Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ヤマモモの実 1564

2014.06.18 15:00

山桃は、あちこちで、街路樹になっていますので、

その実が、歩道に落ちる頃って、季節を感じます。

 

若いころは、

暦や歳時記のように、季節が大好きでしたけれど、

年を取れば取るほど、

毎年、変わらぬ季節感が、

精神の病気の症状のように、見えて来ました。

 

自然の季節も、変更不能になった文化のように、

精神の病気でないかと、疑うようになりました。

 

コンピュータって、ハードウェアと、

プログラムと言われるソフトウェアの、いずれもが、

みんなと一緒でしたら、

それぞれのコンピュータが、

皆、同じ判断をするのは、当たり前です。

 

ハードウェアって、

遺伝子工学のような、小難しい手順を踏まなくても、

犬や豚の品種改良のように、

文化的に好まれた遺伝的素質を、取捨選択して、

簡単に、ダックスフンドや四川黒豚を、

人間は、大昔から、作って来ました。

 

人間の品種改良も、同じです。

文化が、人間のハードウェアを作っています。

 

文化って、

ソフトウェアのプログラムに、決まっていますから、

みんなと一緒のハードウェアに、

みんなと一緒のプログラムを放り込めば、

目で見て、手で触って、耳で聞いて知る事実を、

みんなが、同じ夢のように見るのは、当たり前です。

 

電信や電話やラジオや映画やテレビだけでなく、

インターネットも、それをやっていますから、

言葉を使ったコミュニケーションや権力だけでなく、

目で見て、手で触って、耳で聞いて知る事実を使い、

科学技術が、それをやってるのに、決まっています。

 

数学や論理や事実や科学技術と聞けば、

目や皮膚や耳などの、知覚と同じように、

妄想や幻覚や支離滅裂などと言われる統合失調症の、

症状の一部なのに…と、わたしは、残念に思います。

 

お医者さんって、知的障害のようなものですけれど、

それを、持て囃すのが、

ここ数百年の流行文化ですから、

わたしも、それに乗って置きますけれど、

戦争になれば、目の前で、人殺しが起こっても、

日常茶飯の、当たり前の気持ちになるのと、

同じです。

 

季節や星空の移り変わりが、それなの。

人間の心が、変更不能になれば、

知的障害と言われるように、

数学の論理や、自然の規則性って、

精神の病気の、症状なのに…

 

山桃の実って、食べられます。

食用の品種があり、

栽培されて、商品化されていますが、

街路樹の実も、生(なま)で食べられます。

 

雌雄異株ですので、

雄木がなければ、結実しませんが、

街路樹には、雄木も、混じっています。

 

風媒花ですけれど、山桃の花粉症があるくらいに、

2~3kmくらいは、花粉が、飛んで行くそうです。

 

落ちた実は、踏み潰されて、

歩道が、黒く染まります。

雨が降ると、簡単に、色が落ちますので、

心配要(い)りません。

 

山桃の実の落ちる頃って、大好きです。

虫の入っていないのを、探して、

落ちた実を、つまみ食いします。

 

猩猩蠅(しょうじょうばえ)の幼虫そのものは、

食べても大丈夫ですが、

幼虫の中の寄生虫は、知りません。

 

       ***          ***