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ツバキの蕾(つぼみ)と、茶室 1406

2013.12.29 15:00

近所の茶室の、表側です。

豚小屋の裏側でありません。

 

茶室は、倹(つま)しく質素で、

うらびれて、鄙(ひな)びた田舎の、

貧乏臭(くさ)い風情(ふぜい)を、わざと演出します。

 

侘(わび)寂(さび)と宣(のたま)い、喜びますから、

相当に悪趣味です。

 

戦国時代の田舎の、日常の食器は、

素焼きの陶器でなければ、木製でした。

 

堺のような、貿易港の都会では、

すでに、景徳鎮の染付(そめつけ)や、絵付(えつけ)の磁器が、

市民の食器でしたから、

釉薬(うわぐすり)を掛けた陶器の食器でさえ、

もはや古風で、風流に見えました。

 

千利休という人は、

貧乏な田舎の生活を模倣して、楽しみましたから、

豊臣秀吉のような人が、怒るのは、無理もありません。

 

当時の武士は、心を癒やすお薬として、お茶を飲みました。

漢方薬を使うのは、仏教のお坊さんの仕事でしたから、

お茶を飲むにも、お寺さんに由来する作法がありました。

 

職業は、世襲の血筋でなければ、新規参入が困難でした。

インドのカーストと、似たようなものですが、

日本では、座や株仲間と言われる同業者の組合のことです。

 

現代のお相撲さんや、家元制度などにも、残っていますが、

織田信長や豊臣秀吉は、楽市楽座を、政策の柱に掲げました。

世襲の同業者が、市場を独占する社会を、

徹底的に、ぶち壊さなければいけません。

 

同業者組合は、武力組織を持っていたの。

 

平和主義者の徳川家康という人は、

昔ながらの世襲の同業者組合の既得権を、保護しました。

 

侘茶の創始者の村田珠光は、お坊さんでしたから、

お寺さんの権利を取得して、

師匠から弟子に、侘茶(わびちゃ)の既得権を伝えました。

 

お能の幽玄と、茶道の侘(わび)や寂(さび)とは、

共通の世界ですから、新古今和歌集の境地です。

 

どうせ生きたまま、首を切り取られる武士の、

諦(あきら)めの気持が、現れています。

儚(はかな)い宴(うたげ)のように、お茶を飲み干します。

 

お寺さんは、血縁による世襲でなく、

師匠から弟子に、教義が伝えられましたので、

茶道も、世襲でなく、家元制で行きましたが、

現代のお茶の家元は、世襲に戻っているようです。

 

千利休は、侘茶を完成しましたが、

お茶の作法を教えろと、天下の太閤秀吉に要求されると、

断れません。

 

でも、豊臣秀吉は、

座や株仲間のような、世襲の独占的な同業者組合をぶち壊すために、

才能を発揮した人です。

 

貧乏な田舎の百姓の出身ですから、

素焼きの陶器や、木製の食器に、

粟(あわ)や稗(ひえ)や麦の混じったご飯を、

姉や母に、装(よそ)ってもらい、

お腹を空(す)かせて、育ちました。

陶器の食器は、大切な日用品でしたから、芸術でありません。

 

堺のような都会の、絵付けの磁器を、知らなくても、

安もんの陶器は、よく知っています。

貧乏な子供時代の、掛け替えのない思い出でした。

 

千利休は、それを、風流であると、言います。

貧乏な百姓の生活を、わざと演出して、

侘茶の極意であると、抜かします。

 

わたしが、豊臣秀吉なら、

お茶の作法を教えて貰えば、もう無用ですから、

千利休なんて、お払い箱です。

 

そしたら、秀吉という人は、千利休に切腹を命じました。

切腹も風流であると、利休は言ったのかしら。

ちゃんと、切腹をしましたから、正直です。

 

わたしなら、仲間を集めて、

雑賀衆(さいかしゅう)や真田幸村みたいに、

山に立て籠もり、一戦を交える振りをして、

こそっと、夜のうちに、逃げ出したのに。

 

一族が連座しますから、自分だけが逃げるわけに、行きません。

北朝鮮でも、そうですけれど、

脱北した人の親戚は、みんな収容所に入れられて、

逃げた人を呪(のろ)っています。

 

性同一性障害のように、子孫を残さずに、身内のいなくなる人は、

ヘルパーさんに、家畜のように扱われて、死にます。

遺産を奪い取られても、身寄りがなければ、仕方ありません。

 

手前の木は、椿(つばき)です。

葉が広く、山茶花(さざんか)や寒椿(かんつばき)でありません。

この蕾(つぼみ)は、3月の末から4月に、咲きます。

 

寒椿(かんつばき)は、お茶の葉のように、もっと葉が小さく、

今が盛りです。

山茶花(さざんか)も、葉は小さいのですが、

12月の中頃までに、咲き終わりました。

 

奈良県今井町の、今井宗久って人も、

織田信長の贔屓(ひいき)に与(あづか)り、

高校の教科書に、太字で出て来る茶人でした。

 

彼の建てた茶室は、今も残っていますが、

現代の都会の、伝統的な日本建築の様式です。

アメリカ合衆国に、うさぎ小屋と言われて、笑われました。

 

村田珠光や今井宗久や千利休などの茶人は、

いずれも、ただの小売の商人でなく、

堺を拠点にして、鉱山の開発や、貿易船の運航や、

鉄砲の独占代理や、

両替や金融や米蔵などを営む財閥の総帥でした。

 

お茶の嗜(たしな)みは、中国の禅宗から伝わりましたが、

東南アジアの日本人町では、

イギリス人やフランス人やオランダ人などと、

商売だけでなく、軍事力でも、競合していました。

 

日本の茶道は、

インドのお茶を飲むイギリス貴族の趣味に、通じていましたから、

ゴルフや乗馬やヨットのようなものです。

 

豊臣秀吉は、黄金の茶室を作り、侘茶の悪趣味を、茶化しました。

 

世襲の血族による同業者組合が、宗教と結託して、

インドのカーストのように、

生まれながらの社会階級として、蔓延(はびこ)るのを、

織田信長や豊臣秀吉などの、革命的な政権が、

座視できるはずもありません。

 

お坊ちゃんの信長は、今井宗久に誑(たら)し込まれても、

貧乏人の秀吉は、絶対に、千利休に騙(だま)されません。

 

敵は、世襲の財閥一族と、宗教です。

比叡山や一向宗だけでなく、キリスト教も危ない。

 

信長と秀吉の、楽市楽座は、

日本が、インドや中国になる道を、ぶち壊しました。

 

徳川家康は、子供の頃から、

平和を愛して、同性愛を嫌(きら)いましたので、

日本は、あまり残虐になりませんでした。

 

秀吉の晩年も、そうですが、

認知障害だけでなく、精神の病気は、

気持の優しい人が、攻撃的で残虐になります。

 

嫌(いや)なことを、受け流したり、耐え忍んだり、

変形したり、呑み込んだり、食べてしまったりする能力が、

低くなります。

他人と、交渉やコミュニケーションが、できなくなるの。

 

老化に似ていますが、体調が悪ければ、

若くても、精神の病気になります。

  

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