イメージが一人一宇宙の現実を生む;唯識論
塵、芥にはポジティブなイメージは伴わないのでしょうか?
ダンワールドのワークショップに参加したとき テキストに ゴミのようなものは (エクササイズであったとしても) 汚いという現実認識が強すぎて リフレーミングができないと書いてありました。
しかしゴミを「豊かさの象徴」と考えると ゴミもポジティブなイメージに変えられると思わずにはおれませんでした。もっともこの豊かさは貪りの表れで ネガティブというのであれば 話は別.......善悪の区分をするのはややこしいですね。
しかしあえてポジティブを選択し続けると 脳のオペレーションシステムは
ポジティブシンキングになり ポジティブな事象を引き付け続けるというのですから 更にややこしい。
しかも一度掛けた心の色眼鏡(自己イメージ、人生脚本)は自力で取り外すことがとても困難です。しかも色眼鏡を通してすべてを見ますから その色はスタッキングアンカーされ ますます濃くなってしまいます。
いろいろな心の刷り込みがありますが ジェンダーの刷り込みは大問題です。「男は~であるべし」「女の子のくせに」こんな押しつけ(前日記で触れた外的抑圧)は誰もが経験しているのではないでしょうか。
幼い頃自分の性を否定された(例えば 男児の出産を期待された中で女児として生まれた、レイプなど)ことで 一生を左右するほどの 自己否定感を抱いた人によく会います。性は生です。性の否定は生の否定に繋がります。
心の色眼鏡(自己イメージ、人生脚本)は気がつかないうちに掛けてしまいます。
唯識論に立つと 自己イメージのように私たちは生きていきます。
自己イメージの検証はとても大切です。(このためのトランプを作成しました。「アウェアネスカード」と呼びます。ひと組1500円です。関心のおありの方はお問い合わせください)