第1回十字軍21-テンプル騎士団誕生
2018.01.10 07:46
息子が居なかったため、エルサレム王位は、親戚のエデッサ王が継ぎ、ボードワン2世として即位した。そこへ絶好の助っ到来、ユーグ・ド・バイヤンとゴドフロア・ド・サンメール、彼ら9人で巡礼を護衛する修道騎士団を創ったという。感激した王によって神殿の丘が本部とされ、テンプル騎士団と称した。
騎士が成立したのは、カロリング後期だが、彼らは領地も少なく、戦闘専門集団と化した。そして「神の平和運動」の中で戦闘が神のためとされ、騎士叙任には司祭が立ち会い、洗礼さながらの神の儀式となった。騎士は神とキリスト教を守り、異教徒に立ち向かうとされた。
修道騎士団は、俗世を捨て個人財産を持たず、神のために異教徒との戦いに生涯を尽くすという騎士であり、その究極の姿といえる。専門の戦闘集団が欲しかったヴァチカンは、トロワ公会議で「騎士修道会」を承認し、教皇の直轄とされた。彼らは修道士であり、戒律通りの祈りの生活を送るが、戦闘は免罪である、ベネディクトの言葉を変えれば「祈り戦う」
もう一つの聖ヨハネ騎士団はもともと医療修道士である。しかし騎士修道会の成立と共に、戦闘にも従事するようになり、テンプル騎士団よりも長く生き残った。騎士修道会には、領地のない貴族次男三男が応募して大きくなった。
下は青池保子のマンガより左がテンプル騎士団、右が聖ヨハネ騎士団