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三浦半島 2007 事実や科学技術のような、映画の中身

2015.11.14 15:00

三浦半島の、典型的な風景ですが、

あと30年も、保(も)つとは、思えません。

 

海岸段丘の上の、斜面林と畑が、特徴ですが、

別世界に来たような、見慣れない気持ちになります。

 

バスを降りると、360度、この光景です。

海食崖の上の、丘陵ですから、

地平線とは、また違います。

 

谷と尾根の間の、急斜面が、

細長い樹林として、残っていますが、

あたり一面が、なだらかな畑に、なりました。

 

今頃は、三浦大根ばかりで、のんびりしています。

畑の中の、農道を下(おり)ると、

すぐに、岩礁の海岸に、出ます。

 

大根の根本(ねもと)を、ひょいと見ると、

青首でなく、紅時雨(べにしぐれ)や紅化粧などの、

赤大根でした。

こんなのは、売れないと、思うけれど…

 

     ***          *** 

 

みんなと一緒の、映画を見ている、と言えば、

誤解されるかも、知れません。

 

生まれつきの素質と言われるマルペケのプログラムが、

他人や他の生物の、それと、同じか違うかを、

わたしたちは、判断しているからです。

 

他人と、マルペケが同じであれば、

人それぞれの、心のスクリーンに映った映画の中身が、

何であっても、同じ映画であると、判断されますから、

具体的な映画の中身は、妄想なのかしら。

 

空間や時間と言われるような、

個体特有の具体的な映画の中身が、

それぞれの個体の、脳の中で作られますが、

生まれつきの素質の、マルペケが同じでしたら、

これとあれは、同じであるけれど、

場所が違うとか、時間が違うとかと、判断されます。

 

無数の、特定の空間と時間が、ありますから、

人それぞれの脳みそが、

勝手に、具体的な映画の中身を創作しても、

自分の見た映画と、他人の見た映画は、同じであると、

納得できます。

 

空間や時間が違っていても、

これとあれは、同じであると、

個人の脳が、判断するのは、

生まれつきの素質と言われるプログラムのマルペケが、

同じだからです。

 

それでしたら、どれほど具体的に違っていても、

同じであると、言うことができますし、

どれほど似ていても、違うと、

拒否することができます。

 

ひとえに、生まれつきの素質のマルペケを、

比べているだけですから、ようするに、

お釈迦さんやイエスキリストの時代からの、

血統や遺伝的素質や神様の、問題にすぎません。

 

あらすじと、言いますが、

論理能力が低ければ、あらすじを理解できないように、

生まれつきの素質のマルペケを、比較できません。

 

反対に、

時間や空間により、特定された具体的な事実は、

すけこましの手練手管(てれんてくだ)でないかと、

疑われたにもかかわらずに、その能力が発達すると、

絵画や言語などの、文化的な通信だけでなく、

ビデオやボイスレコーダや、

コンピュータやインターネットなどの、科学技術も

まやかしを信奉する呪術であるとは、

言い難(がた)くなりました。

 

事実や科学技術は、もはや迷信でないと。

 

事実を知覚する仕組みは、動物だけでなく、

生物の始めから受け継がれた論理法則のような文化が、

生物の体と言われる物を、純化して来ましたので、

生殖や成長の、生まれつきのプログラムの中から、

事実や科学技術などの、

特定の流行文化の、すけこましやまやかしに、

便利なものが、生き残りました。

 

免疫のように、即物的に自他を識別する仕組みは、

廃(すた)れて行くかも、知れません。

お釈迦さんやアリストテレスや

イエスキリストの考え方のような、性自認の発想は、

時代錯誤のような、気がして、なりません。