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ラッキョウ 1997

2015.10.26 15:00

山道に、平坦な所があり、

これぐらいなら、家を建てられると、思っていると、

ちゃんと、辣韮(らっきょう)が咲いていましたから、

昔は、人が住んでいたのかも知れません。

 

コンクリートや瓦の、痕跡がありませんから、

礎石の上に、柱と板張りや丸太組みの、草葺家屋を、

建てたのでしょう。

 

鋸(のこぎり)を挽(ひ)くのは、面倒なので、

板でなく、壁土を使うのが、普通ですが、

近くに、粘土があったのかしら。

石灰がなければ、漆喰(しっくい)もありませんし…

 

ラッキョウの後ろの、犬蓼(いぬたで)は、

立派な花が咲きますが、香辛料になりません。

 

本蓼(ほんたで)と言われる柳蓼(やなぎたで)は、

芽蓼(めたで)や、蓼酢(たです)として、

お刺身の妻(つま)の、紫色の小さな双葉や、

鮎(あゆ)の塩焼きの酢(す)の中に、

摩(す)り卸された緑色の葉などに、利用されます。

 

わたしは、道を知らないので、

この場所から、民家のある集落まで、

40分も、歩かなければ、戻れませんでしたが、

地元の人は、20分ぐらいで、

山を下りられるかも、知れません。

 

近くに、湧き水や田畑の名残(なごり)が、

あるかも知れませんが、

家の瓦礫が、まったく残っていませんので、

生活用具を、人里に持ち帰り、

木材は、燃やしてしまったのかしら。

 

いや、そんなに勿体(もったい)無いことは、しない。

柱も、麓(ふもと)に下ろしたはずです。

 

江戸時代には、人が暮らしていたかも知れないと、

思いながら、写真を撮りました。 

 

壺や皿などの、陶磁器は、

戦国時代から、有り余っていましたので、

割れた破片が、廃屋に捨てられているのが、普通です。

 

木材は、使える柱や梁(はり)を、持ち去れば、

残りは腐り、土に還(かえ)ります。

板は貴重なので、使っていなかったかも。

 

陶磁器だけでなく、窯(かま)や竈(かまど)もなく、

炭焼き小屋や、飯場(はんば)のような、

寝泊まりをする場所と、思えない。

 

建物の礎石だけが、残っています。

 

姥(うば)捨て山や、二度と帰らぬ病人のための、

隔離施設や休憩施設などは、江戸時代に普通でした。

 

足手纏(まと)いになる奴に、引導を渡すのは、

現代の性転換医療も、同じですが、

昔は、親子兄弟姉妹の間で、行なわれました。

 

ヒトラーやスターリンやポルポトなどは、

伝統的な家族の仕事を、

国家が行なうべしと、主張しましたが、 

障害者や病人を、家族が虐待するよりも、

社会のみんなで、ガス室に送り出したほうが、

心の痛みが、小さくて済むと。

 

性転換医療は優生医療と、言われます。

 

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