Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

サンシュユ 1649 患者と医師の、精神の病気

2014.10.23 15:00

山茱萸(さんしゅゆ)は、奇麗ですが、

食べられないので、面白くありません。

 

人間も、そう。

食べられない人間を、殺す時代が、

今に、やって来ます。

 

他人を食べてばかりで、お肉にならん奴は、

役に立たん。

ポルポトは、そういう人間を、殺しましたが、

奴隷にしたほうが、使い回しが効くのに…

 

殺して、お肉を食べるには、

まず、家族を殺すのが、

鳥や蟷螂(かまきり)のように、誠実ですが、

あいつらは、頭が悪かった。

 

自分の子供やうんこを、食べる生物は、

ごく普通ですが、

人間は、他人を殺しても、食べません。

 

殺さなければ良いのに、

日本国は、今も、殺していますし、

性転換医療は、他人の生殖機能を、壊します。

 

こき使えば、いいのに…

 

       ***          ***

 

性転換をする人たちは、

気持ち良さに、浸り続けなければ、

生きて行けませんが、

薬物の使用よりも、性的快感のほうが、手軽です。

 

異性という他人を使用するよりも、

異性装や、性器の整形のように、

自分を使用したほうが、手軽ですので、

性転換は、自作自演により、性的快感を得ます。

 

性器の整形って、

あまり、手軽でないような、気もしますが、

手術をするのは、お医者さんですから、

患者さんは、楽ちんです。

 

性転換医療を行なうお医者さんのほうも、

地位や身分の高さに、

自惚(うぬぼ)れる快感がなければ、

生きて行けない人たちですので、

性転換って、類は友を呼ぶように、

共食いをしているようなものです。

 

性転換をする患者さんと、

性転換医療を行なうお医者さんとを、合わせて、

一つの精神の病気として、纏めるのが、適切です。

 

個人主義の考え方では、

病気って、個体に宿りますが、

社会が病気になることも、あります。

性転換は、その例です。

 

     人間の個体の能力って、

     組み合わせが、物凄い数です。

    

     どうして、幾つかの特定の能力の、

     組み合わせを選び、

     優劣の序列をつけるのかって、

     疑問になります。

 

     お医者さんは、

     その序列の高い人たちですけれど、

     50才くらいまでは、

     無数の能力の、種類や組み合わせを、

     想像できません。

 

     子供を育てても、まだ、気づきません。

     自分の老化を自覚しても、まだです。

     命取りになる病気に罹って、

     初めて知りますから、あほです。

 

     気づかないように、

     自分で、仕向けているのですから、

     当たり前です。

     子供が、一流大学に行けば、

     気づかないでしょう?

     そのために、子供を教育しますから、

     麻薬やお酒を、

     飲み続けるようなものです。

     

     学校の成績が1番で、序列が高いと、

     自惚(うぬぼ)れることが出来ますから、

     危険です。

     統合失調症の、陽性症状や抗精神病薬も、

     そうですけれど、性転換も、そうなの。

 

     性転換をしたい人って、ようするに、

     見てくれが、異性に似ているので、

     自分を見るだけで、オナニーのように、

     性的快感に浸れますけれど、

     他人よりも、

     異性装が似合っていなければ、

     仮装行列になります。

 

     お医者さんも、そう。

     勉強をしなくても、

     学校で1番でなければ、

     自惚れを維持するのが、しんどい。

     

     IQは、当てになりませんが、

     まんざら、嘘八百の的外れでなく、

     現代人の言う賢しこさを、

     なんとなく、表わしています。

 

     IQ145ぐらいですと、

     お医者さんのプライドは、

     精神の病気と、言えるでしょう。

     東京大学の医学部の学生さんの、

     平均的なIQが、140台前半ですので。

 

     頭の良い大学の、学生さんが、

     学校の勉強を、学校の授業以外に、

     毎日4時間も、訓練していると、知り、

     わたしは、がっかりしたことがあります。

 

     序列の高い大学へ行けば、

     賢い学生が、一杯いると、

     期待していましたが、あほばかりでした。

 

     むしろ、知的障害や精神の病気の、

     療養施設の中に、

     賢い人が、一杯いましたが、

     刑務所の中と同じように、

     知能検査をしても、

     成績の低い人が、ほとんどでした。

 

     神戸の酒鬼薔薇君のように、

     精神の病気の人は、

     しばしば、賢いと、言われています。

 

     精神の中身の評価って、

     ただの流行の価値観ですから、

     精神が苦しく、自分や他人や社会を、

     ぶち壊さないでは、いられない人の、

     治療も、いろいろな価値観を、

     適当に混ぜ合わせるのが、1番です。

     

     病気の分類のように、

     さまざまな価値観を、

     ごちゃごちゃに混ぜるだけの、

     便宜的な処方のほうが、

     無責任で、よく効きます。

 

     責任能力なんて、あほです。

     無責任能力のほうが、よく効くのを、

     お医者さんが、わかるようになるのは、

     55才ぐらいになってからです。

 

     その頃には、

     序列が高くなくては、できない仕事を、

     若い衆に任せていますから、

     お医者さんも、お役御免です。

 

     外科医なんか、

     自分の手元も、見えませんから、

     指の刺(とげ)を抜くだけでも、

     孫に見てもらいます。

 

     人間は、そうして、賢くなります。

     大学の序列なんか、愚の骨頂でした。