モチノキ 1956 生まれつきと経験の、規則性の違い

2015.09.15 15:00

ありきたりの庭木ですが、

赤い実を、付けていましたので。

 

一斉に赤くなるのでなく、一つ一つ赤くなりますから、

順番が、気になります。

 

先のほうの実から、赤くなるのでしょうか。

実(み)は、上のほうでも、

その実のついている枝が、下のほうから伸びていると、

色付くのが、遅いのかも。

 

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精神の病気のことを、

絶対に、これこれでなければ、いけない、

という気持ちのせいで、

そうでないことを、受け入れられないと、

表現することが、あります。

 

変更できないとか、融通が効かないとかと、言い、

変更しなければ、切り抜けられない状況に、

遭遇すると、精神的なストレスを、感じて、

いわゆる精神病の症状が、出て来ます。

 

脳を含めて、

そのように、変更を受け入れられない体の仕組みが、

自分の心と、感じられるので、

お釈迦さんは、自分とか、心の自覚とかってのは、

執着であると、言いました。

 

物と物の組み合わせが、

特定の体の仕組みと、言われる状態に、固定されて、

変更不能になることを、

周囲の圧力に、抵抗していると、測定します。

 

物の組み合わせが、周囲に抵抗しながら、

そのように計測していますので、

人間は、計測装置付の、物の組み合わせであり、

自分と言われる執着した心の自覚は、

計測器の仕業(しわざ)かも、知れません。 

 

マルペケの判断を記憶して、

特定の組み合わせのプログラムと、照合しています。

 

特定の状態を維持するように、

最初から、プログラムされているだけでないかと、

疑われますので、

ブルドックやダックスフンドの品種改良のように、

社会の流行文化により、

特定の生まれつきのプログラムが、作られたのなら、

すっきりと理解できます。

 

知覚は計測器であり、知覚の中身は、

計測値のマルペケの組み合わせであると。

 

特定の状態の、変更を迫るような、周囲の圧力って、

他人や社会だけでなく、

自分の体の重さも、そうかも知れません。

 

なんで特定の状態を、維持しようとするのかって、

責任であると、フランス革命は言いました。

神様の代理人の王様から、解放されて、

個人が自由になるには、

一人一人に、責任能力がなければ、いけません。

 

体と言われる物の組み合わせの状態が、

ころころと変わったのでは、責任をとれない。

今日の自分は、昨日の自分と違うので、

なんで、昨日の自分の責任を、

今日の自分がとらなければ、いけないのかって、

責任が、接着剤のように、

一定の状態に、個体を保っていると、

個人主義は言います。

 

そうでなければ、個人の自由を、得られなかったのが、

フランス革命の、屁理屈の事情でした。

 

変更不能のガチガチの物の塊(かたまり)に、

一人一人の人間を、固定しなければ、

個人の自由を、獲得できなかったのは、

パスカルやデカルトやモンテーニュのような連中が、

あほだったから、かも知れません。

 

ほんとは、貴族が囲い込んでいた奴隷のような、

小作の農奴を、解放して、

都会の工場で、こき使わなければ、

大英帝国の産業革命に負けるので、

ルイ16世の首を、切り落としました。

 

それを正当化するために、

自由と責任の、屁理屈を持ち出すのは、あほですが、

軍隊の命令みたいに、一律のあほで固めないと、

論理能力のない連中を、こき使えなかった。

 

産業革命を起こした科学技術が、

6000万人のインカ帝国を、

180人の鉄砲で撃ち殺したピサロの心のように、

間違っていたのに、決まっています。

 

自由や責任だけでなく、お釈迦さんの頃からの、

インドの戦争中心主義が、

ギリシャの論理中心主義になり、

欧米の個人主義の文化を作りました。

 

数学や物理化学や科学技術の考え方って、

進化論や精神分析などに、よく表われています。

 

わたしが、

極端な例を考えて、仕分けの見当をつけると、言えば、

誰かが、

区切りの中間みたいな、わかりにくい例を、考えて、

仕分けをすると、答えました。

 

仕分けの区切りを、小さくすれば、

極端な例も、中間みたいな例も、同じなのに、

論理能力が低ければ、ただのレトリックの違いと、

気づきません。

 

等高線の地図を見て、

山の地形が、立体的に思い浮かぶけれど、

特定の地点から見える周囲の地形が、

立体的に思い浮かばない人も、いますし、

ハンキングコースを歩けば、

周囲の眺望が、コロコロと変わって行くのを、

動画のようにシミュレートできない人も、います。

 

生まれつきの空間把握能力の有無だけでなく、

優劣の差がありますが、

その山を、立体的に想像する能力と、

周囲の山を、立体的に想像する能力と、

動画のように眺望の変化を、想像できる能力は、

それぞれ別の能力であると、すれば、

それぞれの能力は、

有るか無いかの、マルペケになります。

 

デジタルもアナログも、同じことを言っていますが、

生まれつきの論理能力が低ければ、

学習して、初めて気づきます。

 

生まれつきに、特定の規則性を、直感する能力と、

経験を学習して、規則性を習得する能力とは、

同じでありません。

 

コンピュータでしたら、

ソフトウェアって、わりと変更できますが、

ハードウェアの能力は、変更不能なことが、

少なくありません。

 

自由と責任って、ソフトとハードの違いなの。

 

ソフトウェアが、言語で書かれたプログラムのように、

レトリックにすぎないのなら、

ハードウェアも、そうに決まっていますが、

物体になれば、変更が難しくなるのは、

元気がないから、かも知れません。

 

太陽は、物体ですけれど、元気がありそうでしょう?

すべての変化の、原因のように、見えます。

 

物体のほうが、活発に変化するのなら、

精神分析を始めた人たちの考え方は、

逆立ちをしていました。

 

グルジャ(ジョージア)のヨシフ・スターリンは、

そう言いましたが、

200万のロシア人を殺しましたので、

なかなか元気でした。

 

GID(性同一性障害)の人は、

自分や他人に、弱みを見せれば、助けてもらえると、

思っていますが、

余計に、虐(いじ)められるのに…

性転換医療が、それなのに、性転換をする患者さんも、

性転換医療を行なうお医者さんも、気づいていません。

 

何万人ぐらいまで、行くのかと、

予想を立てたくなります。