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悲田院 1716 お正月は我が家で

2014.12.31 15:00

悲田院は、地名として、

大阪や京都に、伝わっているだけでなく、

お寺の名前としても、残っています。

 

昔の悲田院に、入院した人たちと、

現代の、精神の病気の人たちとは、

よく似ているかも、知れません。

性別違和を訴え、性転換を望む人たちも、

例外でないような、気がします。

 

性転換医療を受けても、要領良くなりませんから、

たいていは、体を壊したぶんだけ、往生します。

 

生活の困難が、増えるにも、かかわらずに、

当人の気持ちが良ければ、それが一番でないかと、

主張する人もいます。

 

お酒の依存症も、そうですが、

犯罪の加害にも、被害にも、

巻き込まれ易(やす)くなり、

社会の底辺の事情を、

嫌(いや)と言うほど、知る人生に、なるでしょう。

性転換が、尼崎事件のようでしたら、

本人たちだけが、知らないかも知れません。

 

酒飲みでも、性格を慕われて、

世間の人情の良さが、わかると思うのは、

甘酒のように、甘い。

 

フーテンの寅さんを、持て囃す人たちが、

ちょっとした嫌(いや)な奴を、

単刀直入に殺す人たちであるのは、

山谷や釜ヶ崎の風俗を見れば、わかります。

 

やっていないのに、やったと言われ、

証拠がないのに、決定的証拠があるって、

みんなに笑われます。

 

社会が、冤罪や証拠や嘘や間違いばかりで、

成り立っているのは、

お医者さんや法律家の世界も、同じなの。

 

論理がわからなければ、

やってはいけない事が、わからないだけでなく、

為(な)すべき事も、

類推できるわけが、ありません。

 

どんぐりの背比べですから、

論理も、支離滅裂の一種でしたら、

わたしたちに、求められているのは、

好き嫌(きら)いを超えて、

誰にでも、共感できる能力かも、知れません。

 

笹井さんや小保方さんも、そう言っていました。

 

好き嫌いを、超えることなんて、出来るのかしら。

論理や科学技術や知覚の仕組みは、

去年に、説明済みですから、

今年は、どうでも良いのですけれど…

 

人間に近いほうの、哺乳類の半分ぐらいの種類の、

感情って、人間が解釈しても、大きくは違いません。

 

ライオンは、

お腹(なか)の空(す)いている時でも、

噛み殺した人間を、食べません。

お腹が一杯の時でも、殺します。

 

人間のことを、食べ物と、思っていませんから、

殺す理由は、腹が立つからに、決まっています。

 

縄張りを荒らされると、黙ってられない。

性転換医療を行なう人たちも、そうかも知れません。

  

動物はお肉だから、人間も食べ物であるなんて、

論理的な思考は、通用しません。

 

ニホンザルは、食べたことのない木の実を、

食べずに、餓死します。

その実を、子供の頃に、食べたことのある個体は、

お腹一杯に食べて、満足ですが、

食べたことのない個体は、真似(まね)ができずに、

餓死します。

 

猿は、ライオンよりも、人間に似て、

賢いそうですが、

かなり、性転換に似ているでしょう?

人間の中でも、

半数くらいの、論理能力の低い個体は、

ニホンザルに似ています。

 

論理って、科学技術を作るよりも、

他の個体に共感する能力に、近いの。

数学者を見れば、

ニホンザルよりも賢いと、わかります。

 

今年は、感情で行きますから、

論理や知覚よりも、性別違和に接近して、

2週間に1度くらいは、接触したいと、思います。

 

賀正。

 

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