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ツクバネ 1389 みんなと一緒のことが出来なければ、性欲は?

2013.12.12 15:00

衝羽根(つくばね)って、

衝羽根草(つくばねそう)や衝羽根空木(つくばねうつぎ)などを

思い出しますけれど、

写真は、ビャクダン科の衝羽根(つくばね)です。

 

ただの衝羽根(つくばね)と言えば、これ。

 

ビャクダン科は、

白檀(びゃくだん)や宿木(やどりぎ)も、寄生植物ですが、

自分で、葉緑素を生産して、光合成を行ないますので、

半寄生と言われます。

 

他の樹木の幹に、鳥の糞の中の、ねばねばの種(たね)がくっつき、

発芽します。

根を侵入させて、栄養を吸収しますが、

衝羽根(つくばね)は、他の樹木の根に、自分の根をくっつけます。

 

ビャクダン科なので、寄生植物かも知れないと、疑わなければ、

発見できなかったかも知れません。

 

自分の根が、他の植物の根を感知すると、

蛸(たこ)の吸盤みたいに変形して、

吸い付くように、抱き込み、栄養分を横取りします。

食い込むの。

 

地面の下と言っても、

枯葉や落葉が、ふかふかに積み重なった腐葉土の中ですので、

地上部分よりも、具合が良いのかも知れません。

性転換医療みたいに、スケベです。

 

落葉低木ですので、

冬には、葉が落ちて、衝羽根型の実だけが、目立ちます。

 

          ***          ***

 

いわゆる性転換の欠点は、体を壊すことが、端的ですが、

性ホルモンのせいで、体調不良になるだけでなく、

世代交代ができなくなり、同性愛や性転換などの、仲間内としか、

一緒に暮らせなくなりますので、孤立や自閉を進めて、

精神の病気を、悪化させる結果になります。

 

性ホルモン剤を使ったり、性転換手術を受けたりしても、

バレないのは、着衣の時だけです。

性器を見れば、すぐにバレますから、仲間内としか、暮らせません。

 

他人に、事実を言えませんから、

嘘に群がる浮動票のような人の中で、暮らします。

やくざや水商売や芸能関係の人生に、似ています。

 

GID(性同一性障害)の仲間って、

精神病院の中に、たむろする人たちにも、似ています。

類は友を呼ぶように集まり、

共食いをしなければ、生きて行けません。

 

患者さんや看護師やケースワーカや精神科医などと呼ばれるような、

なんとなく、情けない人たちです。

心って、雲をつかむ話ですから、

精神病院は、監禁するのでなければ、

気持良くさせているだけかも知れません。

 

GIDの仲間は、精神の病気に、たむろする人たちです。

 

昔は、牢屋に入る人と、牢屋の番人は、

似たような種類の人間として、扱われました。

やくざの親分さんが、十手を持ち、犯罪の捜査をしていました。

死体と、墓場の世話人は、仲間内でした。

お肉になる動物と、動物を屠殺したり、皮を剥いだりする人とは、

同類でした。

部落差別ってやつです。

 

今でも、インドのGID(性同一性障害)の人たちは、

自分たちのことを、ヒジュラと自称して、

高いカーストの生まれの人でも、

自分から、ダリットの身分に、落ちぶれて行きます。

 

ダリットって、カーストの仲間でない人たちですけれど、

何かの世襲の利権を、共有する血族の一員でない、ということです。

 

実際には、精神障害者や犯罪者などが、

生まれつきのカーストの習俗に、適応できなかったり、

除(の)け者にされたりして、落ちこぼれて、ダリットになります。

 

一般のカーストには、世襲の職業の利権が、くっついていますから、

大人しくしていれば、

失業による落ちこぼれは、ないのかも知れません。

 

ヒジュラと言われるGID(性同一性障害)の人たちは、

おもに精神障害のせいで、

自分から、ダリットに落ちこぼれて行きます。

なかには、犯罪のせいも、あるかも知れません。

 

ヒジュラって、イスラム教の聖遷の意味ですけれど、

モハメッドが、メッカのみんなに、虐(いじ)められたので、

アスクムやヤスリブに、逃げるように、引っ越しをしたことです。

 

一族郎党を連れていましたから、

中国共産党の長征みたいなものです。

ヒジュラの語源って、

インドの言葉なのか、セムハム系の言葉なのか、知りません。

 

紀元前から、紅海やアラビア湾沿岸を含めて、

インド洋沿岸の港町の経営は、インド人が行なっていました。

遺跡から、古代ローマの貨幣が、たくさん出て来ますので、

どこの言葉が、商業用語になっていたのかしら。

 

今でも、アラブのインド洋側の港町は、

アラビア人の町なのか、インド人の町なのか、

よくわからない風俗です。

 

モハメッドも、ラクダに跨(またが)り、

町から町へ、行商をする仕事でした。

販売の独占権が、一族にあります。

港で仕入れて、奥地へ運びますから、

タイの日本人町を作った山田長政と同じように、武装していました。

 

インドのヒジュラって、

生まれつきのカーストの仕来(しきた)りを、実行するのが、

精神的苦痛なの。

 

性別のせいであると、彼らは主張しますが、疑問です。

みんなと一緒のことができない種類の、精神の病気でも、

性欲が健常でしたら、同性愛やGIDのように、ならざるを得ません。

 

一般社会から見ると、性転換によって、孤立や自閉が進みますので、

性転換医療が、精神の病気を、悪化させる原因でないかと、

疑われます。

 

性転換をさせないように、圧力を掛ければ掛けるほど、

望み通りに、性転換をした時の、嬉しさが大きく、

性転換後の気持ち良さが、長持ちします。

 

いずれは、一時凌ぎの効果がなくなり、

精神の病気の進行が、目立つようになりますが、

だいたいは、10年間ぐらいが、性転換医療の賞味期限です。

 

それくらいの期間は、

GID(性同一性障害)や性転換を、話の種(たね)にして、

夢現(ゆめうつつ)のように、羽根(はね)を伸ばして、

遊び半分の気持ちで、過ごせます。

 

社会運動や文化運動の活動家になったような気持ちって、

悪くありません。

 

そのあとが問題なの。

性転換医療を受け始めて、10年を経過した後の生き方は、

狭い意味での精神病の、入り口付近の、精神障害です。

 

性転換医療を受けて、体を壊したことが、

一層、症状を、悪化させたのかも知れません。

いわゆる性転換手術が、上手(うま)く行かなかった人は、

精神症状の悪化が、早い。

 

夢破れた後(のち)の、残り滓(かす)のような人たちの間で、

たむろしていれば、まだ、ましです。

完全に孤立して、統合失調症になる人も、結構います。

 

それでも、本人は、性転換医療を受けて良かったと、

言うかも知れません。

催眠術と言うよりも、宗教的な確信に似ています。

 

みんなから離れて、閉鎖的な宗教に凝る人の、

何かにしがみつかなければ、不安でたまらない気持ちって、

精神科では治せないと、言われています。

 

藁(わら)をも、掴(つか)むとか、

藁にも、縋(すが)るとかと、言われる気持ち。

 

そうかと言って、精神科医が率先して、

患者さんを、性転換医療に突き落とすのも、極悪非道です。

 

美容外科と新興宗教の、どちらに引き渡すのが、

良い結果になるのか…

精神科で、ちゃんと最後まで責任を持つほうが、儲かると思います。

     

性転換をしたいとか、性ホルモン剤が欲しいとか、

診断書が欲しいとかって人たちは、

性別の問題が、悩ましく苦しいと、言います。

 

人間は、死ぬのでなければ、子孫を残すしか、

結末がありませんから、

死ぬのが嫌(いや)なら、子孫を残すのが嫌(いや)になっても、

不思議でありません。

個体を超えた社会的な価値が、負担になれば、そうなります。

 

鬱病と、言いますけれど、

そんなもん、統合失調症の人なんか、みんな、最初はそうです。

 

みんなと同じことをしていると、

損をして、虐(いじ)められる人は、

へそ曲がりになり、孤立して、鬱病になり、

やがて、妄想や幻覚が出て来ます。

 

本人は、気づきませんけれど、

他人が問えば、支離滅裂な答えが返ってきます。

しつこく問い詰めれば、妄想や幻覚が、洗い出されますけれど、

一般の人は、妄想や幻覚を、識別できません。

 

まさかと、思うかも知れませんけれど、

中学の国語の読解力試験や、数学の初歩の試験を受けても、

一般の成人は、中学生と同じくらいの成績しかとれません。

 

裁判員になり、因果関係を、合理的に判断したかのように、

確信するのは、妄想や幻覚と、同じ仕組みです。

 

裁判の判断って、妄想や幻覚なの。

中身は違うけれど、妄想や幻覚と、同じ判断の手順です。

自分一人だけが信じている事実と、みんなが信じている事実とは、

中身が違うように見えるだけです。

 

妄想や幻覚って、判断や認識の仕方でなく、

結果が、みんなと一緒でない、という意味なの。

GID(性同一性障害)は、性別が違うのでなく、男女不問です。

 

なんで、世間の人は、裁判を信じるのかしら。

判決文みたいな、数学の答えを出す奴がいたら、

0点にしてあげます。

 

プラトンの数学でなく、アリストテレスの物理化学でも、そう。

論理は、定義されなければ、正しくないのに、決まっています。

 

裁判は、一つの事件だけでも、

物凄い量の事実を、自分勝手に定義します。

あれだけの量を、みんなで定義するには、

100億年ぐらいは、かかりそう。

 

精神病の人の、認識の仕方と同じなの。

中身が違うだけですから、

裁判は、統合失調症の人の判断と、同じ手順です。

 

日本の裁判は、江戸時代から、キチガイを相手にしませんでした。

同類相憐れむのを、嫌(きら)いました。

これは、世界で一番早かったかも知れません。

日本人は、賢い。

 

人間は皆、死ぬ、って言えば、

経験を述べているのか、定義をしたのか、よくわかりません。

 

経験ですと、今までは、そうであっても、

明日からは、そうでないかも知れません。

自分の見た限りですから、見逃しが多く、信憑性は低い。

 

みんなで見て、今までは、そうであったと、言っても、

みんなの見た限りに過ぎませんから、信じられません。

 

定義なのかしら。

人間は皆、死んでもらうのなら、

生きていても、途中で切り上げて、死んだことにします。

定義は、絶対に正しいと、プラトンは言いました。

 

人間は皆、死ぬって、どう考えても、経験にすぎませんけれど、

裁判のように、定義に掏(す)り替えると、恐ろしい。

経験をしていなくても、経験をしたと言われて…

 

アリストテレスは、それをやれ、と言いました。

目で見て、耳で聞いて、手で触って知る事実の認識は、

それですから、裁判も、そうでなければいけません。

 

ただし、自分一人で、勝手に定義をするのでなく、

これは便利と、みんなが納得したものだけが、

みんなの定義になり、物理化学と言われます。

 

みんなの定義を組み合わせると、

みんなの認識する事実に、ちゃんと一致しますから、

科学技術と言われて、みんなの役に立ちます。

 

絶対に間違いなく、みんなの事実が認識されるように、

裁判は、公正に行なわれなければ、いけません。

 

でも、裁判の中身って、一生懸命、頭を働かせて、どう聞いても、

目で見て、手で触って知られる事実のようには、認識されません。

判決なんか、蛆虫(うじむし)みたいに、陰湿な文章です。

 

科学技術は、だれが見ても、間違いのない事実に見えます。

裁判が、科学技術よりも、

統合失調症の、妄想や幻覚や支離滅裂に近いことは、

火を見るよりも、明らかです。

 

あんなもんを信じていると、精神病院に放り込まれそうですので、

テレビニュースや新聞記事や文部科学省の教科書などと同じように、

眉に唾(つば)を塗(ぬ)らなければ、いけません。

 

時代が、ちょっと変われば、裁判官なんか、建物や観衆と一緒に、

全部纏めて、牢屋や精神病院に、ぶち込まれて、

コンクリートで、塗り込められます。

 

精神の病気の人たちが、類は友を呼ぶように、たむろして、

共食いをしている所が、裁判や性転換などの、社会の底辺です。

法律家や犯罪者やお医者さんや精神障害者などが、

年柄(ねんがら)年中、うろうろしています。

 

犯罪者と十手を持っている人って、同類なの。

精神病院にぶち込まれた患者さんと、ぶち込む精神科医も、

仲間内です。

性転換医療を見れば、言うまでもありません。

 

昔から、優生医療や、オウムのような宗教を、信じる人って、

蛆虫(うじむし)みたいに、悩ましい心に決まっています。

オウムの医療に、似ているの。

 

この人たちを治療するのが、難しい。

欧米が、やっていますから、

黒船と原爆に負けた日本は、楯を突けません。

 

鹿鳴館みたいに、欧米のお題目を、繰り返すあほが、

日本で一番強い。

原爆を落とされると、無抵抗ですから、これは効きました。

日本人は、心を失いました。

 

欧米の同性愛差別を見れば、

同性愛や性転換の運動が、支持されるのも、当たり前です。

 

日本でも、部落差別がひどかったので、

部落解放運動が、錦の御旗のように、勢いづくのは、当然でした。

 

医師や法律家や官僚に、被差別部落出身の人が、一杯いました。

1960年の、安保の時代から、

新左翼の運動に乗じて、部落解放運動が活発になりましたが、

錦の御旗を掲げる神戸のやくざが、

積極的に逮捕されるようになったのは、1990年頃です。

 

30年間、部落解放運動が、跋扈(ばっこ)しました。

1960年の、安保改定の時に、跳梁(ちょうりょう)したのは、

岸内閣が、関東のやくざを、動員したからなの。

神戸のやくざと、殺し合いをしていました。

 

そういう事情を、欧米の人は、知りません。

日本の人も、欧米の同性愛差別や、キリスト教の内部抗争を、

知りません。

 

原爆を落とされると、万事休すですから、

日本の性転換は、社会の底辺の、奴隷の性転換のようなものでした。