好きな画面で好きな色をつけて好きなように見るべきだ
TVで成人になった子が言っていた。
「自由になりたい」
コメンテーターが「日本はとっても自由な国ですよね」と映像に付け加えた。私も概ね同感だが、やっぱり尺度は人によって違うなとも思った。
きっとそれは何だって一緒で、たとえ同じものだとしても、見える角度やタイミングや見方によって、その捉えられ方は大いに変わると思うから。
だから、どうせだったら自分にとって良い見方をして、なるべくHAPPYに暮らそう。その方がきっとお得だよ。
わざわざテンションを下げなくていい。わざわざやる気を削がなくていい。
君が見ている世界は、紛れもなく君自身のものだから。好きなフィルターを通して、好きな色に染めて、好きなようにこんがらがらせて、もう好きなようにしちゃえばいい。もちろん、人になるべく迷惑をかけない程度に。
私の大嫌いな雨も、「部活動が中止になってくれないかな」と願っている野球部の男の子にとっては救いの雨となる。農業をやっている人にとっては恵みの雨で、水不足のときだったら神様からの授かりものだ。ついでに空には虹も出る。そんな風に少し想像を膨らませたら、雨の日も「悪くないな」って、ほんの少しだけでも思えるかも。ほんの少しだけね。
君が嫌々やる勉強だって、それがみんながみんな何のためにやっているか考えたら、想像を膨らませたら、「悪くないな」って思えないかな。ほんの少しだけでもさ。
「選択肢を増やすため」「身近な人を喜ばせるため」「誰かに勝つため」「頭良いって褒められるため」「昨日の自分を超えるため」「怒られないため」最初の頑張る理由は何でもいい。勉強を好きな色に染めて、どうせやるならなるべくほんのちょっとでもHAPPYにやろう。やり出せば、頑張る理由はそのうちいくつも見つかっていく。
君は、君の人生を、好きな画面で、好きな色をつけて、好きなように見るべきだ。
例えば、こう考えたらどうだろう。主人公の君とその物語を画面を通して見ている君がいる。いいことがあったら一緒に喜べばいいし、苦しみや困難はハッピーエンドのための粋な伏線だと思って、「もうすぐいいことがあるよ」とやさしく見守ればいい。予想外に不幸が続くようなら、手助けだってできる。脚本をいじったり、演出を派手にしたり、登場人物を増やしたりしたっていい。
繰り返しになるけど、君の人生は君のものだ。君の好きなようにやればいい。それが、自由ってことだ。それがまだ難しい時は(自由って本当は難しい)、身近な大人に頼ればいい。その自由の中で自分の生き方を見つけるのが、小中高生の君たちの使命だよ。
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ようは考え方一つってこと。やらない理由よりやる理由を探してみよう。