夢十夜・第七夜から読み解く 目的の大切さ
夏目漱石と言えば、その名を知らぬ人はいないほどの文豪です。
主に明治に活躍した作家ですかね、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」「三四郎」「それから」「こころ」など、有名作品を挙げればキリがありませんね。
たしか、本の名前を自分で決めずにある人に決めてもらって、その名前から内容を考え書いていたのは漱石でしたよね(^^)/
そんな漱石の短編小説のひとつに、「夢十夜」という作品があります。
「こんな夢を見た」という書き出しが有名で、第1夜から第10夜まであります。その中でも第7夜。ここには大きな船に乗り、苦悩している主人公が描かれています。なぜ彼は苦しみ悶々としているのでしょうか。
そこに描かれているのは、人生を航海にたとえ、主人公の船での苦悩がまさに人生での苦悩と重なる、そんな見事な描写と思えないものばかりです。
きっと漱石も、この主人公を自分に見たてて描いていたのだろうと思わずにおれません。皆さんも興味があれば読んでみてくださいね(^^♪
今回から数回にわたって、気になる一説をすこしずつ皆さんと味わっていけたらと思います。気になることありましたら是非コメントしてください。
なお、前置きですが、ここに書いてあることはあくまで私の味わいであり、本来は漱石に聞かねばわからないことです。それをご承知の上でお読みくださいね。
何でも大きな船に乗っている。
この船が毎日毎夜すこしの絶間なく黒い煙を吐いて浪を切って進んで行く。凄まじい音である。けれどもどこへ行くんだか分からない。
これは夢十夜冒頭の言葉です。
主人公は大きな船に乗っています。しかもその大きな船は毎日凄まじい音をたてながら進んでいます。でも肝心の、行き先がわかりません。船は行き先もわからないまま、凄まじい音をたてて進んでいるのです。ところで、そんな船って、、、あるでしょうか?
どういうことかと言いますと、船にせよ車にせよ飛行機にせよ、かならず目的地があり進んでいます。今現に航海している船の船長にその目的地を尋ねればかならず「この船は神戸港行きだよ」とか「名古屋港行きだよ」などと答えるはずです。
もし目的地も知らずに航海をしている船にあなたが乗っているとすれば、不安そのものでしょう。だってどこへ行くかわからないんですから(>_<)
しかし、この主人公はそんな船に乗っているのです。これは一体、何を表したものなんでしょうか。
- 私たちはどこへ向かって生きて行く?
わたしたちは気がついたときには人間に生まれていました。そして教えられることもなく、生きてきました。幼稚園のときはお遊戯を、小学生になれば国語や算数、中学校になれば少し難しくなり数学を、そして高校、大学、就職と進んでいきます。
ライフスタイルは人それぞれですが、みな同じ道を通ってきたと思います。ですが、そうして一体、どこへ行くというのでしょうか。どんな行動にも目的があります、生きることにも目的があるはずです。
「好きな人を見つけて結婚し幸せになるため?」
「事業を成功させて人に認められるため?」
「困っている人の役に立つため?」
皆さんそれぞれ、自分の生きる目標としているものがあるでしょう。とても大事なことですね。自分の目標達成のために努力し、日々過ごしているのではないでしょうか。
しかし「生きることは旅すること」と歌われるように、人生は旅のようなもの。昨日から今日、今日から明日へと、止まることなく私たちは旅をしています。では、一体どこへ向かって生きているのでしょうか。
正しい目的地を知らねば、楽しい旅になるはずがありません。しかし、人生には時としてその目的を見失うことが多いように思います。
わたしたちは生活が順調なときには中々そういうことを考えたりしませんよね。
ですが、ひとたび苦難や困難に直面したときには、考えずにおれなくなるものです。
皆さんもそんな経験はないでしょうか。
些細な例ですが、私はこどものころ、サラダが嫌いでした。そのサラダが食卓に並べられると、私は「なぜ僕は、こんな味のないものを食べなければならないんだ」と考えたものでした。
しかし大好きな、から揚げは何の疑問もなく何個も美味しく食べていたものです。好きなことをしているときはそのことにいちいち意味を問いません。
ですが、いやなことや苦しいことに直面したときにはその行動の「意味」を考えずにおれないですね。楽しい時間はあっという間で、ゲームが好きな人は「私はなぜゲームをしているのだろう」と考えたりしませんね。でも、勉強がきらいな人は「なんでこんなこと勉強しないといけないの?将来なんの役に立つの?」と勉強をする度に考えるのではないでしょうか。
これが食べ物とか勉強程度の問題なら、つらいことには変わりないですけどなんとか耐えていけそうですよね。
でも、人生の意味を見失いそうになったときはどうすればいいのでしょうか。
実際、そういう人はいます。そして、いつか自分がつらい状況になったとき、自分が「このために生きる」と思っているものは、最終的に意義のあるものだ、とハッキリ言いきれるのでしょうか。
人生には大事な目的があるんだ。苦しくていやなことがあっても生きなければならないのはこのためだ、と自分の生きる目的がわかっていれば、仕事も、資格勉強も、健康管理も、人間関係の構築も、このためだ、とすべての行為が意味をもって心から充実した人生となるでしょう。「この目的果たすまで」と生きる力が湧いてくるのです。
そんな目的を知らず、いつか生きる意味を見失いかねない、しかも月日はどんどん足早に過ぎていく(もう1月も半ばですねー)。そんな人生の航海を、行き先わからずどんどん進んでいく船にたとえて第七夜では
「この船が毎日毎夜すこしの絶間なく黒い煙を吐いて浪を切って進んで行く。凄まじい音である。けれどもどこへ行くんだか分からない。」
と表現しているのではないでしょうか。
・目的がわからないことが、一番つらい
目的がわからないことが、どれだけつらいことなのか。それがわからないと、この主人公の苦悩はわかりません。
ある行動の目的わからない = その行動の意味が感じられない ということです。
ミリオンセラーの哲学書「なぜ生きる」には以下のように記載されています。
ロシアの著名な小説家ドストエフスキーはシベリアで強制労働をさせられた体験から、もっとも残酷な刑罰は、「徹底的に無益で無意味」な労働をさせることだ、と「死の家の記録」に書いている。監獄では、受刑者にレンガを焼かせたり、壁を濡らせたり、畑をたがやさせたりしていたという。強制された苦役であっても、その仕事には目的があった。働けば食糧が生産され、家が建ってゆく。自分の働く意味を見出せるから、苦しくとも耐えてゆける。
しかし、こんな刑を科せられたらどうだろう。
大きな土の山を、A地点からB地点へとうつす。汗だくになってやりとげると、せっかく移動した山を、もとの所へもどせと命ぜられる。それが終わると、またB地点へ……。意味も目的もない労働を、くり返し強いられたらどうなるか。受刑者は、ドストエフスキーが言うように、「四、五日もしたら首をくくってしまう」か、気が狂って頭を石に打ちつけて死ぬだろう。「終わりなき苦しみ」の刑罰である。(2部・第3章)
このように、目的も意味もない行動はたいへんつらいことなのです。そしてこの主人公は、自分自身がどこへ行くか(目的)のわからない船に乗っていると知ったとき、その意味を感じることができず苦しんでいるのです。
まず、この目的をハッキリさせることが人生を充実させるポイントであることを伝えられたらと思います。
この主人公の心情から人生にとって様々な気づきが得られます、続きの文章を通してお話ししたいと思います。
次回も皆さんにとって大切な発見がありますように。