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クヌギの枯葉 1698

2014.12.13 15:00

日本の代表的な落葉樹ですが、

わたしの子供の頃は、

調理や暖房のための、燃料が、

まだ、薪(まき)や炭でしたから、

櫟(くぬぎ)は、日本を代表する天然資源でした。

 

これがあったから、

日本は、中国や韓国のように、なりませんでした。

他国に、侵略されなかったの。

 

当然、モンゴルのフビライが、

漢民族や朝鮮民族を、動員して、

日本を攻め取ろうとしたのも、

これが欲しかったからです。

大相撲が、欲しかったので、ありません。

 

薪や炭の、豊かな生活。

まるで、クウェートやアブダビの、

オイルマネーの栄華みたいに、見えました。

 

うちの父が、戦争の時に、

朝鮮半島から中国大陸を、行軍しましたが、

歩兵は、自動車でなく、文字通りの徒歩でした。

 

父は、広東省の珠江の河口の、広州市まで、

歩きました。

香港の近くです。

 

朝鮮や中国は、見渡す限りの、禿山ばかり。

朝鮮人や中国人は、みんな裸足。

中国の兵隊は、鉄砲や軍服がない。

 

これでは、日本軍と、まともに戦えません。

これが、元寇の頃から、ずーっと、そうでした。

 

インダス文明が滅びたのは、

樹木を切り倒して、燃料がなくなったから、 

という学説があるでしょう?

 

石炭や石油を、利用するようになったのは、

最近のことですから、

日本の明治維新が成功したのは、

薪炭(しんたん)と下肥(しもごえ)の、

お陰(かげ)でした。

 

1970年頃まで、日本は、

よく発酵したうんこやおしっこの香りに、

輝いていました。

 

わたしの子供の頃の、

1950年代の住宅街でしたら、

都会の真ん中でも、

車は、ほとんど走っていませんでした。

荷物自転車の時代です。

 

三輪オートバイみたいな、

ミゼットが走るようになり、

時代が変わったと、わたしは、感慨深かった。

幼稚園に、通(かよ)っていました。

 

薪や炭の、代表的な樹木が、櫟(くぬぎ)です。

こいつを、絶やさないように、山を維持しました。

封建主義って言われる社会制度です。

ヨーロッパの、馬を使った三圃(さんぽ)農業に、

匹敵しました。

 

江戸時代になると、

平野の田畑に、下肥農業が発達しましたので、

中国や朝鮮に、決定的な差を付けました。

 

樹木の世代交代を、大切にしましたから、

伐採したままにしないで、

殖(ふ)やして、こき使います。

奴隷制の一種と、マルクス主義者は言います。

 

フランス革命は、

農奴を、都会の工場で、こき使うために、

貴族を、伐(き)り倒しましたが、

日本の明治維新は、

一生懸命に、新しい貴族を、移植しました。

 

落葉樹なのに、櫟(くぬぎ)の枯葉は、

春まで、枝にくっついたままです。

葉の付け根に、離層が作られません。

 

どうしてなのかと、議論するのが、

植物の好きな人たちの、酒の肴(さかな)です。

 

右下の紅葉は、錦木(にしきぎ)です。

 

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