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チュウサギ 1878 精神の病気や障害か、無実の人か

2015.06.18 15:00

そのへんの田畑を、うろついている鷺ですが、

あぜ道の向こうで、見え隠れしていました。

 

カメラを向けると、飛び立ちましたので、 

帰宅して、写真判定すると、

嘴が黒く、目先が黄色の、中鷺でした。

 

       ***          *** 

 

統合失調症の人の、

精神の病気の素質は、治らないと、

言われれば、自殺しなければいけないと、

思うらしいの。

 

そんなことはありません。

 

精神の病気と言われるのは、

みんなと一緒のことができないので、

権力の言うことを、聞けずに、

みんなに虐(いじ)められるからです。

 

殺されますから、奮い立ち、

みんなと一緒のことをしようとするのは、

当たり前ですが、それが癖になれば、

ドーパミン云々(うんぬん)になるのも、

当たり前です。

 

ドーパミンは、

虐められたから、そうなるのに、

ドーパミンのせいで、

統合失調症になると言うのは、

典型的な権力の言い草です。

薬屋さんの、お金儲けなの。

 

知らないことに、好奇心を催さずに、

忌避する気持ちが、強いだけでなく、

すでに知っていることは、

変更不能になるくらいに、すごく執着しますから、

賢いのか、あほなのか、わからないのは、

よくある発達障害の症状ですが、

みんなと違う、というだけです。

 

統合失調症の人は、動作と知覚の異常が、

連動しているかも知れません。

 

視力や聴力は、簡単に測れますが、

視覚や聴覚や動作の、異常の中でも、

知的な脳の機能によるものは、

価値観により、異なりますから、

客観的に測るのは、困難です。

 

みんなと一緒のことができないのを、

測るしかありません。

 

特定の判断や動作などが、

変更不能になるのは、

みんなと一緒であろうが、

それができないのであろうが、

似たようなものなのに、

みんなと一緒でないほうは、

みんなに虐められますから、

生まれつきの障害や病気として、

保護してあげなければなりません。

 

みんなに殺される代わりに、

みんなの代表の、権力に殺されますが、

その時は、殺されるのでなく、

保護されると、言われます。

統合失調症のお薬の処方が、その典型です。

 

大阪教育大学の宅間守君や、

オウムの麻原君などを、

後藤君や湯川君と、同じくらいに、

よくやった、と言うと、怒られますから、

言いません。

 

たくさんの無実の人を殺した奴を、

なぜ、褒めるのかと、怒られますけれど、

宅間君は、殺された小学生たちが、

けっして無実でないと、必死で訴えていました。

 

権力に育てられて、

みんなと一緒のことをする子どもたちですから、

みんなと一緒のことのできない人を、

殺そうとするのは、当たり前です。

 

宅間君や麻原君の、障害や病気や犯罪も、

当たり前なのですが、言えば怒られます。

 

平均的な小学生は、

顔や体の、形や動作に現れなければ、

精神の障害や病気を、理解できません。

 

宅間君が、小学生を殺したのは、

動作に現れたのですが、

必死に、小学生にも理解できる動作に、表わしたのは、

よくやったと、褒められるべきです。

 

小学生になって、

顔や体の、形や動作に現れない精神の病気を、

だれにも教えられずに、ひとりでに理解できなければ、

たぶん、だれに教えられても、

死ぬまで理解できません。

 

論理能力と同じなの。

生まれた後に、能力が向上することは、ありません。

 

精神の病気は、色を知覚するのと同じように、

直感的にわかります。

考える必要は、何もありません。

みんなと一緒のことができなければ、

精神の病気になりますから。

 

みんなと一緒でない奴を、識別する問題って、

知能検査にあったでしょう?

捻(ひね)くれた形が、並んでいて、

一つだけ違いますが、どれも、向きが違っています。

 

全体を見渡して、違っている奴を、見つけ出すのは、

ちっとも苦しくなく、楽しいお遊びのようですが、

みんなよりも、能力が低ければ、

みんなに虐(いじ)められますから、

すごく苦痛になります。

 

論理能力って、そういう能力なの。

平均的な小学生の論理能力は、

顔や体の、形や動作に、

大きな違いが、現れていなければ、

精神障害を識別できません。

 

みんなと一緒のことが、できない奴を、

識別できませんが、空間的な形の違いだけでなく、

動作の違いは、これこれならば、これこれって、

いわば、時間的な形のような、

くっつきかたや繋がり方の違いですから、

ちょっと複雑です。

 

どこまで、おおまかに現れれば、違いに気づくかって、

知能や、その中の、とりわけ論理能力と同じです。

 

生まれた時に、すでに向上できないように、

変更不能になっています。

 

平均的な小学生の知能が、

顔や体の、形や動作に現れなければ、

精神障害を理解できないのなら、

宅間君が、小学生にもわかるように、

ちゃんと、殺してあげようとしたのは、当たり前なの。

 

みんなと一緒になろうとした努力の、必死の成果です。

それがわからないくらいに、知能の低い人は、

無実の子供に報復したと、糾弾するでしょう。

法廷の弁明からして、

宅間君自身が、そう誤解していた可能性が、高い。

 

裁判官のあほは、言うまでもなく、

彼を死刑にした精神科医は、情けない。

 

宅間君が小学生たちを殺したのは、

性転換医療と同じように、典型的な共食いなの。

 

うちの父は、IQ70の知的障害でしたが、

人のことを、あほと言う者が、あほであると、

死ぬまで、言い続けていました。

精神障害者を差別虐待するのは、

必ず精神障害者ですから、一筋縄で行きません。

 

みんなと一緒のことが出来ないのを、

虐(いじ)めるのは、考え方の違いでなく、

知能が低く、精神障害の症状ですが、

多勢に無勢ですから、あほのほうが強いのは、

法律家や政治家を見れば、よくわかります。