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イヌザンショウ 2002 論理法則と言われるプログラム

2015.10.31 15:00

山椒(さんしょう)は、

都会の庭で、よく見かけましたが、

最近は、少なくなりました。

 

犬山椒は、香辛料になりませんので、犬ですが、

変な臭(にお)いが、結構あります。

 

黒い実(み)をつけて、葉の細かいやつが、そう。

 

写真中央の、緑の葉の、みずみずしいのは、

猿捕茨(さるとりいばら)。

 

右のほうに、

熊苺(くまいちご)が、突っ立っています。

 

いずれも、刺(とげ)がありますから、

だれも、近寄りません。

 

こういう所を、藪(やぶ)漕(こ)ぎするには、

まず、登山靴の裏で、根元(ねもと)を踏みつけます。

 

浜茄子(はまなす)に覆われた砂浜でしたら、

踏みつけると、怒られますから、遠回りをしますが、

山も、刺(とげ)だらけの、踏跡を歩くのは、

すでに、道に迷っているような…

 

道を知っていれば、

ややこしい所は、通りませんけれど、

植物を見たいために、わざわざ、道なき道を歩くのは、

たぶん、あほです。

 

     ***          *** 

 

頭が良いとか、悪いとかって、

学校時代の学業成績や、知能検査の成績のようなのを、

思い出すかも知れません。

 

それって、変更できますか。

 

知能検査のほうは、練習をすれば、初めての問題でも、

平均的な知能指数の人が、

わりと簡単に、天才と言われる知能指数になることが、

はっきりしています。

 

学校時代の学業成績は、学校の勉強が嫌いでしたら、

成績の悪いのも、当たり前です。

勉強の嫌いな人を、勉強が好きになるようにするって、

できますか。

 

仕込もうとしても、無理かも知れません。

 

頭が良いとか、悪いとかって、

測ることが、出来るのかしら。

 

そもそも、測れるってのは、

これこれの基準があるって意味ですが、

その基準は、誰かの好き嫌いで、ないのかしら。

 

学業成績や知能指数って、

権力の主張する好き嫌いで、ないのかしら。

 

論理能力も、

文化的に任意の流行が、権力を握ったかのように、

論理法則と言われる規則が、

変更困難になりましたから、

その通りに、発揮される能力の原因って、

言わずと知れています。

 

科学技術や事実を、知覚する能力と、同じように、

それぞれの好みを争うための、流行文化の殺し合いが、

人間の遺伝情報を、純化して、

品種改良をしましたから、人間の体の能力って、

ブルドックやダックスフンドの、体の形と、

同じ意味です。

 

論理能力は、もちろん、体の能力です。

流行文化の産物ですが、物になると、変更困難です。

生物だけでなく、

物体は、言わば、プログラムの塊(かたまり)ですから、

自分の体を、作ったり変更したりが、

コンピュータには難しいように、人間にも困難です。

 

流行文化を使い、人間は、それを行ないましたから、

インターネットを使えば、

コンピュータのハードウェアの、特定の機能を、

純化できるようなものです。

 

たぶん、コンピュータだけでなく、

インターネットを使えば、人間の体を、

ブルドックやダックスフンドにすることも、

できますから、

あまり、生物と物体や、人間とコンピュータを、

分けて考える必要は、無いかも知れません。

 

人間の体だけでなく、そのへんに散らばっている物は、

全部、人間の体と同じように、

機能したり、しなかったりします。

人間の体も、自分や他人の、

思い通りになったり、ならなかったり、するでしょう?

 

なんとなく、生物と物の、アリストテレスの分類が、

幼稚に見えて来ます。

自然科学の分類のことですが、

論理は、もちろん、判断の分類です。

マルペケの分類です。