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リキュウバイ 1805 宇宙の、星と心

2015.04.06 15:00

花冷えですけれど、

うちの近所の、染井吉野(ソメイヨシノ)は、

咲き終わりました。

 

このごろは、公園に、山桜を植えませんので、

日曜日に、八重桜しか、残っていないかも。

 

利休梅(りきゅうばい)も、バラ科ですが、

溢(あふ)れんばかりに、咲きますから、

千利休が好んだと、思えません。

 

明治の末に、中国から輸入されました。

 

       ***          *** 

 

生物の体や心が、

変更可能から、不能になることが、

時間と言われる知覚の仕様に、現れています。

 

過去は、変更できませんから、

老化のせいで、死ぬのでなく、

変更不能になったことを、時間が来たと、

言い訳(わけ)をします。

 

そのために、

目で見て、手で触り、耳で聞く知覚の中身に、

具体的に修飾された姿を、老化と言います。

 

知覚による修飾は、文学の手法に似ていますから、

老化と同じように、

物の認識が、レトリック(rhetoric)であると、

わからなければ、いけません。

 

物になることと、老化することが、同じように、

科学技術は、体に心地よい文章のようなものなの。

 

固体や液体よりも、気体のほうが、

少ない量の物でありながら、活発に変化するのは、

当たり前です。

 

心は、気体のような物であり、

体や社会は、気体の集団が、凝り固まり、

固体のように、変更不能になったものです。

 

水の流れのように、器を選ばない液体よりも、

泡沫(うたかた)のような、気体のほうが、偉いと、

インド人は考えました。

 

水で、火を消すよりも、泡で消すほうが、賢い。

 

お釈迦さんだけでなく、インドから向こうの人は、

だいたい、似たようなことを考えます。

 

ペルシャが、

ソグディアナ地方を、抑えていましたので、

昔の中国人は、

ペルシャの向こうに、インドがあると、

想像しました。

 

インドとギリシャ・ローマが、

一緒くたになりましたので、

達磨さんは、インド人と言われていますが、

禅宗の考え方は、キニク派やストアの思想に、近く、

欧米人に受けるのは、当たり前です。

 

インドかぶれの、仏教の中でも、

ヨーロッパかぶれの、甚(はなは)だしい禅宗は、

論理中心主義の人生観を、禅と言いますから、

日本の俳句の、地球の裏側に、当たります。

 

心は、気体のようなものですから、

魂と言われれて、空に昇るように、消えやすい。

 

なぜ、化学物質は、気体のように不安定なものから、

固体のように、変更不能な物に、

変わりやすいのかしら。

 

宇宙も、そうですが、

少量でも、敏感に作用する化学物質が、

大量の、重く固い地球のような、星になります。

 

生物は、その途中にありますが、

脳や体の器質に、原因となる病変の、

発見されない種類の、精神の病気の中でも、

慢性的や進行性に推移するものの、ほとんどは、

少量の化学物質に、機敏に反応せずに、

重たいドアを押すように、ちっとも動かないのに、

一旦動き出すと、制御できずに、

もの凄い勢いで、壁にぶつかり、

建物をぶち壊してしまいます。

 

統合失調症や

癲癇(てんかん)や鬱(うつ)病だけでなく、

性別違和を訴え、性転換を実行する人たちや、

性転換医療を行なうお医者さんたちも、そうなの。

 

性転換医療は、

患者さんとお医者さんが、似たような素質です。