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フッキソウ 1741 殺したい気持ち

2015.02.02 15:00

まだ、蕾(つぼみ)ですが、3月に咲きます。

白い玉は、去年の花の実です。

冬になってから、白くなります。

 

よく見ると、

先っちょに、2本の角(つの)があるのは、

雌しべの先端が、2本に分かれていたからです。

 

ツゲ科ですが、高さ30センチぐらいの匍匐性です。

日陰の湿った土地に、ゆっくりと育ち、

挿し木や株分けにより、

地面を覆(おお)うくらいに、簡単に増やせます。

 

穂状花序ですが、上のほうは、雄花ばかりで、

下のほうに、雌花が、少しだけ付きます。

 

いずれも、花びらはありません。

 

ツゲ科 Buxaceae って、日本に自生しているのは、

柘植(つげ)と、富貴草(ふっきそう)だけみたい。

 

Buxus ツゲ属 の、柘植は、boxwood ですけれど、

ラテン語の、puxas 箱 から、来ています。

ツゲ科の木を使い、箱を作りました。

 

富貴草の、Pachysandra フッキソウ属は、

ギリシャ語の、pachys 太い、andros 雄しべ から、

来ているそうです。

雄花の、4本の雄しべの花糸が、白く目立ちます。

 

病気に強く、

日陰の湿った土地には、持って来いの日本情緒です。

どうして、

湯川氏や後藤氏は、乾燥したかったのでしょうか。

 

何も、血を流さなくても…

 

        ***          ***

 

名古屋大学の女子学生が、人を殺したくなったのと、

湯川氏や後藤氏が、シリアに行きたくなったのと、

うつ病の人が、性転換をしたくなるのって、

似ています。

 

うつ病は、自分のせいに、したくなるように、

悔(く)やむ人が、多いのに、

人を殺したくなったり、シリアに行きたくなったり、

性転換をしたくなったりって、

正反対に、思うかも知れません。

 

うつ病は、発病前に、几帳面であるだけでなく、

攻撃的な人が、少なくありません。

自分を、攻撃してしまいます。

 

統合失調症も、そう。

他人の苦境を、思い遣(や)れずに、

やっつけようとするので、被害妄想が出ます。

 

知的障害の人は、

みんなに虐(いじ)められるので、可哀相ですが、

御本人に任せると、弱い子を虐(いじ)めます。

 

弱い奴なら、だれでも良かった、とは、

冤罪を作るための、警察官や検察官の、作文に多く、

捜査当局の人生観を、よく現しています。

 

精神の病気の人を、虐(いじ)めるのは、

精神の病気と、同じですから、

社会の底辺と、言われます。

 

人のことを、あほと言う者が、あほであると、

わたしは、父から教わりました。

父は、IQ70の知的障害でした。

 

他人を助けるのは、悪い奴を助けるのと、

必ず同じです。

良い人を助けるなどと、

悪いことを考えては、いけません。

性転換医療であるまいし。

悪い心臓だから、治療をするのに、決まっています。

 

体が病気になれば、みんな、心が悪くなります。

わたしは、自分の体が痛く苦しければ、

他人の心の痛みを、思いやりません。

 

自分が、痛く苦しい時に、

他人を思いやるのは、たぶん精神病です。

 

母親は、自分が死に掛けなのに、

子供を心配するように、

体が、痛く苦しければ、頭がイカレます。

 

植物も、自分が苦しくなれば、

繁殖をして、子孫を大切にします。

頭がありませんから、当然です。

 

溺れている時は、助けに来た奴にしがみつき、

そいつを、沈めてしまうぐらいに、

藻掻(もが)くのが、正しい。

救助してくれる人を、沈めれば、自分も死ぬのに、

体が、勝手に動きます。

 

生物は、みんな、自動的に動いているのに、

なんで、人間だけは、本人が動かしているように、

錯覚するのかしら。

 

きっと、論理のせいです。

体や社会の仕組みを、理解できないので、

苦し紛れに、心や自由や責任などと、

言い出しました。

 

科学技術や数学を使えば、

何かがわかると、思っている奴は、あほです。

デカルトやパスカルみたいですけれど、

元を糺(ただ)せば、

お釈迦さんのような、古代インドの考え方です。

 

子供が生まれたのに、ラーフラと名付けて、

出奔しました。

修行の障害、という意味です。

自分の子供に、そんな名前を付けるって、

ろくでもない奴ですけれど、

ほんとに、生まれつきの障害者であったのかも

知れません。

 

後藤氏の赤ちゃんも、生後3週間でした。

なんでシリアへ行かんと、あかんのかって、

湯川氏を助けなければ、いけません。

 

変だなあ。

戦争の訓練って、

死ぬのを、恐いと思わなくなるように、します。

昔の日本も、今のイスラム国も、兵隊は皆、そうです。

 

上官の命令は、絶対ですから、

理由や原因を、わかろうとしては、いけません。

鉄砲を持った連中が、自分勝手に判断したのでは、

軍隊や国家で、なくなります。

 

自分の命を、自分で心配しない人生って、

麻薬的に、気持ち良いそうです。

 

イスラム国も、そう言っています。

欧米の青年を、リクルートするための、謳い文句。

みんな、気持ち良くなり、

満足な人生に、輝いている。

 

欧米の有識者は、イスラム国の嘘と、言いますが、

わたしは、本当と思います。

 

昔の日本人も、

天皇陛下の神の国に、命を捧げる自分を、

誇りに思いました。

 

神国日本を疑う奴なんて、1%も、いませんでした。

 

イスラム国や大日本帝国の兵士や、

欧米の志願兵だけでなく、

一々、自分の命を心配していたら、

生きていられない境遇の人たちは、

皆、酔い痴(し)れているようなものです。

 

湯川後藤両氏や名古屋大学の女子学生も、そう。

彼らから見れば、そうでない人たちのほうが、

麻薬に酔い痴れているのかも、知れません。

 

彼等には、リストカットのように、

血の滴(したた)る殺し合いが、救いなのに、

どうして、平和な日本の、健常な人たちは、

血を流さずに、陰険に、引導を渡して、

自殺をさせるように、

弱い者を、虐(いじ)めて間引くのが、

幸せなのかしら。

 

わたしは、どちらも、世界の風俗のように、

それぞれの価値と、思いますが、

生まれつきの素質に、

偏(かたよ)りのある人たちには、

イスラム国の首切りのほうが、良かったり、

日本の、社会の底辺の、

類は友を呼ぶ共食いのほうが、良かったり、

するのかも知れません。