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横須賀の護衛艦 1384 論理や事実の意味

2013.12.07 15:00

軍隊の素行に、その国の人の心が、よく現れるそうです。

軍事機密ですから、平時は見えません。

 

わたしの子供の頃は、男がお酒を飲むと、戦争の話ばかりでした。

命乞いをしたので、可哀想だった、という話。

 

人間は、虫けらでしたので、後始末も大変でした。

石油が足りなかったせいで、日本人は、少ししか殺しませんでした。

 

死体を燃やせなかったの。

 

          ***          ***

 

中学の国語の、読解力の問題を、成人が回答しても、

中学生と同じくらいの成績しか、取れません。

ちっとも、文章の論理を知る能力が、向上していません。

 

平均的な中学生の国語の能力って、

新聞の刑事事件の三面記事を読んでも、あらすじを理解できません。

 

どのような事件であり、

なぜ、嘘や間違いでなく、本当とされるのかを、

中学生は、読みません。

 

なぜ、犯人が誰それであると、新聞や警察は主張するのかを、

中学生は、気にかけません。

なぜ、犯人が自供したのかも、同様です。

 

人は、自分のやっていない犯罪を、簡単に自供します。

拷問を受ければ、当たり前ですけれど、

どうせ、体が痛いのは、精神的に苦しむことです。

指一本、触(ふ)れられなくても、精神的に苦しければ、同じです。

 

中学生や成人の、平均的な国語の能力と、

やっていない犯罪を、簡単に自供する人の能力とは、

同じであると、言われています。

 

話のあらすじを、理解できないから、

やっていないことを、自供します。

先々の成り行きを、予想したりや心配したりが、できません。

 

普通の人は、事実や論理を、認識できませんから、

精神病の症状と、ちっとも変わりません。

みんなと一緒であれば、病気と言われないだけです。

 

振り落とされたり、炙(あぶ)り出されたり、

燻(いぶ)し出されたりすれば、精神病の症状になりますが、

具体的な症状の有無にかかわらずに、

平均的な人の能力は、統合失調症と同じです。

その能力のせいで、発病します。

 

国語の読解力よりも、中学1年生の、数学の初歩の問題のほうが、

はっきりと、論理能力を把握できるかも知れません。

好き嫌いがありますので、国語と数学の、両方を試してみて下さい。

 

大人になっても、中学生よりも、論理能力は伸びません。

たぶん、1才ぐらいの時に、論理能力は完成していますけれど、

1才では、国語をよく使えませんので、計測が難しいようです。

 

1才でなく、誕生の時に、すでに論理能力は決まっていて、

エステティックと同じように、

転がり出た賽(さい)の目にすぎないと、言う人もいます。

 

やっぱり、美人って、生まれた時に、決まっているのかしら。

流行が変わったら、どうしよう。

 

他人の言うことは、他人の嘘や間違いかも知れませんので、

論理能力と、事実を識別する能力は、だいたい同じです。

 

1万人の一人一人に、間違いないかと、

詳しく問い質(ただす)すことは、できませんけれど、

1万人の他人が、口を揃えて、絶対に間違いないと、言っても、

わたしの判断と異なることが、普通にあります。

 

よほどの親しげな人でなければ、

暇(ひま)そうに答えてくれませんから、

数人の意見と、自分の意見とを、照合するのが、せいぜいです。 

 

あとは、10人であろうが、1億人であろうが、中身のない人数なの。

コミュニケーションって、数人が限界かも知れません。

出版物やテレビやインターネットでも、

国語や数学が通じなければ、仕方ないもんね。

 

コミュニケーションって、通じれば良いのに、

どうして、国語の試験は、能力を測ると、言われるのかしら。

 

通じないのは、二人の間で、情報処理の手順が違う意味なのに、

能力の差の意味に、ちゃんと掏(す)り替えられます。

多数決でしたら、半数以上の受験者が、不正解になるのは、

問題を作った人のほうが、あほかもしれません。

 

数学の記号は、定義された意味でしか、使われません。

数(すう)は、マルペケ式で行くって、別に定義されていませんが、

コンピュータが、上手(うま)く役に立っていますから、

間違いないとされています。

 

アリストテレスの論理学では、

同一律や矛盾律や排中律などと、言われましたが、

数学やコンピュータや脳の神経のほうが、簡潔で、わかり易い。

 

19世紀に、進化論が主張されたのと、電信が実用化されたのと、

マルクスレーニン主義のような、弁証法が流行したのと、

精神医学が、脳の神経を見るようになったのは、

似たような歩調でした。

 

ぜんぶ、判断の、マルペケ式の枝分かれを、

殺し合いで擬(なぞら)えよう、という魂胆です。

生きるか死ぬか、っていうマルペケ式。

 

コンピュータや神経や数学や進化や遺伝などは、

ただの道具であると、ロマンティックな人たちは、考えました。

生命や宇宙は、何かの大切なことを実現するための、

道具であるそうです。

 

欧米人やインド人やエジプト人などは、宗教的でしたけれど、

わたしは、行き掛かりを変更できないだけの、

生命や宇宙と、思いますけれど…

 

言葉や数式が通じないのに、通じているって、錯覚するのは、

やることが同じだからです。

動物です。

 

中学1年生の、国語や数学の試験を受けても、

満点を取れないのですから、

新聞を読み、テレビニュースを聞き、裁判員になり、

井戸端会議をしても、話は通じません。

 

猫って、仲の良い猫は、何匹も、一緒に歩いています。

国語の点数が悪く、お互いに、話の意味が通じませんので、

相談をしません。

それなのに、仲が悪くなると、すぐに殺し合いをします。

 

人間や猫の、国語や数学の能力は、五十歩百歩ですので、

人間では、裁判をします。

 

判決や、法廷の問答を読めば、わかりますが、

学校の教科書と同じぐらいに、支離滅裂です。

猫の飼育を目論んでいますが、

猫って、監禁されなければ、すぐに行方不明になります。

 

わたしは、小学高学年の頃に、

大人は、何を仕込もうとしているのか、すごく疑問でした。

今もそうですが、教科書の中身は、統合失調症の妄想と同じです。

具体的な中身が違うだけで、判断の仕方が、同じなの。

 

定義したことでなければ、間違いのないことは、一つもありません。

事実は、定義したことでなければ、間違いに決まっているのに、

教科書は、事実であることがわかる、と言い、

したり顔や、どや顔です。

 

間違いである、という意味でなければ、

赤い花は赤いと、言っているだけなのに…

 

精神の病気の人って、それに気づきません。

 

目で見て、手で触って、耳で聞いて知る事実は、

人それぞれの、価値の通リに、認識されますから、

みんなの文化と言われる価値のプログラムを使えば、

みんなと同じ事実が見えるのは、当たり前です。

 

幾つかの価値を使い分ければ、幾つかの事実が見えるって、

自分で実験できるのに…

 

違う価値を持てば、違う事実が認識されますので、

変更可能な使い分けの一つが、変更不能になれば、

統合失調症の妄想や幻覚になるって、自分でわかります。

 

変な化学物質を使い、妄想や幻覚を経験するのと、似ていますが、

変なものを使わなくても、簡単に使い分けられて、

夢を見ても、簡単に目覚めるように、

自動的に、いつもの心に戻ることができます。

 

目覚めているのに、夢のような状態を、

長期間、意図的に持続できますので、

精神病未満の、GID(性同一性障害)や解離性障害などが、

変更不能になった心であると、わかります。

 

精神的ストレスが、変更不能の原因と思いますが…

復元力が失われるの。

 

いつもの目覚めた時の自分と、夢の中の自分とを、

使い分けるには、

両方を往(い)き来(き)するための、プログラムが必要です。

 

それがなければ、

いつもの自分や、夢の中の自分に、張り付いたままになり、

変更不能と言われるかも知れません。

 

両方を往来(おうらい)しながらも、無意識になれば、

目覚めた朝のように、ひとりでに、いつもの自分に戻るのでしたら、

変更不能と言われずに、復元力がある、と言われるかも知れません。

 

いつもの自分という安全地帯を確保したまま、

たくさんの夢のような自分に、足を伸ばします。

もしも、夢のほうが良ければ、そちらが、いつもの自分になり、

現実が変わります。

 

自分が、要領よく、現金に変わって行くには、

いつでも戻れる自分という安全地帯が、

確保されていなければ、いけません。

 

普通は、親や社会の庇護を受けて、

乳幼児の頃に、安全が保障されています。

いつもの自分と言われる心が、確保されるの。

 

これが、上手く行かないと、

自我障害と言われる精神の病気の、根本的な素質のようなものが、

出来てしまいます。

 

いつもの自分が、不安で恐ろしい夢のような心地(ここち)です。

統合失調症やGID(性同一性障害)の人の心には、

それが感じられます。

 

自分という安全地帯が、乳幼児期に確保されなかった。

境遇や経験のせいかも知れませんが、

いつもの自分と、夢のような自分とを、使い分けるプログラムに、

生まれつきの不備のある可能性も、否定できません。