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昭和記念公園 1684

2014.11.27 15:00

アメリカ合衆国軍の、立川基地のあった所ですが、

わたしは、基地の中の住宅に、住んでいました。

 

大学まで、遠かったので、電車賃がかかりましたが、

家賃がタダでしたので、住むことにしました。

知り合いの紹介でした。

 

文京区に下宿していましたから、

庭付き一戸建ては、天国でした。

 

池や山は、ありませんでしたから、

公園にする時に、作ったのでしょう。

 

自分の暮らしていた所は、懐かしいものですが、

昔の面影がなくなりましたので、

浦島太郎の気持ちです。

 

学生時代は、見渡す限りの、田んぼや畑が、

今は、住宅ばかりになっているのが、普通ですが、

飛行場と住宅が、奇麗な公園になっているのも、

また格別です。

立川のアメリカ合衆国空軍の、兵士のための住宅は、

朝鮮戦争の頃から、急速に需要が高まり、

基地の中だけでは、足りなくなり、

基地の外にも、住宅地を借りて、運営されました。

 

妻帯者用の、いわゆる米軍ハウスというやつです。

 

朝鮮戦争が終わると、

兵士の住宅は、基地の中だけで、

足りるようになりましたので、

基地の外の住宅は、徐々に撤収されて、

日本に返還されました。

 

むしろ、返還された後の住宅を、

米軍ハウスと、言うのかも知れません。

 

新左翼の学生が、好んで住みましたから、

南京大虐殺を訴える中国人が、

日本製品を好むのに、似ています。

 

今は、日米の所得が、あまり違いませんので、

老朽化した米軍ハウスに、

日本人が住みたくなる理由は、ありません。

 

中国も、そう。

日本と中国の、個人の所得格差がなければ、

日本製品を、崇拝しないでしょう。

 

わたしの住んでいた家は、

昭和公園になるまで、返還されませんでしたが、

今も、横須賀に暮らしています。

 

京都の病院に住んでいた時も、そうでしたが、

畳の部屋がなかったのに、

靴を脱ぎ、床に寝転がっていました。

そのほうが、楽でした。

 

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