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「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 日本三大仇討ち「曽我兄弟」を素晴らしく描き他の伏線とした三谷幸喜の鬼才

2022.06.14 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 日本三大仇討ち「曽我兄弟」を素晴らしく描き他の伏線とした三谷幸喜の鬼才


 毎週水曜日は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、私の好き勝手な感想や思いを書いている。まあ、好き勝手な内容なので、皆さんの思いとは全く異なるかもしれないが、まあ、それはそれということであまり気にしないようにしている。

 さて、今回23回は曽我兄弟の仇討ちである。日本三大仇討ちの一つである。ちなみに三大仇討ちとは、 岡山藩主・池田忠雄が寵愛する小姓の渡辺源太夫を藩士・河合又五郎が殺害し、渡辺源太夫の兄・数馬は剣豪の荒木又右衛門に助太刀を依頼して逃亡中の又五郎を伊賀道中の鍵屋の辻で待ち伏せ討ち取った。「伊賀越えの仇討ち」と、有名な「赤穂浪士の仇討ち」である。

 曽我兄弟の仇討ちを書いた曽我物語は、建久4年(1193年)に源頼朝が富士の裾野で行った大規模な巻狩り(富士の巻狩り)の際、現在の富士宮市上井出の地で、兄・曽我十郎祐成と弟・五郎時致が父の仇である工藤祐経を討ち果たした伝説を基にしている。事件の発端は、伊豆にある工藤祐経の領地をめぐる、工藤祐経と曽我兄弟の祖父・伊東祐親の所領争いに始まる。この争いの中で、伊東祐親の嫡子、つまり曽我兄弟の父・伊東祐泰が工藤祐経によって殺される。当時幼かった曽我兄弟は静かに闘志を燃やしながら成長し、兄十郎が22歳、弟五郎が20歳の時、仇討ちを遂げた。工藤祐経を討ち取った後、兄十郎は北条の家臣仁田忠常にその場で討ち取られ、弟五郎は捕縛されて鎌倉へ護送される途中、鷹ヶ岡で首を刎ねられる。この鷹ヶ岡が、現在の富士市鷹岡の地であるといわれ、兄弟にまつわる史跡がこの地に数多く残されているのある。

 さて、この曽我兄弟の仇討ちには、様々な謎が残されている。

 ・ 本当は源頼朝暗殺が目的であったという説

 ・ 黒幕は北条時政であったという説

 ・ 伊豆と相模の御家人同士の武力衝突にカモフラージュされた説

 などがある。これらの説が様々に存在するが、逆に歌舞伎や浮世絵物語に脚色され、そのうえで、多くの人が様々な説を付け加え、新解釈を披露しているので、さすがに真実がどうであったのか、もっと言えば、文献のオリジナルの「吾妻鑑」や「曽我物語」を見てみないとよくわからない状態になってしまっている。

 いや、それは史実の話であり、「大河ドラマ」としては、三谷幸喜氏なりの新たな解釈を出してくれることを強く望んでいた自分がいるのである。

「鎌倉殿の13人」語り継がれる“稀なる美談”そして怒りの矛先は範頼へ 三谷流“曽我事件”もネット脱帽

 俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は12日、第23話が放送された。

 <※以下、ネタバレ有>

 稀代の喜劇作家・三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。新都・鎌倉を舞台に、頼朝の13人の家臣団が激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。

 第23話は「狩りと獲物」。嫡男・万寿(金子大地)の披露目の場とするため、御家人を集めて富士の裾野で「巻狩り」を行うことを決めた源頼朝(大泉洋)。工藤祐経(坪倉由幸)が称賛する中、頼朝を憎む曽我十郎(田邊和也)五郎(田中俊介)兄弟らが謀反を計画。梶原景時(中村獅童)から企みを知らされた北条義時(小栗)は急ぎ、父・時政(坂東彌十郎)の元へと向かう。時政は五郎の烏帽子親だった。不穏な気配が漂う巻狩りには、義時の愛息・金剛(坂口健太郎)も…という展開。

 巻狩りとは、猪や鹿を仕留める大規模な狩りのこと。武士にとっては軍事演習の側面も持ち、坂東各地の御家人が富士の裾野に集結した。

 巻狩り3日目。弓が苦手な万寿のため“動かぬ鹿”を手配。ようやく初成果を挙げた。

 そして、5月28日、夜。祐経が比奈(堀田真由)の居場所を義時から聞き出し、頼朝は「これを最後(の逢引)にする」と安達盛長(野添義弘)の制止に耳を貸さない。盛長は頼朝が眠ったのを確認し、安心したが、これは祐経が身代わりになっていた。

 頼朝が比奈の宿所に入ると、義時の姿があった。義時と言い争いになり、怒り心頭の頼朝は比奈の宿所を飛び出したが、雨が降り始める。しかし、これが幸い。曽我兄弟による襲撃を逃れた。

 曽我兄弟一行は頼朝の寝所に向かっていた。仁田忠常(ティモンディ・高岸宏行)は「方角が違う」と異変を察知。十郎と斬り合いになる。

 十郎を置いて、五郎一行は頼朝の寝所を襲撃。畠山重忠(中川大志)が迎え撃った。五郎は寝所内に潜り込み、頼朝を発見。背中から斬りつけ「源頼朝、討ち取ったり!」とトドメを刺した。しかし、これは身代わりの祐経だった。

 忠常が「鎌倉殿が!鎌倉殿が!」と悲しみに暮れる中、頼朝はひょっこり帰ってきた。「これは、何事じゃ!」。義時と忠常は呆気にとられた。

 「混乱の中、襲撃の第一報が鎌倉にもたらされる」(語り・長澤まさみ)

 留守を預かる源範頼(迫田孝也)は「御台所、鎌倉は私がお守りいたす。万一のため、逃げられる支度だけはしておいていただきたい」。頼朝と万寿が討たれたとの情報に、能員と道(堀内敬子)は範頼を次の将軍にしようと画策。能員は万寿の乳母夫、範頼の妻は比企一族の娘だった。

 能員は頼朝の訃報を伝え「この機に乗じて、鎌倉殿に不満を持つ者たちが挙兵する恐れがござる。今こそ誰かが、上に立たねばならぬのです。他に誰がいるのです。腹を括っていただきたい。鎌倉が滅びますぞ」と範頼を焚きつけた。

 大江広元(栗原英雄)は頼朝の生死の確認が先決と、性急な代替わりに猛反対。三善康信(小林隆)は朝廷への手順を範頼に説明した。

 富士の裾野。捕らえた五郎の詮議。五郎に兵を貸した時政も罪に問われかねない状況を切り抜けるべく、義時が唯一の策を練った。義時は頼朝に報告。「これは敵討ちを装った謀反ではなく、謀反を装った敵討ちにございます。つきましては一つ、お願いがございます」――。

 梶原景時「曽我五郎時致。父・河津祐泰が敵、工藤祐経を討ったこと、坂東武者として誠にあっぱれ」

 五郎「何?」

 景時「さりながら、畏れ多くも巻狩りの場で騒ぎを起こしたことは、到底許し難し。よって、斬首とする」

 義時「鎌倉殿からのお言葉でござる」

 頼朝「曽我五郎。おぬしら兄弟の討ち入り、見事であった。稀なる美談として、末代までも語り継ごう」

 五郎「違う!俺が狙ったのは、頼朝だ!祖父、伊東祐親を死なせたのも、坂東をおかしくしたのも、頼朝なんだ!聞いてくれ!」

 頼朝は鎌倉に帰還したものの「事はそれで終わりではなかった」(語り・長澤まさみ)。頼朝の留守中の出来事を、広元が報告した。「私は、正しいことが分からぬうちは動かぬようにと申し上げたのですが。蒲殿は、まるで次の鎌倉殿になったかのようなお振る舞いでございました」。頼朝は「信じられん…。範頼め…」――。今度は弟・範頼に怒りの矛先が向く。

 日本三大仇討ちの一つ「曽我兄弟の仇討ち」も“三谷マジック”が炸裂。SNS上には「三谷さんの曽我兄弟の仇討ちの解釈になるほど。脱帽」「鎌倉と巻狩り現場の2次元中継が欲しい」「万寿ちゃんの狩りでコント坂東武者やってたのに、義時の狡賢さが映える後半であった」「謀反を騙った敵討ちって超展開理論」「意味の読み替え…事実の取捨選択と時系列の操作で解釈の転換…めちゃくちゃ面白いぞ」「語り継がれるフィクションの曽我兄弟と、うっかりしすぎて逆利用されたドラマ内史実の曽我兄弟の温度差で風邪引きそう」などと驚きと称賛の声が続出。オンエア中から「#鎌倉殿の13人」がツイッターの世界トレンド1位となる大反響を呼んだ。

2022年06月12日 20時46分 スポニチアネックス

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-1687073/

 さて、ドラマはあくまでもドラマであって、史実である必要性はない。もちろん、タイムマシーンがあったり、あるいは源頼朝がスマートフォンを使っていれば、なんだそれはというような話になるが、しかし、当時の字ドア交渉がしっかりとしていて、その範囲の中の「歴史的な解釈の違い」は当然に、許容されるものではないかと思う。その意味で、今回の曽我兄弟の仇討ちは、上記の記事にあるように「三谷マジック」といわれる記載手法になっている。

 三谷幸喜氏の得意な「対比法」がうまく用いられ、うまくできない万寿(源頼家)と、たくましく育った金剛(北条泰時)という対比が出てきている。このことが後に「頼家幽閉・暗殺」ということにつながり、頼朝との違いが出てくるのと同時に「御成敗式目」を作り、武士の世の中の基礎を作った泰時との差が出てくるのではないか。

 さて、曽我兄弟の仇討ちは、三谷幸喜氏の解釈によれば、もともと伊東祐親を殺した源頼朝に対して行われた謀反であり、仇討ちとして北条時政を説得しながら、そのまま寄りとwも打つということにつながるようにしていたということになる。その源頼朝も、比奈のところに夜這いに行こうとして難を逃れるということになる。これは上総広常の「テスト」で亀の前と夜這いをしていて難を逃れたことと同じということになる。しかし、本人には違いがあり、今回は「まぐれ」で難を逃れたのに対して、今までは天の声が聞こえていたというのである。

 「声が聞こえてきた」ということと、「自分の役目は終わった」という源頼朝の感覚は、頼朝自身が死が近いという伏線になっている。同時に、その中に義時が比奈に対して、自分がよい人間ではないということを告白する。たぶん義経とのことなどが心の中にあるのであろう。そして八重を忘れられないということを告白するが、比奈からは「私があなたを見ていればよい」と。北条義時が八重に対して口説いた言葉と同じ内容が書かれている。

 万寿と金剛、頼朝の昔と今、義時の立場の逆転、いずれも三谷幸喜氏の素晴らしい対比法で見事に書かれているということが素晴らしい。そしてこれらの中にコミカルな場面を作るということになってくるのでありそれが、「笑い」と「シリアス」をうまく織りなして見る人の感情の波をうまく作り出している。

 次回は源範頼の謀反の疑いということと、大姫の縁談ということになる。頼朝を取り巻く人々の悲劇がまだまだ続くということになるのであるが、その内容は、やはり豪族連合の力の強さとその上に「征夷大将軍」として君臨してしまった、絶対君主の頼ともに認識の違いではなかったか。

 いずれも「一生懸命に生きている」ということが、新たなドラマを生む。そして、そのドラマはなんとなく、今生きている人にうまくリンクして共感を生むのではないか。