草に栄養をとられないのですか?:自然農Q&A
こんにちは、そうやです。
穀雨ということで、野菜たちにとっては恵の雨ですが、やはり畑に出るのがおっくうになりますね。
晴耕雨読の生活にしたいものです。
さて、今回はよく聞かれる質問についてです。
「草と一緒に野菜を育てると、草に栄養をとられてしまわないでしょうか?」というもの。
それについて今の時点での僕の考えを書いておきます。
もちろん、草も野菜も土から育つのに必要な栄養をとります。
ですので、同じところに植えていることで、野菜に必要な分を他の草がとってしまうということはあると思います。
ですから、普通は全て草をとってしまい、できるだけ野菜に栄養がまわるようにします。
その場だけを見ればその方が野菜は育ちます。
自然農の畑でも最初のころは、草に野菜の分の栄養をとられて十分に育たないということはあります。
もちろん自然農でも野菜が小さい時は、野菜の近くの草はとったり、刈ったりして、野菜が育ちやすい環境を作ります。
それでも全ての草をとってしまうようなことはしません。
なぜなら、そこで野菜が育たないのは草そのものに原因があるわけではなく、野菜と草の関係性に、もっといえば野菜も含めたそこの畑に住む生き物たちの関係性の問題だととらえているからです。
わたしたち人間と同じように、草たちも四六時中なんでも食べていたいわけではありません。
必要なときに必要なだけの必要な種類の栄養をとっています。
常に野菜と競争し合っているわけではありません。
これは「経済」に例えて考えるとわかりやすいかもしれません。
わたしたちは自分だけがお金をたくさん持っていても、お金がスムーズにまわる関係性が社会にできていないと、その豊かな状態は長続きはしないでしょう。
社会でお金が循環していき、必要なときに必要な分だけのお金が手元に入ってくるような関係が、景気が良い状態であり、それが全体にとっても個人にとっても豊かな状態だと思います。
自然界はこのような理想的な関係性を常に築こうとしていて、実際に奇跡的な寸分の狂いもない精度でその緻密な関係を築くことができます。
生かし合い、殺しあうことで、全ての生き物たちがこの豊かな関係性を築くための役割をまっとうしています。
そこの畑に豊かな生き物たちのネットワークができると、ある生き物が排出したものが、他の生き物に必要な栄養として循環していきます。
循環というと輪っかをイメージしますが、実際このネットワークはものすご〜く複雑で細かい3次元の網目のようになっているのだと思われます。
わたしたちの脳みそみたいなもんかもしれません。
草と野菜も人間関係と同じで、最初っから親密な関係性が築けるわけではないようです。
少しずつ少しずつ時間をかけ、全体としてバランスがとれるようにゆっくり理想的な関係性を築けるまで、わたしたちは見守りつつ手を貸していきます。
この関係性の輪の中には、わたしたちも含まれています。
わたしたちが彼らに目を向け、そこから感じ取り、自分の中から湧き上がってくる直感を大切にしながら手を貸していくというコミュニケーションを少しずつ積み重ねていくことで、その関係は少しずつ築かれていき、その豊かな関係性の恵として野菜の収穫も増えて行くように思います。
この「ゆっくり時間をかけて関係性を築いていく」というのは、現代のわたしたちにとってとても難しく感じることのひとつかもしれません。
でもそこから得られる恵はとても多く、奥が深いように感じていて、それを探求していくことはとても面白いなと感じています。