伊藤穰一を知るほど自分が小さく感じてしまう
実は、もし歴史が指針となるなら、ある技術にいちばん近いところにいる人々こそが、その最終的な用途を一番予測できないらしい。
実は、技術はそれ自体では何の意味も持たない。ハーバーの研究から生じた別の製品チクロンBは、ただの期待だ。便利な殺虫剤だけれど、ホロコーストで何百万人もを殺すのにも使われた。核分裂は、よくある原子反応でしかない。インターネットは単に、情報を解体して別のところで再構成する方法でしかない。技術が実際にやること、つまりそれがいずれ社会に与える本当の影響は、しばしばわれわれがいちばん予想していないところに生じる。
ただそのためには、アーティストが集まって自由に遊ぶことができる安い倉庫街のようなスペースが必要になるのですが、いまの東京にはそういった場所がほとんどありません。これはおそらく政治が解決すべき問題だと思います。経営不振の大企業が数多く生き残っているのは、国が税金で支えているからです。そのおかげで大企業は潰れずにすんでいますが、それによって街に空きスペースができず、新しいヴェンチャーも生まれにくい状態になっているのです。
もう、伊藤穰一の話、メディア、本を読んでいると悲しくなる。
自分の小ささ、見る世界の小ささ、小物感。
正直、俺は何かデザインできる人間になるとは思えない。
はぁ、、。でもいつかできるようになりたいな。
コーヒー豆とか好きだから遺伝子改良とかやってみたり、
コーヒー豆をITで管理することで日本でも作れるようにとかしてみたいな。
だからこそ、
最終的にどうなるか、人間にとって役にたつかは、
あまりにも世界が複雑になりすぎてわからない。
だからこそ、なるべく複雑性を理解することがまずは大事。でも、
おそらく、理解しても世界地図のような物を見つけ出すことは、できない。
つまり、世界地図ではなく、物事を俯瞰しながら、自分自身、
チーム自身のコンパスを保ちながら、進んで行くのがベストなのかもしれない。
4つのP
Peer (ネットワーク理論)
Passion (人間にとってどう役立つか)
Projects
Play (とりあえずやってみようよ)
これがMIT Media Labで重要視されているけど
まさに、俺もこれからは、これを大切にしたいってすごく思う。
未来は予測することはできない。
むしろ、僕たちは今未来に生きている。
だからこそ、いかに、今起きている未来を知りながら、複雑な世の中を理解した上で、いまを本気で生きる(何かに関心をもち、そのために勉強をし、仲間とともにそれを達成させる。)ことこそが、日々の生きがいとなるのではないだろうか。
だから最近ニュースとかみなくなっちゃったんだよな、、。
だって、最近のニュースとかって知る必要ある?かな。
別に今働いている訳でもないし、今株取引をしている訳でもないし。
「え、君そのニュース知らないの?」って誰かに煽られる以外、別に知る必要ないよなぁ。
大切なニュースなら、絶対に1週間くらい経って、まとめられてわかりやすく説明されるはずだし。
情報を選択できるかどうかって、こういうことなんだろうな。
むずい。