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アガパンサス 1594 精神疾患と、体形や動作や知覚

2014.07.19 15:00

近所の家の、

前栽(せんざい)を垣間(かいま)見ると、

アガパンサス。

 

ギリシャ語の、

アガペ agape 愛と、アントス anthos 花、とか。

 

うちにも、咲いていますが、

夏は、放ったらかしでも咲く花が、良い。

 

        ***          ***

  

マレーシアの民間旅客機は、

戦場の上空を、安全と判断したのかしら。

 

航空管制は、ウクライナ政府の責任と、思いますが、

戦場を通過しても、大丈夫と、

たかを括っていたのでしょうか。

  

ロシア人の分離独立を主張する軍事組織は、

上空のウクライナ政府の飛行機を、撃ち落とすと、

前々から言っていました。

 

民間の旅客機を撃墜した組織は、非難されますが、

民間機の飛行を、制限しなかったウクライナ政府や、

実際に飛行したマレーシア航空も、非難されます。

 

その前に、事実を確かめなければ、いけませんが、

戦場ですから、たぶん、藪(やぶ)の中になります。

 

騒動になれば、ロシアの得になりますので、

アメリカ合衆国や西ヨーロッパ諸国は、

経済制裁を行ないます。

 

それなら、必ずしも、ロシアの得になりません。

争いが激しくなれば、民族の種類にかかわらずに、

現場の住民が、損をします。

 

     似たような事は、ソ連が潰れた後の、

     ユーゴスラビアでも、起こり、

     ボスニア・ヘルツェゴビナの虐殺を、

     惹(ひ)き起こしました。

 

     ギリシャ正教徒のセルビア人と、

     ローマカトリックのクロアチア人と、

     ボスニアの多数派のイスラム教徒は、

     いずれも、同じ顔や体の見てくれと、

     同じ言葉の人たちですが、

     宗教と言われる血筋や思想が、

     違いました。

 

     宗教は、

     死んだ親や先祖を、祀りますから、

     改宗した当時の、居住地や、

     地位や財産や、殺し合いの状況などが、

     血筋に置き換えられて、忘れられます。

 

     宗派の教義や儀式が、伝えられるのに、

     改宗の原因の、怨みつらみは、

     伝えられません。

 

     和解と言うべきなのか、

     あほと言うべきなのか…

     お祭りやお葬式も、

     宗教により、執(と)り行なわれます。

 

     わざと、死者が出るくらいに、

     神輿(おみこし)を、荒っぽく担げば、

     興奮して、

     参加者の結束力が、高まります。

 

     軍隊に、身を投じて、同じ釜の飯を食い、

     一緒に殺し合いをした仲間と、同じです。

     スポーツのチームや、学校や会社なども、

     よく似た気持を、共有します。

 

     そのせいで、

     人殺しや戦争が、起きるだけでなく、

     普段から、その気持を高めるために、

     新聞やテレビの、記事や番組や、

     商品と言われる製造物やサービスが、

     宣伝されて、みんなに普及します。

 

     いずれも、血筋を表わしていますから、

     性交渉や生殖の、系譜ですけれど、

     最もわかりやすく、変更困難なのは、

     顔や体の、見てくれかも知れません。

 

     エステティックと言います。

 

     性別違和を訴え、性転換をする気持ちは、

     変更の容易なはずの、心の中身を、

     変更不能であると、主張することにより、

     変更困難なエステティックの違いを、

     強調します。

 

     動作の不器用さや、

     みんなと違う知覚の特徴にも、

     生まれつきの変更不能なものが、

     目立ちます。

 

     知覚が違えば、乳児の早い時期より後の、

     空間や時間の認識だけでなく、

     乳児の遅い時期より後の、論理の認識も、

     みんなと違って来ます。

 

     論理は、

     多くの人が、社会の支配者の認識と、

     違いますが、

     空間や時間の認識が、支配者と違う人は、

     それよりも少ない。

 

     性別違和は、囮(おとり)の気持ちなの。

     カムフラージュや、パルチザンのような、

     デモンストレーションと言っても、

     構いません。

 

     みんなと一緒のことが出来ずに、

     虐待される人のように見えますけれど、

     みんなと一緒のことの出来ない人を、

     虐待する人の、精神の病気を、

     患(わずら)っているかも、知れません。

 

     いずれが、原因や結果なのかと、

     一概に、言えませんので、

     類は共を呼ぶとか、共食いとかと、

     言われるように、

     社会の底辺に、集中する傾向があります。

 

     顔や体の見てくれの、みんなとの違いや、

     動作の不器用さや、知覚の仕方の違いなどは、

     揃い踏みをすることが、多い。

 

     みんなから、虐(いじ)められると、

     他人だけでなく、自分を食べます。

     他人と、たむろするだけでなく、

     自分の心の中に、たむろして、

     だんだんと、凝(こ)り固まり、

     変更不能な事が、

     癌(がん)のように、大きくなります。

 

ロシアとウクライナや、

セルビア人と、ボスニアのイスラム教徒などは、

仲良くやっていたり、

仲良くやらなければいけないと、思っていたりして、

お互いに、辛抱し合っていました。

 

ソ連政府や、ユーゴスラビア政府がなくなると、

自分たちと違う相手のことを、

辛抱しようとする気持ちが、なくなりました。

 

みんなが、一斉に駈け出して、

自分たちの領土を、取り合わなければ、いけません。

黙っていると、領土や土地や家が、なくなります。

 

お互いの違いを、

辛抱し合うとか、譲り合うとかの、気持ちが、

なくなります。

 

自動車の運転も、

いくら交通規則や、ビデオによる監視や、

警察官による取り締まりを、強化しても、

辛抱や譲り合いの、気持ちがなくなれば、

殴り合いの、殺し合いになります。

 

警察官の言うことなんか、

敵の兵隊の、言い草のようなものですから、

交通取り締まりの警察官に、呼び止められると、

頭を撃ち抜いてやるのが、一番です。

 

捕まれば、拷問を受けて、

死体を、海底に沈められますので、

捕まってはいけません。

1955年ぐらいまで、日本も、そうでした。

 

昔は、特高警察がありましたから、

当たり前ですけれど、

原爆に負けた後も、アメリカ合衆国の進駐軍に、

占領されていましたから、

敵の軍隊に捕まったのでは、

生きて帰れないと、覚悟しなければいけません。

当たり前です。

 

朝鮮戦争が起こり、

中国軍と、ソ連の作った北朝鮮軍が、

南に、攻めて来て、

日本の景気が、良くなりましたので、

アメリカ合衆国の、やりたい放題には、

世界は靡(なび)かないと、わかりました。

 

あほのマッカーサーが、解任されて、

日本人の心に、余裕ができました。

まんざらの奴隷でなく、中国や北朝鮮のように、

日本人も、

一矢(いっし)を報いることが、出来ます。

 

原爆にやられると、

一瞬にして、溶けてしまうのでなく、

死ぬつもりになれば、

毛沢東の持久戦論や、ゲバラの日記があります。

 

敵に寝返った自衛隊や警察官が、

哀れに見えて来ました。

 

三島由紀夫氏が切腹すると、

もう、自動車を運転しても、

辛抱をして、譲り合おう、という気持ちに、

なりません。

裏切り者の警察官に、命令される筋(すじ)合いは、

ない。

 

ウクライナのロシア人や、

ボスニア・ヘルツェゴビナの、セルビア人などは、

そう思っていたのかも、知れません。

 

民間の旅客機を、撃墜したり、

イスラム教徒を、虐殺したり、

武士道を訴えて、切腹をしたり、

性別違和を訴えて、性転換をしたりしました。

 

精神の病気ですけれど、

動作や知覚の能力や、顔や体の見てくれなどに、

生まれつきに現れています。

 

動作や、知覚や、体の形の違いって、

猿でも、わかる。

知能や、思想的な行為や、犯罪や、価値などは、

だれにでもわかると、限りません。

 

精神の病気の中でも、脳の器質に、

原因となる病変の、発見されない種類って、

生まれつきの、体を動かす能力や、知覚の能力や、

顔や体の、形の見てくれなどの、変更不能なものが、

みんなと違うせいで、だんだんと、苦しくなり、

虐(いじ)められて、孤立して、

だんだんと、気持ち良くなろうとします。

 

意識が低下するにつれて、

夢を見ているような言動を、

実行するようになります。

 

統合失調症の症状や性転換などは、それなの。

軽い発達障害から、枝分かれします。

 

治療法は、

体の、形や動かし方や、知覚の仕方などの、

変更不能なものを、差別しない教育を、

みんなに普及することです。

 

法律により、病気を禁止することを、

だんだんと、少なくすることです。

憲法や法律の、禁止していることは、

一つ残らず、病気の症状です。

 

自由な個人の意志があると、思うのも、

病気です。

 

教育が、病気の治療であると、言うのは、

あまりにも、漠然としていますので、

具体的に、病人の顔や体の見てくれを、

変形させようとするお医者さんもいます。

 

わたしは、逆効果になった患者さんが、多すぎると、

思います。

 

精神科医は、苦しくなった患者さんの気持ちを、

お薬を使わずに、和らげることにより、

意識の低下を、防ぐことができます。

 

性転換をしようとする気持ちは、

みんなに虐められている苦しさのせいで、

意識が低下しています。