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ニラ 1972 ウルグアイ空軍機571便遭難事故

2015.10.01 15:00

夏の野菜なのに、今頃でも、まだ咲いています。

 

水路のほとりの、一人生えですが、

葉を食べるよりも、花を見るほうが、美しい。

 

わたしは、飢え死にしないように、

植物の名前を、覚えましたが、

人の名前を覚えるのも、

似たようなことかも、知れません。

 

     ***          *** 

 

1972年10月13日に、ウルグアイのステラマリス学園の

ラグビー部員と支援者を乗せた空軍機が、

アンデス山脈に墜落しました。

 

チリのサンチアゴに、行く途中でしたが、

パイロットは、すでにアンデス山脈を越えて、

チリ領内に、深く入ったと、勘違いしていましたので、

平地の上空の、雲の中の、夢のような気分でした。

 

実際は、アンデス山脈の真っ只中(ただなか)を、

飛んでいましたので、

高度が足りずに、稜線に衝突して、

翼をもがれた胴体が、斜面を滑り、

標高4200mの雪の中に、停止しました。

 

氷食谷の上部の、小さなカールの底のような、

やや平坦な地形です。

斜面は、アルペン風の急傾斜ですので、

岩肌の、剥(む)き出している所は、

登山道のような、洒落たものがなければ、歩けません。

 

傾斜が緩ければ、雪が豊富でも、

雪崩(なだれ)の巣窟に、決まっています。

 

飛行機の胴体も、墜落の17日後に、雪崩に埋まり、

新たに8人が死亡して、

雪の下に3日間も、閉じ込められたそうです。

 

日本と同じくらいの緯度ですから、

南半球の10月から12月は、

1500~2000m以上が、雪に覆われて、

3000m以上の谷底は、真夏でも雪が溶けずに、

高い所から、大量の雪が、滑り落ちて来るのでしたら、

氷河になっていたかも、知れません。

 

現場は、稜線のすぐ下でしたので、

地球温暖化のせいで、

氷河を作るほどの、雪の量で、ありませんでした。

 

グーグル地図を見ると、

昔の氷河地形が、残っていますが、

1972年頃は、世界共通に、

現在よりも、万年雪が多かったはずです。

 

わたしは、シエラネバダやコロラドの山々と、

青春の輝きを思い出して、寂しくなりました。

 

生存者のうちの、元気な2人の青年が、

稜線を越えて、雪の多い西側に、下りましたが、

チリ領は、日本のように、雨や緑が多く、

標高の高い所まで、牧草地が伸びています。

 

東側のアルゼンチンは、乾いていますが、

山の麓に、水が湧きますから、町や村があります。

 

どちら側に降りて、救助を求めるかは、

悩ましいところですが、乗員乗客とも、

飛行機は、すでにアンデス山脈を越えて、

チリ側の平地から、山に衝突したと、

思い込んでいましたので、

稜線を越えて、西へ降りるべきと、判断しました。

 

72日後に、2人が、チリの牧童に発見されるまで、

16人の生存者は、新鮮な死体を食べていました。

 

山の夜は寒く、体力を消耗しますので、

日本の絶食療法のように、

水さえあれば、2週間は大丈夫、というわけには、

行かなかったでしょう。

 

10日目に、死体を食べる決議をしたそうですが、

良いタイミングでした。

 

技術的や事務的に、手順の良い方法を選び、

合理的に食べるのは、

精神の病気の人や、社会の底辺の人たちには、難しい。

 

みんなと一緒のことの、出来ない人が、

権力にしがみつかなければ、頭が悪いと言われて、

間引かれて行くのは、当然ですが、

社会の底辺は、尼崎事件のように、

共食いが普通ですから、権力者は、手を汚しません。

 

将来に精神の病気になる人は、乳幼児の頃から、

明らかに、気が弱く、

みんなと一緒に、いつもと同じことを、しなければ、

解けない数学の問題に、出食わしたように、

すぐに、正気を失います。

 

乳幼児の頃は、みんなと一緒に出来ても、

学校へ行くと、競争をさせられますので、

孤独は避け難く、

気持ちは、闇を彷徨(さまよ)います。

 

小鳥は、卵から孵(かえ)った瞬間に、

弱いやつが、兄や姉に突っつかれて、

巣から落ちて死ぬのが、普通です。

 

一番最後に、孵化すれば、みんなよりも、体が小さく、

殺されるのに、決まっています。

兄や姉が、障害や病気やケガなどのせいで、

生まれたばかりの弟や妹よりも、弱ければ、

末っ子が、生き残れます。

 

人間の学校も、和気藹々(あいあい)でなく、

孤独で陰険(いんけん)な努力に、耐えられなければ、

覿面(てきめん)に、内臓が透けて見えるように、

精神の病気が、剥(む)き出しになります。

 

腹黒く、何も見えなければ、健常ですので、

昔の日本の、白樺派と言われる小説家たちが、

健常であると、わからなかった佐川一政君は、

あほでした。

 

オランダ人を食べてから、

人肉嗜好を宣伝しなければ、危ないと、

恐れるようになりましたから、賢くなったはずです。

 

社会は、どこまでも、

人間を分類して、仕分けをしますから、

みんなと一緒になりたければ、

孤独で陰険な戦いに、耐えなければいけません。

 

100万人に1人ぐらいは、そのほうが、明るく楽しく、

少しも、苦しみを知りませんから、

そうでない人たちは、

将来に、絶滅する可能性が、高い。

 

精神の病気に、なり易(やす)い素質の人は、

乳幼児の頃から、

孤独や変化に、耐えられない性質が、

歴然としています。

 

体の素質や、境遇のせいで、

みんなと一緒のことが出来ずに、孤立するから、

精神の病気になるのでなく、

そもそも、自分という意識が、

孤独に耐える気持ちですから、

いわば、夜と睡眠の峠を、一人で越せない人は、

自分という意識も、希薄で、

みんなと一緒でなければ、生きて行けない精神なのに、

体や境遇のせいで、

みんなと一緒のことが出来なければ、

精神の病気になります。

 

特定の精神状態の、維持と変更が、円滑でありません。

ドーパミンのせいと、薬屋さんは言いますが、

それでは、

生まれた後の、特定の精神状態が、癖になり、

変更不能になったのと、区別がつきません。

統合失調症になり易い人は、

何につけても、生まれつきに、円滑でありません。

 

1人で勉強をする時間があれば、

わたしは、うれしくて堪(たま)りませんでした。

嫌(いや)な奴を、やっつける手段を、

覚えられますから。

 

鉄砲で撃ち殺すとか、薬物で毒殺するとか、

原爆で皆殺しにするとかと、科学技術は、

嫌な奴を、やっつけるためにありますから、

その規則性を、確信するのは、

自分自身が、みんなに間引かれる番を、

待っているようなものなのに。

 

自分自身と、嫌(いや)な奴の、区別がつかないって、

GID(性同一性障害)の人たちは、よく言います。

 

体が老化すれば、頭が悪くなるのは、確実ですから、

弱みを突かれて、みんなに嬲(なぶ)り殺される前に、

繁殖をして、子や孫に殺されたほうが、

適応しやすいのに、決まっています。

アポトーシス(apoptosis)と同じでしょう?

 

いつでも殺せるように、

銃口を、他人の頭に、押し付けてからでなければ、

そいつと仲良くしてはいけないと、

わたしは、お母さんに、教えられたようなものでした。

 

知的障害の父が、弁護士に、お金を盗られたので、

母が、取り返しに行きました。

わたしは、小学5年生の時に、母に付き添い、

法律家を殺してからでなければ、

憲法と、付き合ってはいけないと、思いました。

 

他人も、自然や権力などと同じように、

変更不能な規則性の塊(かたまり)に見えました。

 

どこかに、隠しボタンがあり、それを押すと、

心臓や生殖器が、

レジの引き出しみたいに、飛び出て来たり…

 

わたしは、法律家のような、あほに、ならないって、

たこ焼きの蛸(たこ)よりも、固く心に決めました。

  

戦争で言えば、蛸壺(たこつぼ)にすっこみ、

真っ暗闇の中で、息を潜(ひそ)めていれば、

戦車が、勝手に、頭上を通り過ぎて行くのに、

キャタピラの轟音(ごうおん)を、聞いているうちに、

息ができなくなり、蛸壺から顔を出して、

大声で叫びながら、敵を撃ってしまう人は、

すぐに間引かれます。

 

戦車が真上を通ると、

蛸壺の蓋(ふた)が、壊れるとか、

歩兵が踏み抜き、敵に、頭を撃ち抜かれるとかと、

要(い)らぬ心配をします。

 

戦場に行くときに、死ぬ覚悟ができていなければ、

そうなると言いますが、

精神の病気に、なりやすい素質の人は、

死ぬつもりでも、そうなります。

 

孤立無縁であるかのように、

成り済まして置く生き方に、適応できなければ、

学校の成績が良くても、

皇室の閉塞感に、耐えられません。

 

気が強ければ強いほど、引導を渡されたくないのに、

スポイト100万本で、世代交代をしても、

一族郎党が、簡単に蔓延(はびこ)れない境遇は、

どうしようもありません。