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ルリマツリ 1975 心の性別の自覚

2015.10.04 15:00

東京よりも暖かければ、

放ったらかしでも、咲きますが、

我が家では、20年ぐらいで、勢いが衰え、

今や、息絶え絶えです。

 

これは、公園の元気な瑠璃茉莉(るりまつり)。

 

株分けをして、

根を整理してあげなければ、いけないのかも、

 

放ったらかしと、言っても、

自然には、日本原産の雑草に、負けますし、

一定範囲の外に、越境すれば、

根や茎を、剪定しないと、庭が潰(つぶ)れます。

 

それなら、一定範囲の内側も、

手入れしなければ、いけませんが、

20年も経つと、飽きますから、

勝手に衰えてくれて、せいせいしています。

 

年寄りになれば、早く死んでくれと、期待されるのは、

人間も同じですが、

医療は、年寄りや病人を、早く処分する意図が、

丸分かりなのに、

どうして、精神の病気の人たちは、

精神科医を信じるのかしら。

 

麻薬で、いい気持ちになれば、

性転換よりも、楽ちんですが、

適当に暴れたほうが、気晴らしになる?

 

瑠璃茉莉は、初夏から咲いていますが、

真夏はお休みで、秋に、また元気になり、

冬は、葉が落ちます。

 

役所の管理している公園の、

小さな花木は、頻繁に入れ替わるでしょう。

そうでなければ、予算を消化できません。

 

      ***          *** 

 

論理能力が低いと、

複雑なあらすじを、理解できません。

 

判断の組み合わせの数が、一定量を超えると、

理解不能になるのなら、

あらすじを整理して、判断を少なくしなければ、

仕方ありません。

 

生垣にする植物を、剪定すると、

かえって、たくさんの枝が、芽吹きますが、

松や黐(もちのき)などは、

さほど芽吹きが、良くありませんから、

剪定されると、枝振りが変わります。

 

たくさんの枝分かれの、分岐点があるのに、

本人は、剪定されたままに、手も足も出ません。

 

論理能力の低い人は、

判断のあらすじを、理解しようとしても、

人為的に剪定された流行文化の通りにしか、

判断の組み合わせを、再現することができません。

 

世間一般のほとんどの人は、

自分の経験と、同じであるか否かを、

正しい判断であるか、間違った判断であるかと、

評価しているだけです。

 

複雑な話が通じませんから、情報を伝えられません。

マルペケの判断の数が、少なくなければ、

理解できません。

 

伝える方法がないのは、言葉が違うからでなく、

判断の組み合わせの容量が、小さいからって、

どうしようもないのかしら。

 

科学技術のように、

予想した通りの結果を、実際に示しても、

そんな結果は、欲しくないと、言います。

予想通り、ということが、大切なのに…

 

予想通りの結果が出たから、

他の推論も間違いない、と言いたかったのに、

なんで、この結果と、他の推論に、

同じ信頼性があるのかと、文句を言われます。

 

美味(おい)しいものしか、要(い)らん。

 

言うことを聞かん奴は、撃ち殺すぞ、と言い、

実際に、広島や長崎に、原爆を落としてやらなければ、

言うことを聞きません。

 

こうなれば、こうなる、という科学的な推論のほうが、

神風や皇国や陸軍よりも、正しい、と言っても、

論理能力のない人たちに、通じるわけがない。

 

チョコレートくれ。

メリケン粉くれ。

性転換くれ。

 

GID(性同一性障害)の人たちは、

脳に、生まれつきの、心の性別の自覚を、

決定する部分があり、

生まれた後には、変更不能であると、言います。

 

GIDの人たちの、その部分の、大きさや機能が、

男女逆転していると、ある学術論文は、主張します。

 

その論文が、嘘や間違いであったら、

どうする積(つ)もりなのかしら。

 

心の性別の自覚を、司(つかさど)る脳の部分って、

前頭葉でないのかしら。

その自覚の内容が、生まれつきに変更不能なのは、

統合失調症のように、

変更不能になり易い生まれつきの素質のせいで、

ないのかしら。

 

脳の奥のほうの、特定の神経核の性差が、

GIDや同性愛者では、男女逆転している、

とする論文には、

捏造されたデータでないと、証明する工夫が、

皆無です。

 

体と反対の性別の、思考や生活に、浸っていると、

特定の神経核は、発達や萎縮が、顕著でないのかしら。

 

GIDの人たちは、脳の奥のほうの神経核は、

生まれた後に変化しない、と言いますが、

そんな証拠は、ありません。

 

癌のせいで、反対の性別の性ホルモンを使用しても、

変化しないそうですが、

癌の治療のためでしたら、今までもよりも、一層に、

生まれつきの性別の、思考や生活にこだわり、

性的な気持ちが、変わらないように、

心掛ける人が、多いはずです。

 

割礼の失敗のせいで、男性器を失った男の子が、

性転換手術と女性ホルモン投与により、

女の子として育てられましたが、

どうしても、自分のことを、女と思えずに、

性転換した事実を、打ち明けられた後に、

男性に戻りましたが、結局、自殺しました。

 

このことから、心の性別の自覚は、先天的であると、

GID(性同一性障害)の人たちは、結論しますが、

心の性別の自覚でなくても、

生まれつきの体質や性質や境遇や、

生まれた後の経験などと、男女の流行文化とが、

しっくりと行けば、幸いですが、

あまりに違っていれば、適応に難儀するので

ないのかしら。

 

生まれつきの心の性質の中にも、

変更困難や不能なものが、一杯ありますから、

性別の文化と、うまく行くとは、限りません。

 

でも、変更困難や不能なものが、

生まれつきの心の性質の中の、心の性別の自覚である、

とするのは、早計です。

 

文化のほうが、個人には変更困難なので、

個人の性質と、性別の文化とが、

しっくりと行かない場合もある、という意味なのに…

 

文化は、みんなのものですから、

個人の力で、そう簡単に、変更できないでしょう?

性別の文化も、個人には、変更困難です。

 

それが、どうして、

変更困難な個人のほうの性質としての、

心の性別の自覚に、すり替わるのかしら。

 

性別の文化が変更困難であるから、と言って、

それに適応できない個人の心に、

生まれつきに変更不能な、心の性別の自覚が

なければいけないと、

文学的に対応させる必要は、何もありません。

 

GID(性同一性障害)よりも、 

発達障害から、癲癇や鬱病や統合失調症などを経て、

認知障害に至るような、

一般的な精神の病気の道筋の一つを、

示しているように、わたしには思えます。

 

自分と社会が、上手(うま)く行かないと、

変更困難な社会の規則性が、

自分の変更不能な規則性に、見えて来る…