コナラ 1941 障害者を、たえず間引いて行く社会

2015.09.01 15:00

小楢(こなら)や櫟(くぬぎ)は、

どんぐりよりも、炭(すみ)が大切ですが、

薪(まき)や炭を、使わなくなりましたので、

樹皮のわからない写真を、

平気で撮るようになりました。

 

欧米の薪でなく、日本の炭として、燃料にするのは、

なかなか、賢いのですが、

どうして、炭が薪よりも賢いかって、

わかりますか。

 

まだ、暑い季節なのに、火の話をすると、

怒られそうですから、やめときますが、

炭の文化って、肥(こえ)の文化に、似ています。

 

小楢は、炭の、主たる原料でした。

 

火鉢に、炭を入れて、4畳半の冬を過ごすって、

わたしの子供の頃は、普通でした。

台所では、消し壺に入れて、消し炭を作って置きます。

 

まだ都会でも、台所は、土間(どま)でした。

炭や薪を、使いますから、板の間は、不便で危ない。

 

小学校へ行くと、石炭ストーブでした。

大阪では、カンテキに豆炭を入れて、調理しました。

 

夏は暑く、移動式の簡易竈(かまど)やカンテキを、

道端に出して、夕御飯を作りましたから、

隣近所が、皆一斉に、井戸端会議をしながら、

長時間を過ごします。

 

洗濯も、そうなの。

昔の主婦は、育児のほかに、調理や洗濯や裁縫に、

1日の、ほとんどの時間を、費やしました。

 

そういう時代が、

京都や大阪では、1000年以上も続きましたから、

日本特有の、横並びの人情になりました。

 

樹木や水が、豊富ですと、

欧米の、遊牧由来の社会と、文化が違って来るのは、

当たり前です。

 

いわゆるモンスーン気候の、温帯の農耕社会って、

中国から、こっちですが、

大陸でないのは、日本だけです。

 

生活を大きく左右する自然条件の、

めぼしいものを、簡単に組み合わせただけで、

日本ならではの文化が、出来上がるって、素朴です。

 

他の自然条件の文化を、強制されなかったので、

精神障害者を殺す人情にも、

日本独特の、風情(ふぜい)や情緒が、あります。

 

老人の病気を、治療するのは、

早く殺すのと、よく似ていますから、

精神障害者の世話が、人殺しと同じでも、

一々驚いていたのでは、生きてられません。

 

     ***          *** 

 

性転換をする人たちの、精神の病気の悲しさは、

みんなと一緒のことの、出来ない障害者を、

虐(いじ)める奴らの急先鋒が、

性転換医療を行なうお医者さんであるって、

気づかないことです。

 

生殖機能を壊したいと、言い出す病気や、

壊してやろうと、言い出す医療って、

似たもの同士の、共食いでないかと、疑われますが。

 

どうして、害敵に、助けを求めたのかしら。

統合失調症もそうですが、精神の病気の多くが、

自殺や自滅や自傷や共食いの、症状になります。

 

敵味方を識別できなくなり、

いつか、どこかで、だれかが、助けてくれると、

期待します。

結局、共食いになるのかも、知れません。

 

免疫機能が壊れれば、そうなりますが、

抗体に見つかれば、抗原は破壊されるのに、

自分から、カミングアウトをします。

 

昔の戦場では、蛸壺(たこつぼ)を掘り、

黙って、隠れていれば、

頭上を、戦車が通り過ぎて行くのに、

一人でに恐くなり、

大声を上げて、蛸壺から顔を出してしまいます。

 

     健常でしたら、海で溺れかけても、

     だれかが、助けてくれると、

     期待しないほうが、良いのかも。

 

     タイタニックの沈没では、

     女子供(おんなこども)に、

     救命ボートを譲った男性が、

     たくさん、いたそうですが、

     海に浸(つ)かった人は、

     みんな死にました。

  

     氷の海でしたから、当たり前ですが、

     殺し合いをしなかった理由は、

     すぐに死ぬのを、知らなかっただけとか。

     

     今も、そうですが、格好を付けるために、

     命を落とします。

     真田幸村は、名を残すために、

     命を惜しみませんでしたが、

     性転換も、それなのかしら。

 

     自分が死んで、子供を生かすのも、

     不思議な風習です。

     子供を撃ち殺して、若い親が生き残るとか、

     年老いた母に、死んでもらい、

     壮年男子が生きるとかが、合理的なのに。

     

     海で溺れても、

     海岸に漂着するには、どうすれば良く、

     何日後や何秒後に、死にそうかって、

     計算したほうが、賢明かも。

 

     泳ぐ前に、そのつもりをして、

     海に入るべきです。

 

     山で遭難したのに、

     助けを待たずに、動けば、

     かえって危ないと、恐れる人は、

     弱みを曝(さら)せば、

     必ず、他人に付け込まれることを、

     知らないのかも知れません。

 

     年寄りの一人暮らしを、

     不特定多数に知られれば、

     高い確率で、強盗に狙われます。

     一人暮らしの女の子が、

     男物のシャツを干すって、よくある話です。

     

     山で遭難して、助けを求めれば、

     お金の入ったリュックだけを、

     持ち去られるかも、知れません。

 

     遭難しなくても、

     崖っぷちで出会った知らない奴に、

     突き落とされるかも知れないって、

     いつも用心して置きます。

 

     バイクを運転中に、歩行者と一緒に、

     堤防から転がり落ちると、

     赤ちゃんの頃からの、股関節脱臼を、

     事故によるものとして、

     診断書を突きつけられます。

 

     その診断が、インチキであると、

     他の医者が、宅間君や麻原君のために、

     証言してくれる可能性は、低い。

 

     病気って、幾つもの、原因や症状や素質が、

     重なっているだけでなく、

     犯罪や悪意や偏見なども、

     重なっているのが、普通です。

 

     お医者さんや法律家の中には、

     偏見でない知見が、あると、

     信じている人も、少なくありませんから、

     世の中は、精神病の症状と、同じです。

 

     わたしは、小学4年生の時に、

     1人で海に入り、台風の高波に呑まれて、

     遠い沖合に、

     引っ張り出されそうに、なりました。

 

     5階建てのビルよりも、高い波に乗り、

     3時間も、エレベータみたいに、

     上下させられました。

 

     やっと、海岸の岩場に、辿(たど)り着き、

     歩いて、海水浴場の砂浜まで、戻ると、

     台風の高波のために、遊泳禁止の旗が立ち、

     誰もいませんでした。

 

     空っぽの海の家の、時計を見ると、

     泳ぎ始めてから、15分しか、

     経(た)っていません。

 

     15分が、3時間に化けたのか、

     3時間が、15分に化けたのか、

     それが問題でした。

     

     もしかしたら、5階建てのビルの波は、

     人の背丈ぐらいだったかも。

 

     それでも、波の谷底に、

     引きずり込まれると、 

     真上の空しか、見えなくなります。

 

     谷底になったり、尾根になったりして、

     エレベーターで上がったり下がったりの、

     体の感覚でした。

 

     溺れる恐れがなければ、

     気持ち良いのですが、

     ライフジャケットや浮き輪も、

     ありませんでしたから、死にそうでした。

 

     海水浴場では、アルバイトの大学生が、

     傘付きの脚立の上に、座っているでしょう?

 

     わたしが、砂浜に帰って来た時に、

     誰もいませんでした。

     沖で溺れかけているのに、

     帰ってしまった大学生は、

     職務怠慢も、いいところです。

 

     波に引っ張られたり、

     放り上げられたりしている間に、

     必死に、海岸に戻ろうとして、

     左足のふくらはぎが、吊り、

     太ももや腰が吊り、

     最後に、右足も吊り、泳ぐと言うよりも、

     海の中で、一生懸命に、

     筋肉を引き伸ばしていました。

 

     腰を、どのように捩(よじ)れば、

     痙攣している筋肉が、伸びるのかは、

     なかなか難しかった。

 

     水道水のプールでしたら、沈んでいますが、

     海でしたから、両足が吊っても、

     浮いていられました。

 

     最後は、岩場にぶち当たらないように、

     波を利用して、手だけで、

     体を磯に、乗せ上げました。

     傷ついたイルカの気持ちでした。

 

     歩きながら、体を点検しましたが、

     ケガは、ありません。

     早く砂浜に帰らないと、服がなくなる…

 

     海の家の、時計を見ましたが、

     服は、浜辺の松の根元に、置いてあります。

     わたしの服を盗るあほが、

     いませんでしたから、良かった。

 

     ヒッチハイクで、自宅まで帰りました。

     往(い)きも、そうでしたが、

     ジュース1本も飲まずに、

     何も食べずに、帰宅しました。

 

     いつものことですが、

     小学4年生ですから、貧乏でした。

     小遣いを使うのが、もったいなかった。

  

誰も、助けてくれません。

医者や精神障害者は、浜の真砂(まさご)です。

お互いに擦(こす)れ合い、傷つけ合って、

同じような大きさの、粒々(つぶつぶ)になります。

 

性転換医療を行なう医者には、

患者と、似たような症状が出ています。

基本的には、同じ病気です。

 

薬物に依存した精神状態が多いのは、

言うまでもありません。

 

似たようなことが、統合失調症でも起こります。

抗精神病薬や抗不安薬や抗癲癇薬や抗鬱薬などの、

薬剤の使い方だけでなく、

病状の把握が、差別虐待の加害者の考え方を、

よく表わしています。

 

気違いを、みんなで、誂(からか)ったり、

やっつけたりするのは、おもしろい。

みんなでなければ、ちっとも面白くない。

 

嬲(なぶ)り者にするには、

みんなでやるのが、一番です。

仕返しをされる恐れが、ないから。

 

じつは、社会生活の目的は、

協業や分業や生殖だけでなく、

みんなと一緒のことの、出来ない奴を、

殺して、間引くことです。

それが楽しくなければ、社会人でありません。

 

イジメを無くそう、などと言っている学校の先生は、

あほの典型ですから、

性転換を実行する患者さんやお医者さんに、

似ています。

 

社会をなくして、生きて行けるワケがないから、

性転換をして、間引いたり間引かれたり、

共食いをしています。

 

     宇都宮病院事件のように、

     昔からの典型的な、

     精神病院の中の、虐(いじ)めは、

     もちろんですが、

     大阪教育大学の、たくさんの小学生を

     刺し殺した宅間守君の事件や、

     オウムの麻原彰晃君の事件などの、

     精神科の対処法が、

     あきらかに、最近の日本の急速な右傾化の、

     流行の最先端を、引っ張っていました。

 

     経済が、海の底に、沈んだままですから、

     合理化を、急がなければいけません。

     三島由紀夫氏のように、

     軍隊の真似(まね)をする奴は、

     真っ先に間引かれました。

 

     合理化の合理主義って、

     不用な奴を、間引くことですが、

     アリストテレスや自然科学などの、

     論理中心主義と、ほとんど同じ意味です。

 

     個人主義であることが、

     インドヨーロッパの、

     一般的な論理中心主義と、違います。

 

     彼が、女の子の服を着せられて、

     育てられたように、

     軍隊や侍(さむらい)の真似をして、

     切腹をする気持ちと、性別の関係は、

     いずれかの性別の心でなく、

     いずれにも適応できない心を、

     表わしています。

 

     性別の心って、流行文化ですから、

     こいつに適応できないのは、一般的に、

     変わり身の、鈍(にぶ)い奴です。

 

     女の服を着たり、軍隊や侍の真似をしたり、

     極端から極端に替わるくせに、

     丁度良い所に、微調節できない素質って、

     統合失調症になりやすい素質と、同じです。

 

     妄想や幻覚や支離滅裂などの、

     統合失調症を表現する文学は、

     健常な人にも、

     一般に当て嵌(は)まる傾向が

     ありますから、

     ちっとも精神病でありません。

 

     微調節が、出来ない素質って、

     変更不能に、なり易(やす)いのと、

     同じですが、

     そのへんに、同類のあほが、一杯いるのに、

     どうして、

     あほの中に、混じって行けないのかって、

     わざと、みんなと一緒になるのを、

     拒んだからでないかと、疑われます。

 

     権力の教えた日本国憲法や

     科学技術の教科書を、

     本当に信じたのでしたら、

     これを助けなければ、

     権力者の面子(めんつ)がないが、

     統合失調症だけでなく、

     精神の病気って、自分よりも弱い人を、

     踏み躙(にじ)りますから、

     社会の底辺の、共食いを、

     よく表わしています。

     

     性別に、関係ありません。

 

     みんなの流行と一緒に、上げ下げされて、

     波に乗る気持ちが、

     精神の病気では、共通して発達不良ですが、

     自分が、弱い者虐(いじ)めの張本人って、

     ヒトラーの自殺みたいなものかしら。

 

     三島氏は、共食いだけでなく、

     高度経済成長の終わった後の時代を、

     敏感に表現していました。

 

     最近の警察の、やくざをやっつける運動も、

     典型的な共食いですが、

     お世辞にも、時代の最先端とは、言えない。

 

     警察や検察の官僚は、

     やっぱり、頭が悪いんでしょうか。

     尻馬に乗っています。

 

     最近の大学生は、

     自警団のようなボランティア活動に、

     夢中になりますが、

     インドの大学生は、昔から一貫して、

     そうでした。

 

     ダリットと言われる不可触賤民が

     入学して来るのを、

     猛烈に反対するのが、大学生です。

 

     日本の青年たちも、やがて、そうなります。

     精神科に通院している奴や、犯罪者を、

     やっつけるのは、

     昔から、自治会の仕事でした。

 

     犯罪者や精神障害者の家を、

     こことここと、指摘して、見回ります。

     警察官と一緒だったり。

 

     わざわざ、そこで立ち止まり、

     声を揃えて、火の用心を、唱和したり。

 

     論理能力が無いって、

     わかり切っている人たちを、

     裁判員にするのは、

     誰にとって、得なのかしら。

 

     一般的に、頭の悪い人たちは、

     重罰を支持しますが、

     牢屋に入れられるのは、圧倒的に、

     頭の悪い人たちが、多い。

 

     裁判員制度って、

     精神の病気や自治会や社会の底辺に、

     似ています。

     共食いに気づかないのは、

     お医者さんに虐(いじ)められているのに、

     お医者さんを慕う気持ちのようなものです。

     

     全人口の95%の人は、

     判決文を、理解できません。

     意味がわからないのに、病識がなく、

     自分の理解は、絶対に間違いないと、

     確信しています。

 

     学校時代に、何百回と繰り返しても、

     この確信が、間違いであると、

     学習できませんでした。

     全人口の95%でなく、

     100%でしたら、どうしよう。

 

     ポルポト氏のやりかたですと、

     日本のお医者さんや大学生を、

     全員、殺さなければいけませんが、

     自治会を殺せるかしら。

 

     ヒトラーやスターリンも、そうでしたが、

     大和武尊(やまとたけるのみこと)の

     ように、

     その種(しゅ)の気持ちを、実行した人は、

     現代日本の精神科医だけでなく、

     たくさんいました。

 

     みんなと一緒のことの出来ない奴を、

     どうするかって、宅間君や麻原君や、

     性転換をする人たちだけでなく、

     お医者さんや政治家や自治会も、

     ポルポトやヒトラーと、

     同じようなことを、やっていますから、

     自業自得と、言えないわけで、ありません。

 

     自分と一緒のことをしない奴を、

     どうするかって、自分たちの日常が、

     精神の病気や、精神科の医療に、

     表れて来ますから、性転換は端的です。

     思慮の短い跳ね上がりとか、頭が悪いとか…

 

子供の頃の、わたしの周囲は、

わたしが、上の学校に進学するたびに、

4時間も5時間も、毎日毎日、

個人的に受験勉強をしなければ、

一流大学の医学部に

入学できないあほばかりに、なりましたので、

わたしは、あほの分別や所業を、

嫌(いや)というほど、知らされました。

 

多勢に無勢ですから、

とりあえずは、みんなと一緒の中に、

足場を固めて置かなければ、仕方ありません。

     

わたしの血縁の家系が、

造船や製鉄や山林などを、家業として、

一族の病院や療育療養施設を、

経営していただけでなく、     

父は、IQ70の知的障害でしたので、

父の統合失調症の症状を、出さないようにするのが、

わたしの、日々の家庭生活のようなものでした。

     

家庭では、困ったり驚いたりすると、

統合失調症の中でも、かなりの重症の症状が、

頻繁に出て来ましたが、

その症状が、精神科や療育施設の中で、

当たり前に見られるだけでなく、

一般社会の健常な成人にも、

まったく同じように出ていることに、     

小学低学年の頃に、気づきましたので、

精神の病気の構造は、どうなっているのかと、

とても不思議でした。

 

安全で、安心していると、

精神の病気って、症状が出ないものです。

 

     父は、軍隊で、

     どうして、症状が出なかったのかしら。

 

     若さの元気も、あるかも知れませんが、

     一般には、軍隊のように、

     目的が単純で、手段を選ばなければ、

     個体ごとの、思考や行動の、能力の差は、

     ほとんど、生活の支障になりません。

 

     どうせ、死ぬつもりでしたら、

     気違いであろうが、なかろうが、

     一緒ですが、

     みんなと一緒でいることが、大切なの。

 

     戦争の現場の、頭の悪い人ばかりのほうが、

     父には、居心地が良かったようです。

 

     兵員を配属するには、頭の悪い奴ばかりを、

     纏(まと)めるように、粒を揃えると、

     安心出来るのかも、知れません。

 

     統合失調症や

     GID(性同一性障害)も、そう。

     世間一般の人には、

     論理や理念などが、ないほうが、

     暮らしやすい。

     憲法は、無駄かも知れません。

 

     大部分の健常な人に、論理能力が無いのは、

     試験をすれば、すぐにわかりますが、

     理念って、何かしら。

 

     論理法則の規則性は、

     自然科学や数学や科学技術などの、それに、

     だいたい、一致します。

 

     その規則性を、誰が作ったのかって、

     論理能力の高い人の、知覚の仕方に、

     一致していますから、

     権力者が、品種改良をするように、

     作って来たのに、決まっています。

 

     嫌(いや)な奴を、殺して、

     間引いて来ました。

     

     犯罪者や障害者のように、

     みんなと一緒のことのできない奴は、

     権力者にとって、嫌な奴ですが、

     論理能力の無い大部分の成人にとっても、

     嫌な奴なのは、理念が無いからでしょうか。

     

     権力者の理念を、流用しているから、

     社会の底辺は、共食いになるのかしら。

     

     精神障害者を、虐(いじ)めてはいけない。

     そういうスローガンだけでも、

     世の中は、住みやすくなるのに、

     宅間君や麻原君を、やっつけた精神科や、

     小学生や地下鉄の乗客をやっつけた彼らは、

     やっぱり、共食いでした。

 

     それに比べて、

     後藤君や湯川君は、よくやった。

     日本政府は、積極的に、

     彼らを救出すべきでした。