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ポプラ 1642 原爆が落ちれば、見える事実も変わる

2014.10.16 15:00

公園のポプラが奇麗、というだけの写真。

近くに行きませんでしたので、

ヤマナラシ属 Populus としか、識別できません。

 

たぶん、山鳴らしや、泥の木と、思いますが、

遠くの姿の、写真判定ですので、自信はありません。

 

肉眼よりも、写真のほうが、詳しくわかりますが、

胸の高さの直径が、1mぐらいの、

結構な大木でしたので、

新しく公園が造成される前から、

自生していたのでしょう。

 

樹形と、白っぽく見える葉からして、

日本のポプラでないかと、直感しました。

ポプラは、葉の裏が、白っぽく光ります。

 

一般に、何本もの並木にしないで、

ポプラを、独立した観賞用の樹木として、

公園に植えることは、滅多にありません。

 

写真で見ると、上半分の枝の樹皮も、白っぽいので、

たぶん、そうです。

ポプラの中でも、白ポプラと言われるやつ。

 

明治以後に、欧米の苗を、盛んに輸入したのは、

黒ポプラでしたから、

写真は、日本産の白ポプラの、

ヤマナラシか、ドロノキかと、迷います。

 

ヤマナラシは、

ヨーロッパアスペン aspens(Populus tremula)と、

同じ種(しゅ)ですが、

北アメリカのアスペン(Populus tremuloides)とも、

似たようなやつです。

 

カナダでは、パルプにしますけれど、

日本では、もったいないので、家具にして、

残りは、割り箸にします。

 

紙ですと、また再生できますが、

割り箸でしたら、燃やされてしまいます。

紙のほうが、資源節約になるかも知れません。

 

中国のアスペンは、白楊と言いますが、

世界のヤマナラシは、温帯から寒帯にかけて、

広く分布して、

日本のヤマナラシは、その変種の一つですが、

泥の木は、

日本の中部以北や、樺太やカムチャッカなどの、

極東にのみ、自生します。

 

写真は、泥の木の可能性も、なきにしもあらずです。

 

幹が太くなると、カロリナポプラにそっくりの、

黒っぽい皺々(しわしわ)の樹肌と、

うちわ型の樹形になりますが、

白ポプラは、やはり、若い枝の樹皮が、白い。

 

ヤマナラシでしょうか、ドロノキでしょうか。

いつか、近づいて見ようと、思います。

遠くからの樹形だけでは、識別できませんでした。

 

       ***          ***

 

論理のわからない人が、たくさんいるのは、

小学高学年の、

初歩の算数や、国語の読解力の、問題を、

思春期以後の、中学生や成人に、解いて貰えば、

すぐにわかります。

 

人口の、80%ぐらいの人は、

新聞の社会面の、泥棒や火事の記事を読んでも、

話の筋(すじ)が、わかりません。

テレビを見ても、

泥棒や火事のニュースの、あらすじを、

理解できません。

 

それでも、御本人は、

理解していると、確信しています。

自信満々ですが、

中学校の試験のように、答えて貰えば、

やはり、中学生の時と、同じ成績です。

 

わかっていないのに、わかっていると、

思っています。

中学校の時に、成績が悪かったのに、

今は、わかるようになったと、思っています。

 

ほんとは、今も昔も、変わりません。

算数や国語だけでなく、

論理能力って、病気にならなければ、

一生、変わらないと、言われています。

 

赤ちゃんの時は、測るのが難しいので、

遅くとも1才頃に、論理能力が確定すると、

言われますが、

胎児の頃に、すでに、変更不能になっているかも

知れません。

 

世の中の80%の人は、論理がわからない、

と言っても、

他人と比べての、相対的な能力ですから、

もっと難しい問題でしたら、

世の中の1%の人しか、

論理がわからないかも、知れませんし、

もっと易しい問題でしたら

大多数の人が、論理を理解できると、

言うことも、できます。

 

新聞やテレビの、泥棒や火事の報道を、

理解できる程度の、論理能力って、

使いやすい目安(めやす)と、思いますが…

 

どうして、

人口の80%もの人が、あらすじを理解できないのに、

新聞やテレビや、役所や国会や裁判所などは、

わたしみたいに、

これこれならば、これこれである、という論理を、

振り回すのかしら。

 

どうして、論理がわからなくても、

社会や生活を、運営できるのかって、

昔に、どうして、言葉は通じるのかと、

たくさんの哲学者が、議論をして、

結論が出なかったのと、同じです。

 

論理って、無茶苦茶でも、言葉は通じるし、

役所の事務も、上手(うま)く行くのかも

知れません。

真理なんか、知らなくても、構わないように。

 

ライオンの社会も、上手く行っています。

論理が通じないので、暴動や革命の連続で、

ライオンの社会は、混沌として、

崩壊の危機に瀕しているとは、思えません。

 

人間に殺されたから、

ライオンは、暮らしにくくなったように、見えます。

 

ライオンなんか、言葉も知らないあほですけれど、

人間社会の80%の人と同じように、

論理でなく、

吠え声や、見てくれや、暴力などがあれば、

ちゃんと、社会の秩序を保つことが、出来ます。

 

人間は、鼻があほなので、

ライオンの臭(にお)いが、

どれくらいに、役立っているかって、

見当がつきません。

 

それと同じように、論理のわかる人たちに、

論理のわからない80%の、社会の底辺では、

感情や暴力が、どれくらいに役立っているかが、

わからないみたいなの。

 

論理が通用しませんから、言葉を使っても、

感情や暴力を、表現するだけなのに、

話が通じるのは、

まさに、社会の底辺と言うべき奇観です。

 

論理や事実に、照らし合わせれば、

嘘や誤解ばかりが、感情や暴力のように、

精神の病気や犯罪を、作っているかのように

見えますが、

別に、論理や事実が、価値の基準でありませんから、

感情や暴力を、拠り所にすれば、

病気や犯罪は、嘘や誤解でなく、

真心(まごころ)や真理かも、知れません。

 

オウムの麻原氏も、そう言っていたように、

聞こえました。

あの人は、あまり良く見えませんでしたけれど、

あまり良く聞こえない佐村河内氏も、似ていました。

 

試験をすれば、論理能力を、少しは測れますが、

事実を知覚する能力は、

論理能力に、一致しないかも、知れません。

 

少なくとも、視力や聴力と、かなり違うように、

わたしは、何度も経験しています。

 

何が事実であるかを、はっきりさせなければ、

事実を知覚する能力を、測れませんが、

事実として、知覚された内容が、

人それぞれであっても、あるいは、共通であっても、

脳の神経は、他人と、繋がっていませんから、

人と人との間で、知覚された内容を、

照らし合わせる方法が、ありません。

 

言葉で、伝えても、

言葉の意味が、人それぞれに、

違うかも知れませんし、同じかも知れません。

 

論理能力と、事実を知覚する能力は、

だいたい、一致するような気がしますが、

視力や聴力も、事実の知覚だけでなく、

論理能力に関与します。

 

人殺しや憎しみだけでなく、生殖の感情も、

論理の間違いや、嘘の事実が、原因ですから、

論理能力が高ければ、

人を憎んだり殺したり愛したりって、

面倒臭いことになりますが、人付き合いですから、

疎(おろそ)かにしては、いけません。

 

裁判官が、殺人犯人を、極悪非道と罵り、

死刑にすれば、

権力は、そうしたいのだろうと、

理解しておきますが、信じません。

 

孤立して、多勢に無勢になれば、殺されますから、

権力と同じ意見を、表示しておくのが、

無難であるのは、

一党独裁の中国も、バブル以後に沈没した日本も、

さして変わりません。

 

日本やロシアは、

伝統的に、大昔から社会主義ですので。

 

ほんとは、大阪教育大学附属小学校の、宅間氏を、

死刑にした精神科医は、

自分を、先に死刑にすべきでした。

 

論理能力のない人のほうが、圧倒的多数ですから、

箍(たが)を弛(ゆる)めれば、

ポルポトに殺されたお医者さんのように、

あっと言う間に、皆殺しにされてしまいます。

 

面倒臭いことに、ならないように、

ヒトラーを、

ちゃんと死刑にして置くべきであったと、

今も、主張する精神科医が、少なくありません。

 

ほんとは、ネオナチの青年を、

治療しなければいけないのに…

 

性転換医療が、治療になるのか、ならないのかって、

簡単でありませんけれど、

権力の言う事実を、尊重していないことが、

バレれば、

嘘や間違いの事実ばかりを、浴びせ掛けられて、

みんなに虐(いじ)められるのに、決まっています。

 

何が事実であるかって、

人それぞれの価値観と同じなのに、

目で見て、手で触って、耳で聞くように、

確かに知覚される仕組みを、

日本の権力は、教えません。

 

価値観のような、後天的なものは、遺伝しないと、

たくさんの人が、信じています。

品種改良は、価値観により、行なわれるのに。

 

仏教や物理化学や科学技術って、

日本人には、黒船や原爆でしたから、

仕方ないのかも知れませんが、

知覚の中身を、自分たちで作る社会のほうが、

唯物論的な事実を、知覚するように、

品種改良される人間よりも、良いと思います。

 

現代日本の文化の、大部分は、

欧米白人の見てくれになりたいと、

星に願いを懸けるような、人種差別の感情です。

論理もへったくれも、ありません。

原爆を落とされたのですから。

 

なんで、欧米の性転換の猿真似を、

日本人が美化するのかしら。

性転換の必要性なんか、

少しも感じていなかったのに、

突然、原爆が落ちたみたいに、

性転換を言い出す人たちが、

日本の歓楽街に、たむろするようになりました。