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イチョウ 1495 社会の底辺

2014.04.03 15:00

 

銀杏(いちょう)の新葉(しんよう)です。

まだ、葉の横幅が、1cmにもなりません。

 

写真の上の端っこの、葉叢(はむら)の根元(ねもと)から、

粒々(つぶつぶ)のある房が、幾つか、出ています。

 

蕾(つぼみ)ですが、

銀杏の雄花(おばな)の、尾状花序(びじょうかじょ)です。

雌雄異株(しゆういしゅ)ですので、

この木は、雄株(おかぶ)です。

 

花粉が、雌株(めかぶ)の雌花(めばな)に着くと、

胚珠(はいしゅ)の中に、取り込まれて、

秋に、胚珠の中の花粉から、精子が作られます。

 

銀杏(いちょう)の雌花は、

雄しべも、雌しべも、花びらも、萼(がく)も、ありません。

胚珠だけなの。

まだ受精していない種(たね)のことです。

 

東京大学の、平瀬作五郎という画家が、

冬に、銀杏(ぎんなん)の実(み)を、顕微鏡で見ていると、

精子が、胚珠(はいしゅ)の中を、泳いでいました。

もちろん、雌株(めかぶ)です。

 

銀杏の胚珠は、子房に包まれずに、

剥(む)き出しになっているので、裸子植物と言われます。

 

子房って、胚珠のできる葉っぱのことです。

羊歯(しだ)の葉の裏に、胞子ができるようなものです。

 

葉っぱに、胚珠ができて、受精すると、種(たね)になります。

その胚珠を守るように、葉っぱが丸まり、胚珠を包み込むと、

その葉っぱを、子房と言います。

 

葉っぱの先っちょが、筒のように伸びると、

雌しべと言われますから、そのように進化する頃には、

葉っぱや胞子などに、2種類の生き方の、区別ができています。

 

細胞の機能が、分化するのと、似たようなものですが、

♂の葉っぱの、先っちょが伸びると、雄しべと言われます。

 

胞子にも、雌雄の別が、できていますので、

羊歯は、葉の裏の胞子が、地面に落ちて、発芽すると、

前葉体と言われる個体になり、

♂の前葉体の造精器から、♀の前葉体の造卵器まで、

精子が泳いで行きます。

 

種子植物では、胞子が発芽して、前葉体が出来て、

精子や卵子と言われる配偶子が出来る頃まで、

ずーっと、親の個体の中で、育ちます。

 

水分が、たくさんありますから、泳ぎやすいと、いうものです。

 

♂は、花粉になり、やっと、親の個体から、離れますが、

♀は、受精の後も、種(たね)ができるまで、親から離れません。

 

雌雄や親子の別だけでなく、個体の別を使うのも、

遺伝的な素質を、掻き混ぜるには、

必ずしも、合理的でないかも、知れません。

 

進化の行き掛かりから、生物の伝統を継承していますが、

雌雄や親子や個体などは、とても古臭い生き方です。

 

40億年ぐらいの、旧態依然とした古さは、

性転換に、似ているかも知れません。

 

ここらで、やり方を変えたほうが、良いのではと、

疑いますけれど、小保方という人も、そう思ったのでしょうか。

 

後(うし)ろのほうは、満開の桜です。

 

           ***          ***

 

精神の病気って、

今までは、みんなと一緒のことが出来なかったのに、

人生の途中から、出来るようになるって、

滅多(めった)にありません。

 

みんなのほうが、精神の病気かも、知れないけれど…

 

統合失調症では、病気が進行すると、言います。

みんなと一緒にできない経験が、増えれば増えるほど、

病気が降り積もるように、悪化します。

 

経験が増えても、上手(うま)く生きる能力が、高くなりません。

むしろ、下がります。

 

みんなと一緒のことが、できない素質を、

みんなに攻撃された乳幼児の頃よりも、

それ以前の、幸せな思い出の自分に、退行しようとします。

 

GID(性同一性障害)の人も、まったく同じです。

妄想や幻覚は、統合失調症よりも、軽症ですが、

抑うつは、重症かも知れず、自傷は、重症です。

 

文化のほうが変われば、治るのですが、

統合失調症の抗精神病薬だけでなく、

美容手術や性転換医療などは、

絶対に変わらないと、言わんとするかのように、

必死で、縋(すが)り付いているお医者さんの、

心の姿かも知れません。

 

精神の病気の人が、学校で1番の成績になり、

藁(わら)をも掴(つか)む思いで、権力にしがみつき、

晴れて、お医者さんになった人たちの、

心の病気が、よく現れています。

 

優生医療って、やっぱり、根性が卑しいのですけれど、

精神の病気の、共食いの症状の現れですから、

社会のほうが、なんとかしなければ、いけません。

 

社会の底辺の成り行きに、任せて置くと、

尼崎事件のようになります。

 

精神の病気の人と、それを差別虐待する人との、関係って、

昔の部落差別の時代から、似たようなものですけれど、

美容外科や精神科のお医者さんが、性転換医療を行なうのも、

精神の病気の人たちの、共食いの症状なの。

 

自分の病気を治してから、お医者さんになれば良いのですけれど、

社会のほうが変わらなければ、治りません。

 

お医者さんになり、優生医療を行ない、

精神の病気の人たちを、間引くことにより、

自分の精神の病気を、治そうとします。

 

尼崎事件を知ると、世も末のような、気持ちになりませんか。

精神の病気の人たちの心って、あれなの。

性転換医療に、よく現れていますが、

美容外科や、統合失調症の治療も、似たようなものです。