Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

コスモス 1617 同じと、違うの、翻訳

2014.09.21 15:00

近所の公園の、秋桜(コスモス)です。

少し、山があるので、この感じになります。

海も、あります。

 

男と女の、両方があれば、便利ですけれど、 

わたしは、性分化疾患や性別違和で、ありません。

 

生殖や世代交代を、ぶち壊すと、

生物の体や脳は、変化に適応できませんので、

性別の文化の変更は、生存に差し障りがないように、

気をつけなければ、いけません。

 

当たり前のことを言うから、怒られるのですが…

 

コスモスやヒガンバナなどの、草花は、

背の低い品種しか、売れなくなりました。

これだけ低ければ、台風が来ても、大丈夫です。

 

        ***          ***

  

言葉って、

生物の能力の、一番てっぺんのほうにありますから、

通じていようが、いよまいが、

通じていると、理解することができます。

 

変更可能な枝葉(えだは)ですから、

使用する人数の、同音異義語により、成り立ち、

使用されるたびに、新しく定義されます。

 

コンピュータのマルペケ式の判断は、

日常言語に翻訳されますけれど、

わたしの若い頃の、パソコンは、

自分でプログラムを書かなければ、

動作しませんでした。

 

いくら、面白いプログラムを、書いても、

集積回路の中の、配線を変えることは、出来ません。

喉から手の出る気持ちを、抑(おさ)えるのって、

精神衛生に、良くありませんでした。

 

オウムの人たちも、やっていたように、

チップの外側の、電気部品や配線なら、

なんとか、自分で変更できました。

 

動物の脳は、

神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方を、

少しは、自分で変えることが、できます。

 

神経の樹状突起が、手を伸ばしたり、

化学物質を生産したり、

神経細胞の変性や壊死が、起こったりして、

生まれた後にも、成長や発達や病気などの、

運動や変化が、個体の内側に、現れます。

 

品種改良の結果は、受精の中身に現れますが、

品種改良は、

生まれた後の、他の個体や社会との、関係により、

個体の中の、運動や変化として、進行します。

 

その逐一(ちくいち)の途中経過が、

成長や発達や病気などと、言われる種類の、

個体の中の、粒々(つぶつぶ)の運動や変化に、

実況中継されているようなものです。

 

個体は、すべての人に共通の、翻訳のプログラムを、

使うことができるだけでなく、

人間は、自分だけのプログラムを、

作ることもできます。

同じ日常言語でも、

その意味の判断は、人により異なります。

 

通じないはずなのに、通じていたり、

通じるはずなのに、通じない言葉の不思議は、

言葉が、言葉により、評価されるからです。

 

情報処理って、階層構造になっていますけれど、

もっと、根本に近い所の、

殺したり、産んだり産ませたり、

怒ったり、自惚(うぬぼ)れたり、

蔑(さげす)んだりの、

日々の臓器の仕事や、行動や感情などにより、

コミュニケーションや権力を、評価しても、

同じです。

 

命(いのち)により、言葉を判断しても、

翻訳と言われるプログラムが、ある限り、

判断が、通じたり通じなかったりの、評価は、

個体の側の、プログラム次第(しだい)です。

 

翻訳って、

こっちとあっちを繋ぎ、これとあれは同じであると、

定義することです。

違うものを、同じであると、定義するのですから、

支離滅裂も、いいところですが、

同じも違うも、判断のマルペケの、

枝分かれや道筋(みちすじ)は、

個体の側にあります。

 

勝海舟の、行蔵は我に存す、のようなものかしら。

 

わたしたちの文化は、

みんなと同じ判断の個体を、繁殖させて、

そうでない奴を、間引いて来ました。

品種改良です。

 

直接に殺すだけでなく、

産ませるようにして、遠隔操作により、

個体の中身の、粒々の運動や変化を、

左右できますから、

統合失調症の人に、被害妄想が現れるのも、

もっともなことです。

 

この権力闘争を、コミュニケーションと、言います。

行為や感情や言葉などの、枝葉末節の役割です。

平和は、鉄砲を使わない戦争であると、

毛沢東は言いました。

 

離れ離れの心筋細胞が、

それぞれのリズムとテンポで、拍動していたのに、

一つにくっつくと、

同じリズムとテンポを、共有するように、

コミュニケーションの仕組みを、争うのは、

合従連衡や離合集散などの、権力闘争です。

 

コミュニケーションを保ち、

よく話し合い、意思疎通を図(はか)りなさいと、

表現します。

殺し合い、産み合い、間引き合いなさい、

と言うのと、同じです。

 

毛沢東が、そう言っていたように、

お釈迦さんやアリストテレスや、

物理化学やパスカルやデカルトや、

フランス革命や進化論や精神分析などの、

毎度お馴染みの、インドヨーロッパ文化の、

伝統的な考え方です。

 

性転換は、

ルイ16世の首を、ギロチンで落とすように、

たいへん、ロマンティックですけれど、

コンピュータが実用化された後に、行なうのは、

時代錯誤です。

 

コスモスって、

宇宙や秩序の、美しさの意味であると、

中学校の教科書に、書いてありました。

英語だけでなく、学術分類の、ラテン語の属名も、

そうなっていますが、

どうして、コスモス属だけを、秩序正しく美しいと、

名付けたのかは、よくわかりません。

 

植物には、花言葉みたいな命名が多く、

物事(ものごと)の名前は、

すべてが、そうでないかと、疑われます。

 

もちろん、言葉を使って、名前を付けなくても、

物体や、知覚や、感情や、行動などを使い、

名前を付けても、同じです。

 

神経や電線は、物体を使い、

こっちとあっちを繋ぎます。

言葉も、空気や光の、運動や変化です。

 

胎児が出て来るまでに、

内臓や組織や細胞の中の動作の、

プログラムのほとんどは、

変更不能になっていますが、

コンピュータのマルペケの判断の枝分かれと、

数学や日常言語などとの、翻訳のプログラムを、

わたしの若いころには、自分で書かなければ、

コンピュータは、機能しませんでした。

 

昔に、電信が実用化された時に、

たくさんの人が、

コンピュータのような脳の機能を、想像しましたが、

コンピュータとして、実証されたのは、

わたしの若いころでした。

 

面白くて、闇月(やみつき)になりましたけれど、

車の運転や整備のように、

社会の底辺の人の、仕事だなあと、思いました。

その後、性転換をした人に、

コンピュータのプログラマーになる人が、

少なくありませんでした。