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私市(きさいち)の吊橋 1961

2015.09.20 15:00

大阪市立大学植物園を見たついでに、

生駒山地の、星田(ほしだ)園地という公園の、

ハイキングコースを歩きました。

 

遊園地のような、280mの吊橋を渡ると、

なかなか恐い。

それなのに、だれも、怖そうな顔をしていませんから、

不思議でした。

 

吊橋へ行く手前に、森林鉄道風歩道橋というのがあり、

谷の片側に、木製の桟道(さんどう)のように、

張り出しています。

 

人が歩くと、揺れるだけでなく、

谷の反対側を、自動車が通るたびに、揺れますので、

吊橋と同じくらいに、平衡感覚が変調になり、恐い。

 

それなのに、だれも、恐いと言いませんが、

揺れていることに、気づかなければ、

恐くならないのは、当たり前です。

 

まず、気づいて、

次に、自分だけが、揺らす原因でなく、

他人や車も、揺らすので、規則性を把握しにくく、

適応が難しい。

 

振動や揺らぎに、気づかない人は、恐くありませんが、

気づいても、適応できなければ、恐くなります。

 

船酔いや乗り物酔いのように、

単純な規則性でしたら、適応しやすく、

宇宙飛行士の訓練の、

ぐるぐる回りのカプセルや椅子に、乗せられると、

コンピュータの乱数の規則性を、把握できませんから、

吐き気を催す人が、ほとんどです。

 

わたしは、船酔いや乗り物酔いを、

経験したことがないだけでなく、

宇宙飛行士の訓練でも、気分が悪くなりませんでした。

 

吊橋の揺れは、だれでも気づきますが、

桟道の揺れを、

わたし以外の人は、だれも気づきませんでした。

 

吊橋は恐くて、仕方ありませんでしたが、

2度、往復すると、慣れました。

 

桟道の揺れは、都会の歩道橋の揺れよりも、

遥かに小さいのですが、みんなが歩きますし、

対岸を、自動車も通りますので、

規則性を把握できませんでした。

 

そういう時は、平衡感覚の感度を、わざと落とします。

そうすれば、

揺れに気づかない人と、同じになりますので、

恐くなくなります。

 

吊橋も、そう。

みんなと同じくらいに、

鈍感(どんかん)になって置けば、

ちっとも、恐くありません。

 

ガード下の騒音でも、ぐっすりと眠れるのは、

規則性を把握しやすいからか、それとも、

感度を落としたからでしょうか。

 

フィルターを付けるのは、

特定の規則性を、取り除く意味ですが、

一般的な感度を、落とすのは、あほになることです。

 

人間が進化したのは、

測定機能が分化して、賢くなったのか、それとも、

感度が鈍(にぶ)くなり、あほになったのか、

よくわかりません。

 

ソクラテスやパスカルのように、

人間を、賢いと思うのは、あほです。

 

わたしたちは、神様の子孫ですから、

神話や聖書を読めば、あほに決まっていると、

わかりますが、 

数学や科学技術が、レトリックであると、

わからない奴は、共食いから逃れられないだろうって、

お釈迦さんは、推測しました。

 

後藤君や湯川君と、同じ目に、遭(あ)うそうです。

 

吊橋の下の、枯れている木は、

小楢(こなら)でしょう。

カシノナガキクイムシのナラ枯れと、思われます。

 

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