平和 <追記>
ロシアによるウクライナ侵略戦争が始まって、「平和」という言葉を聞かない日はない。
法令(最広義)でも、「平和」は、多用されている。国の法令で「平和」を用いたものは、日本国憲法をはじめとして450本ある。また、自治体の場合には、「平和」を用いた条例は、1604本、「平和」を用いた規則は、1622本ある。
例えば、日本国憲法には、「平和」が5回も出てくる。
このように多用される「平和」なのだが、いずれの法令にも「平和」の定義規定が置かれていないので、国語通りに解釈すべしということなのだろう。<追記参照>
では、この「平和」とは、どのような意味なのだろうか。「平和」という言葉の由来は、なんだろうか。改めて訊かれると、答えに窮する言葉だ。
1 支那(シナ。chinaの地理的呼称。)における「平和」と「和平」
⑴ 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)によれば、
「平和」は、「中国語で、「平(たいらぐ)+和(なごやか)」が語源です。おだやかに治まること、和平、の意です。」とある。
そこで、「和平」を引いてみると、「和平」は、「中国語で、「和(やわらぐ)+平(おだやか・しずか)」が語源です。戦争もなく穏やかなこと。中国では、平和よりも、この和平の語を多く使用します。積極的に平和にしていく意です。」とある(太字・下線:久保)。
「中国」というのは、中華人民共和国の略称だ。中華思想により日本人が蛮族扱いされていることは片腹痛いが、それはともかくとして、中華人民共和国が建国される遥か前から「平和」・「和平」という言葉があったのだから、「中国語」ではなく、「支那語」又は「漢語」と呼ぶべきだろう。
⑵ 漢語が語源だということで、世界的権威である諸橋轍次先生の『広漢和辞典 上巻』(大修館書店)を引くと、
「平和」とは、
①おだやかなこと、平らかに治まること。無事平穏。〔左氏、昭公元〕慆堙心耳,乃忘平和
②でこぼこなくならし、やわらげる
③戦争がなくて世の中の平穏なこと
とある。
①が元来の意味だ。そこで、『春秋左氏伝』をネットで探してみた。従来、このブログでは、国会図書館や早稲田大学のHPにアップされた版木本をスキャンしたPDFで読んでいたのだが、「中國哲學書電子化計劃」というデータベースを見つけた。コピペができて便利だ!
『春秋左氏伝』の昭公元年を見ると、「於是有煩手淫聲,慆堙心耳,乃忘平和」とある。
【読み下し文:久保】
是(ここ)に於(おい)て、煩手(はんしゅ)淫聲(いんせい)有(あ)れば、心耳(しんじ)慆堙(とういん)し、乃(すなわ)ち平和を忘る
※ 1「慆堙心耳」は、「心耳(しんじ)慆堙(とういん)し」と読み下したが、「心を慆(みだ)し、耳を堙(ふさ)ぐ」とも読める。どちらでも意味は変わらないけど。
※2「乃忘平和」は、「乃(すなわ)ち平和を忘る」と読み下したが、「乃(すなわ)ち平らかでなごやかさを忘る」とも読める。どちらでも意味は同じだ。
【意訳:久保】
そのとき、わずらわしく手を動かして淫らな声を出すと、人の心を淫らにし聴覚を狂わせ、平らかでなごやかさを失わせてしまう
つまり、漢語の「平和」は、元来、「おだやかなこと」という心理状態を表す言葉だったわけだ。確かに、淫らな声が聞こえてきたら、心が乱れ、心おだやかではなくなるもんね。苦笑
次に、「和平」を調べてみた。諸橋轍次『広漢和辞典 上巻』(大修館書店)によれば、
「和平」とは、
①やわらいでおだやかなこと
②戦争や騒乱がなくて、世の中のおだやかなこと〔易経、咸〕聖人感人心而天下和平
③音楽の調べが調和すること
とある。
支那では「平和」よりも②の意味の「和平」が用いられることが多いそうだから、『易経』の「咸」を調べたら、「聖人感人心而天下和平」とある。
【読み下し文:久保】
聖人(せいじん)、人心(じんしん)を感ぜしめて天下(てんか)和平(わへい)す
【意訳:久保】
聖人(のまごころやおこない)が人心を感ぜしめて、戦争や騒乱がなくて世の中がおだやかとなる
つまり、「和平」は、戦争や騒乱の状態から「戦争や騒乱がなくて、世の中がおだやかなこと」への変化という世の中の客観的な状態の変化を表す言葉だったわけだ。
ここで、一旦、おさらいをしておこう。
「平和」は、「おだやかなこと」を意味し、戦争や騒乱を前提としない心理状態を表す主観的な概念だ。
「和平」は、「戦争や騒乱がなくて、世の中のおだやかなこと」を意味し、戦争や騒乱を前提とした世の中の変化を表す客観的な概念だ。
なお、支那では、「平和」よりも「和平」が多く用いられるのは、易姓革命(えきせいかくめい。王朝交代のことで、天子の徳が衰えた場合は、天がその命を革 (あらた)めて別の姓をもつ有徳者に易 (か)えて治めさせるという政治思想。)を背景に、戦争によって天子を倒して新王朝を樹立することにより戦争や騒乱がなくて世の中がおだやかになるというプロセスを悪夢のように無限ループで繰り返しているので、戦争や騒乱を経た後に世の中がおだやかになる「和平」がしっくりくるからだろう。
余談を述べれば、この点で思い出すのが、甲骨文字研究で有名な京都大学名誉教授貝塚茂樹先生だ。
貝塚先生は、ご幼少の頃、紀州藩士である母方のお祖父様に『論語』・『大学』・『中庸』・『孟子』という四書(ししょ)のほかに、『史記』の素読(そどく)をさせられたそうだ。このお話を伺った際に、四書の素読はともかく、『史記』の素読は、私のような凡人には到底耐えられない苦行だと恐れ慄いたものだ。
というのは、我が国の歴史は、少しずつ右肩上がりで進歩・発展していくので、歴史を学んでいても飽きることがなく、我が国ほど進歩主義史観(歴史を人間社会のある最終形態へ向けての発展の過程と見なす歴史観。)がぴったりと当てはまる国も珍しいが、支那の歴史は、どこを切り取っても退屈なほどワンパターンで、吐き気を催すほど残酷な所業をエンドレスで繰り返すので、これほどまでにまったく進歩がなく、戦争・騒乱→新王朝→戦争・騒乱→新王朝という風に、同じことをぐるぐると何度も繰り返す国は珍しいからだ。
先人たちも、『史記』を読み通すことに閉口して、『十八史略』という簡略本を編んだほどなのに、幼少時に『史記』をすべて素読なさった貝塚先生は、稀に見る秀才だと思う。
秀才で思い出した!地質学者の小川琢治京都帝国大学名誉教授を父に持つ、秀才の誉れ高き「小川兄弟」をご存じだろうか。
長男が小川芳樹(よしき)東京帝国大学工学部冶金学科教授、次男が貝塚家に養子に入った貝塚茂樹先生、三男が湯川家に養子に入ったノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹京都大学名誉教授、四男が支那文学の小川環樹(たまき)京都大学名誉教授、五男小川滋樹(ますき)氏は戦病死している。長女小川香代氏は、小川一清神奈川大学教授の妻となり、次女小川妙子氏は、武居高四郎京都大学教授の妻となっている。
「小川兄弟」は、みな母方のお祖父様から漢文の手解きを受けている。このブログでも江戸時代の教育を見直すべきだと述べたが、「小川兄弟」はその例証の一つだ。
2 日本における「平和」と「和平」
さて、日本語としての「平和」と「和平」の意味を確認しておこう。
『精選版 日本国語大辞典』(小学館)によれば、「平和」とは、
① (形動) (━する) おだやかに、やわらぐこと。静かでのどかであること。また、そのさま。
※神道集(1358頃)一〇「兄弟の中平和にして」
※俳諧・七番日記‐文化一三年(1816)一〇月「翁忌や雁も平話な並び様」 〔春秋繁露‐循天之道〕
② 特に、戦争がなく、世の中が安穏であること。和平。
※英政如何(1868)一「平和の時に当っては、大バロン銘々城郭に閉籠りて」
とある。
これに対して、「和平」については、『精選版 日本国語大辞典』(小学館)によれば、
① (形動) 世の中や気候がやわらぎ、穏やかであること。また、そのようなさま。平和。かへい。
※性霊集‐三(835頃)勅賜屏風書了即献表「隣里和平、寰区粛恭」
※日本風俗備考(1833)二〇「気候最も良好和平ならざるなり」 〔礼記‐楽記〕
② 人や国が争いをやめ、平和になること。「和平交渉」
※中右記‐康和四年(1102)一〇月一七日「又東大寺与御寺大衆去月合戦之後、互不二和平一之間」
とある。
「平和」も「和平」も、前述したように漢語に由来し、音読みでしか読めず、現代日本においても漢語と同じ意味で用いられていることが分かる。
ただし、「平和」を①の意味として用いている『神道集』が執筆された1358年頃というのは、ちょうど南北朝時代であり、「平和」を②の意味で用いている『英政如何』が出版された1868年は、慶應4年であって、ちょうど幕末だ。
このことから日本では、少なくとも南北朝時代から「平和」は、①「おだやかに、やわらぐこと。静かでのどかであること。また、そのさま。」という意味でずっと用いられてきたこと、及び②「戦争がなく、世の中が安穏であること。和平。」という意味は、比較的最近の用法であることが分かる。
諸橋先生の漢和辞典で確認したように、②「戦争がなく、世の中が安穏であること」という意味は、もともと漢語「平和」に含まれていたが、日本にかぎって言えば、「平和」は、もっぱら①の意味で用いられ、英語peaceピースの翻訳語として「平和」という言葉が当てられた結果、日本では「平和」に②「戦争がなく、世の中が安穏であること」という意味が新しく生まれたのだ。幕末以前は、「平和」ではなく、太平、泰平、治平、平安、安寧(あんねい)などの言葉がよく用いられていた。
なお、アルバニイ・ホンブランク著『英政如何』(九潜館、慶応4年(1868年))には、「平和の時に当っては、大バロン銘々城郭に閉籠りて」という風に、「平和」が翻訳語として用いられているけれども、和田垣謙三等編『哲学字彙 : 附・清国音符』(東京大学三学部、明治14年)では、peaceの翻訳語として「平安、安寧、靖寧、雍和」が用いられており、「平和」が用いられていない。
peaceの翻訳語として「平和」が定着したのは、明治14年よりも後だろう。井上哲次郎等著『哲学字彙 : 英独仏和』(丸善、明治45年)には、「平和、平安、寧静、雍和」とあり、「平和」を筆頭に挙げているので、遅くとも明治45年頃には、peaceの翻訳語として「平和」が定着していたものと考えられる。
面白いのは、「和平」を英訳すれば、peaceなのに、peaceの翻訳語として『哲学字彙 』に「和平」が挙げられていない点だ。
peaceの翻訳語として、「平和」ではなく、「和平」を当てていれば、日本人の目を曇らせることがなかったのにと思うと、かえすがえす残念でならない。
この点を説明するために、peaceの語源について述べる。
3 英語peaceの語源
英語warウォー「戦争」の対義語である英語peaceピースは、ラテン語paxパークス「平和、和睦、無事、平安」に由来する。
ラテン語paxは、ラテン語pacoパーコー「屈服させる、平らげる、征服する、鎮める、支配下に置く」を語源とする。
つまり、peaceの本来の意味は、戦争によって敵を屈服させることによりもたらされる平穏な状態なのだ。
そうだとすれば、peaceの翻訳語としては、戦争や騒乱の状態から世の中がおだやかな状態になるという「和平」が最適だったのだ。
ところが、少なくとも南北朝時代から用いられ、「おだやかなこと」という心理状態を表す「平和」をpeaceの翻訳語として用い、これが定着してしまった。
勝手な推測だが、peaceの派生的な意味として、「安心、平安」があり(ex. peace of mind)、これをも含めた翻訳語としては、戦争や騒乱を前提とする「和平」よりも、「和平」の意味を含む「平和」の方が適切だろうと判断して、peaceの翻訳語として「平和」を用いたのではないかと思っている。
その結果、例えば、祈って「平和」が訪れるのであれば、誰も苦労しないだろうに、「平和の祈り」というような情緒的であやふやな意味で日常的に「平和」が語られるようになってしまったわけだ。
しかし、国際社会は、お人好しの集まりではなく、マキャヴェリが『君主論』で描く権謀術数の世界だ。
「君主は、野獣の気性を適切に学ぶ必要があるのだが、このばあい、野獣の中でも、狐とライオンに学ぶようにしなければならない。理由は、ライオンは策略の罠から身を守れないからである。罠を見抜くという意味では、狐でなければならないし、狼どものどぎもを抜くという面では、ライオンでなければならない。」「名君は、信義を守るのが自分にとって不利をまねくとき、あるいは約束したときの動機が、すでになくなったときは、信義を守れるものではないし、守るべきでもない。この教えは、人間がすべてよい人間ばかりであれば、間違っているといえよう。しかし、人間は邪悪なもので、あなたへの約束を忠実に守るものでもないから、あなたのほうも、他人に信義を守る必要はない。」(池田廉訳『君主論<新訳>』(中公文庫)103頁)。
かかる獅子の如き勇猛さと狐の如き狡猾さを備えた国同士で行われる戦争について、クラウゼヴィッツは、「戦争は、政治的行為であるばかりでなく、政治の道具であり、彼我両国のあいだの政治的交渉の継続であり、政治におけるとは異なる手段を用いてこの政治的交渉を遂行する行為である」と述べている(『戦争論 上』(岩波文庫)58頁)。
戦争を道具として用いる国際政治の本質について、モーゲンソーは、「国際政治とは、他のあらゆる政治と同様に、権力闘争である」と喝破している(『国際政治』(福村出版)30頁)。
支那でも西洋でも、民族の興亡が激しいが故に、戦争と戦争の間、「戦争や騒乱がなくて、世の中のおだやかなこと」を「和平」・peaceと呼んでいるのであって、その状態を生ぜしめ維持するために、権謀術数を用い、ときに戦争を政治の道具として用いて、権力闘争を行なっているのだ。
幕末・明治の人たちが「おだやかなこと」という心理状態を表す「平和」をpeaceの翻訳語として当ててしまったために、我々日本人は、えてしてこの冷厳たるパワー・ポリティックスの現実から目を逸らせ、情緒的にpeaceを語るようになってしまった。そして、今や「憲法第9条を守れ!」と念仏を唱えれば「平和」が訪れるという信仰にすらなっている。
peaceを「平和」と訳した人の罪は重い。
最後に、宮沢俊義もたまには良いことを言うもので、日本国憲法第9条に関して、次のように述べている。
「「正義と秩序を基調とする国際平和」とは、国際平和というのと、同じ意味である。けだし、正義と秩序が確立されていないところに、国際平和はあり得ないからである。混乱が武力によって抑えつけられ、恐怖と隷従とによって外見的に平和が保たれているように見える状態ーいわば、奴隷の平和—と区別して、真の国際平和をこう呼んだのである。したがって、一民族が他民族をその政治権力に隷属させている状態は、そこに表見的にどのように「平和」が保たれていようとも、それは、ここにいう「正義と秩序を基調とする国際平和」ではない。」(宮沢俊義著・芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』(日本評論社)159頁)。
願わくば、生前、ソ連、中国に向かって言ってほしかった。
なお、念のためにネットで検索したら、下記のサイトに次のような説明があったが、嘘っぱちであることは、以上から明らかだ。ネットは、本当に信用ならない。
「「平和」は誰もが望む事だよね。「平和」の語源は、明治時代に遡るんよ。日本では古代から「和平」という漢語が使われてきたんだけど、「平和」というのはこの「和平」を逆さまにして作られた造語だと言われているんだ。「和平」っていうのは、戦争状態だったものがお互いに仲直りして平静な状況が訪れるという意味で使われていた言葉だよ。
明治時代には西洋の文化などがたくさん日本に伝えられるようになって、その中で「peace」という英語も伝えられたんだよね。最初はこの「peace」の訳に「和平」を使おうとしたんだけど、戦争状態だったという前提があるから、あんまりしっくりこないという事で「和平」をひっくり返して「平で穏やかな状態」という意味の「平和」という言葉を作ったんだ。」
日本を守るために、戦場に散った英霊たちに敬意を表して、角川映画『野生の証明』の主題歌である町田義人『戦士の休息』(1978年)をどうぞ♪ 歌詞と映像がマッチしている。
<追記>
冒頭で「平和」の定義規定がないと述べたが、定義規定を置いている条例があった。広島市平和推進基本条例だ。
広島市平和推進基本条例第2条によれば、この条例において「平和」とは、「世界中の核兵器が廃絶され、かつ、戦争その他の武力紛争がない状態」をいうそうだ。
しかし、一民族が他民族をその政治権力に隷属させている状態(奴隷の平和)であっても、「世界中の核兵器が廃絶され、かつ、戦争その他の武力紛争がない状態」でありさえすれば、「平和」だということになるが、それは、憲法が予定している「正義と秩序を基調とする国際平和」ではない。
cf.広島市平和推進基本条例 (令和3年6月29日 条例第50号)
(定義)
第2条 この条例において「平和」とは、世界中の核兵器が廃絶され、かつ、戦争その他の武力紛争がない状態をいう。