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オオバボダイジュ 1849 神話のような人生

2015.05.20 15:00

菩提樹や科(しな)の木などの、

他のシナノキ属(Tilia)の種(しゅ)と、

識別しなければ、いけませんが、

関東から西で、街路樹になっているのは、

大葉菩提樹でしょう。

 

業者が、大量に生産していますから。

 

品薄(しなうす)の樹種を、街路樹に使う公務員は、

税金泥棒かも知れません。

 

この木を植えても、良いことがあると、

思えませんが、

お釈迦さんに肖(あやか)り、人気があります。

 

あれは、印度菩提樹(Ficus religiosa)ですから、

イチジクの類なのに…

 

シューベルトの菩提樹(Lindenbaum)は、

シナノキ属ですから、この写真の仲間です。

 

シナノキ属の樹木を、

だれが最初に、イチジクの類と間違えて、

菩提樹と名付けたか…

 

中国の誰かですが、

臨済宗の栄西が、それを信じて、

日本の寺院に、普及しました。

 

わざと、嘘を吹聴されたのかも、知れません。

多民族社会や遊牧社会でなくても、要注意です。

 

イスラム国の後藤君も、

騙(だま)されたと、言っていたそうですが、

世の中は、嘘や間違いでなければ、

噂(うわさ)や迷信や裏切りなどしか、ありません。

 

眉に唾を、塗らなければ、

牛や豚や鶏のように、解体されます。

 

本当のことって、ただの定義なのに…

 

知覚が、そう。

体と言われる物体を使い、変更できないように、

固く定義されています。

流行文化が、ブルドックやダックスフンドを、

品種改良した要領と、同じです。

 

ブルドックやダックスフンドのような奴が、

間違いなく存在していると、仮定したほうが、

便利でした。

 

包葉が、へら形なので、印象的です。

 

        ***          *** 

 

人は、現実のほかに、

現実でないことを、想像できなければ、

生活ができません。

 

論理や数学のように、

何々ならば、これこれであると、

条件を付けて、想像される内容は、

もちろん、現実でありません。

 

飛行機の操縦士になるために、

シミュレーションの機械を使い、

何度も練習をしますが、

現実でないことを、現実の中に作りますから、

ややこしい。

 

シミュレーションの機械や練習が、現実でない、

というわけでありませんが、

現実でないことを想像するために、

現実の中に、専用の施設を作ります。

 

架空の出来事や、想像の中身などと、

現実とを、区別するだけでなく、

何段にも分けて、部分的に切り替えが、できるように、

現実の中を、細かく分類しなければ、いけません。

 

夢の中身は、なかなか、制御できませんから、

わたしの責任でありませんが、

現実の中身は、もっと、制御が難しいから、

お目出度い。

 

夢や思いのほうが、本当で、

現実は、それを表現したり、

準(なぞら)えたりしますから、

マルクス・レーニン主義や唯物論などと、比べれば、

本末転倒しています。

 

統合失調症だけでなく、精神の病気には、

妄想や幻覚や支離滅裂などと、

表現される精神症状の、出る人が、一杯います。

 

健常な人の心と、同じなのに、

どうして、精神の病気なのか、という理由が、

お目出度い。

 

現実は、これこれならば、という仮定や条件などの、

想像の中身が、知覚されたものなのに…

 

目や手や耳が、想像を知覚するためにあると、

思えない人は、あほかも知れません。

 

みんなが一致すれば、

現実の認識の対象として、知覚されることを、

わたしたちは、

目や耳や手などの、架空のものが、実際にあると、

表現します。

 

ばい菌の時代から、人間は賢(か)しこかった。

 

みんなが一致した中身って、

コミュニケーションによりますけれど、

目や手や耳により、直接に知られた中身と、

違うでしょう?

 

他人と、神経が繫がっていませんから、

知覚の中身が、他人と同じであるはずがない。

 

同じと定義されたものだけが、同じなの。

全然違っていても、

同じと定義されれば、同じですから、

わたしたちが、みんなと共通であると、

自覚している具体的な知覚の中身が、

人それぞれの、体の部分と部分の、

個人的なコミュニケーションのための、

便宜であっても、一向に構いません。

 

これやあれなどの、相互の関係が、他人と同じなら、

一回限りの、自分だけの、特殊な知覚の中身は、

個人的な妄想であっても、差し障りがありません。

自由なの。

 

他人と同じ関係って、

ようするに、みんなと同じ体の仕組ですから、

エステティックです。

 

論理や数学と、言う人もいますが、

科学技術のように、

目や手や耳により、知られるしかないものは

精神の病気の症状と、似たようなものです。

 

わたしは、中学生の頃に、カミュの異邦人を読み、

太陽が眩(まぶ)しかったから、マンマを殺したと、

読解しました。

 

小学5年に、古事記を読んだ時も、そう。

天照大神(あまてらすおおみかみ)が、

裸踊りをしたので、

天岩戸(あまのいわと)が、開きました。

 

わけのわからぬことを、言うなと、怒られますが、

わたしにとっては、

論理や数学や知覚や科学技術や

進化論や精神分析やコンピュータなどが、

体や星空の神話と、同じなの。 

 

この星と、あの星を、線で結んで、

ギリシャ神話の物語を、作るでしょう?

コンピュータのプログラムを見ると、

それと同じ気持になります。