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仙台 1700

2014.12.15 15:00

わたしは、函館や神岡で、生まれ育ちましたが、

大阪や東京の生活が、長く、

最近は、横須賀に暮らしていますので、

別に、寒さに強くありません。

 

寒いのは、大好きです。

昨日の仙台は、昼間でも氷点下でしたが、

夜になってから、暖かくなりました。

変な天気でした。

 

一昨日(おとつい)は、女子駅伝をやっていました。

テレビで走っていたので、

外に出ると、やっぱり走っていました。

 

こういう脳みその仕組みって、好きだなあ。

たくさんの人が、わたしと同じ気持ちでしたので、

電信を使ったコンピュータを、作ろうとしました。

 

コンピュータやインターネットを見れば、

わかるように、事実は、必要ありません。

金本位制でなくても、良いのに、似ています。

 

事実が在ると、想定するのは、

伝えられている情報を、ぶち壊したり、

伝えられていない情報を、

大切にしたりするためです。

 

価値と言われるやつですが、

こっちとあっちや、これとあれを、

結んだり、くっつけたりするために、

どうしても、二種類の情報が、必要なの。

 

弁証法と言われるやつですけれど、

情報を変化させるための、手です。

変化を認識するためと、言っても、同じ意味です。

 

事実と言われるものがあるって、想定すれば、

物事(ものごと)が、変化します。

 

伝えられた情報だけの、

コンピュータやインターネットの、世界とは別の、

事実と言われる架空の世界を、想定すれば、

嘘や変化のある豊かな情報を、

嫌(いや)と言うほど、堪能することができます。

 

嫌になれば、二足歩行を止めるように、

伝えられた情報だけの世界に、

立ち止まることも、出来ます。

 

伝えられた情報でない情報があると、言われても、

伝えられていないものを、どうやって知るのかしら。

嘘と言われても、伝えられた情報に、

なんで、嘘と本当の、二種類があるのかって、

摩訶不思議です。

 

どうすれば、伝えられていない情報とやらを、

知ることが出来るのかしら。

事実と言われる世界を、想定すれば、

伝えられていない情報を、知ることが出来ると、

教えられます。

 

神樣がいる、というのと、どう違うのかしら。

伝えられていない情報を知るって、

要するに、誰かにとっての、嫌な情報をぶち壊して、

好きな情報を、他人に吹き込む方法と、

同じでないのかしら。

 

事実を想定するのは、他人と争うためです。

 

インドヨーロッパ文化の特徴は、論理主義ですけれど、

弁証法と言ったほうが、よくわかるかも知れません。

目で見て、手で触り、耳で聞く知覚が、

そもそも、情報を変更するための、手段です。

 

知ることは、

ぶち壊して、別のことを、作るようなものですから、

消化に、似ています。

情報を食べているのに、事実を知る、と言うのは、

変(へん)な文学です。

 

神樣は、ご先祖さまに、決まっていますから、

事実を知るって、情報を食べて、世代交代のように、

その組み合わせを、変更します。

事実は、真実や真理や理想などに、似ています。

 

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