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Oimachi Act./おい街アクト

弘田三枝子の回想①「MICO・ジャズ・ライヴ・イン・北九州」のレコード製作から25年が経った。

2022.06.16 03:00

1997年のライヴ録音。小倉のライヴ・ハウス「ビッグ・バンド」で。

 

25年も経ったのだ。

 

この25年間に何があったのだろう。

 

まず弘田三枝子さんが他界した。

 

ベーシストとして参加した井島正雄さんが亡くなった。

 

弘田さんのマネージャーであった、平野氏も亡くなった。

 

僕は出版社「オーパス」を倒産させた。

 

情報誌の出版にウンザリしていた僕は、3つの選択肢があった。

 

まず有機野菜を使った弁当を作ることを仕事にするか?

 

推命学をやるべきで、占術家としての道を歩むか?

 

残るひとつは、やはり出版の仕事。

こちらは「おいらの街」と「くるめ」と「ふくおか」のトータルの編集長になって欲しい、という誘いがあった。

 

有機野菜の弁当は、リーマンショックで不景気になり、高い弁当は売れない、と。

 

出版の話は、スンナリと行くわけがないと思っていたので、半信半疑でコトの成り行き任せにした。

結果は大きな"ワナ"があり、詐欺まがいの事件に発展する方向性へと行きかけたが、自分の無力さで泣き寝入りをした。

 

自分自身には"毒消し"が必要なくらいに、心身共に殺気がはらんでいたのが一番、僕は怖かった。殺気は数人に向けられていた…。

毒消しで殺気を薄めるまで、北九州を離れることにした。

 

弘田三枝子のライヴ・レコードを作った時も、殺気らしきものはあったが…。(続く)

 

今日はアニマルズの「朝日のあたる家」をどうぞ。