念です。

 

丸覚えの写真みたいに、表記できますが、

ベクトルで表わされた図形のようには、処理できません。

 

どうして、価値の定まらない概念なのに、

裁判官は、論理的に判断したかのように、

嘘の判決文を、書くのかしら。

どうして、裁判員は、論理的に事実を考証したと、

錯覚するのかしら。

 

最初から、相場の通リの刑罰を、判決するために、

論証を詐称して、

荒唐無稽な儀式を、振り付けただけで、ないのかしら。

 

性的快感が、家畜に、餌を与えるように、

刑罰は、言うことを聞かなければ、殺すぞと、威(おど)して、

社会の底辺の人たちを、飼育しますから、

世代交代と個体維持の快感を、形(かた)に取っているだけに、

見えます。

 

     意志を実行する価値って、

     論理的に決まるわけがありません。

 

     論理と事実が、一致しないから、

     実行をして、事実を変えようとします。

     事実を、論理に一致させようとするの。

 

     裁判が、何かを実行しようとするのなら、

     最初から、論理と事実は、一致しないって、

     わかり切っています。

     GID(性同一性障害)と、似たようなものです。

 

     全然論理的でないのに、論理を振り付けますから、

     事実と一致しないのは、そのせいに決まっています。

     それを実行しようとするのですから、支離滅裂です。

 

     事実は、価値の通リに、

     目で見て、耳で聞いて、手で触って知るように、

     認識されます。

 

     オナニーの性的快感を共有するだけって、言えば、

     ちんちんが立つみたいに、正直なのに…

 

     価値が、変更不能になる仕組みは、

     精神の病気と同じですが、

     圧倒的多数ですと、病気と言われずに、

     健常と言われます。

 

     少数派の人は、犯罪者や精神障害者などと言われて、

     お肉になります。

 

     価値の抗争は、

     今も昔も、殺したり、こき使ったりですから、

     たくさんの価値を、使い分けられる人は、

     少ない種類の価値しか、変更できない人よりも、

     生き残りやすいかも知れません。

 

     ばい菌は、子孫の数が、少なくありませんが、

     賢いって、寿命や子孫の数を言うのでしたら、

     生物は、世代交代をしながら、

     40億年も生きていますから、

     生命の仕組みは、賢いかも知れません。

     

     中学校の初歩の数学や、国語の文章読解問題などを使い、

     一般の成人を試験しても、中学生と同じ成績です。

 

     満点を取れずに、半分未満しか、正解をしない人は、

     新聞の社会面の記事を読んでも、

     筋書(すじがき)を理解できませんし、

     テレビニュースを見ても、意味がわからないはずです。

 

     裁判員になっても、

     事実や因果関係を、判断できませんけれど、

     人口の半分の人は、そうであると、言われています。

 

     重ねて受験をしても、

     そのたびに、問題が変われば、満点を取れない人は、

     全人口の99%を超えると、言われています。

 

     この人たちに、精神の病気の仕組みがわかるとは、

     到底(とうてい)、思えません。

 

     ほんとは、全人口の100%の人は、

     精神の病気の仕組みが、わからないかも知れませんが、

     せめて、1%の人でも、わかってくれればと、

     期待したくなります。

     賢(か)しこければ、わかると。

 

     でも、いくら賢くても、わかりません。

     わからなければ、

     あてずっぽうでしか、治しようも、ありません。

     

     賢いとか、わかるとか、治るとかってのが、

     変(へん)なの。

 

     お医者さんは、賢くない、お医者さんには、わからない、

     お医者さんには、治せない、と言うと、

     怒られますけれど、本当かも知れません。