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大人なんてどうでもいいの|木村

2018.01.12 15:11

こんばんは、木村のばらです。


日付超えてしまいましたが、セーフということで…。


私、普段人といるときも、ツイッターとか、SNSでもそうなんですけど、その場をどうにかいい空気にしたいというか、なんの当たり障りもなくやり過ごそうとしてしまう癖があって、意図的にちょっとバカやってみたりしてしまうところがあります。

そういう人、わりといると思うのですが…。


でも、本来も頭は全然よくなくて、バカなので、それをちゃんと自覚しようとして、それができてるのか、できていないのかはわからないですが、自分のひとつのキャラクターとして落とし込もうとしているところがあるように思います。


前中島さんも書いていたと思いますが、その場によって自分がいて、その場の私、こっちの私、かわいこぶっているとかではなく、その場でうまく生きていけるように、無意識に変えてしまうところがあると思います。

多かれ少なかれ、みんなそうだと思います。


これは自分に対しても、多分その場においても、その自分が物事をうまく運ぶのに適していると思うからで、実際、自分がそうあると空気がうまく行くことが多いし(いまの座組は自分が年上なのですが、元々年上らしさはないので、逆にそれを落とし込んでキャラクターとして染み付いているところがある気がします)、健康的だと思います。



これはあくまで自分のためにやっているわけで、それでうまく行けば満足します。


ですが、いざ、そのていで行って、ほとんどの人は、それを汲んでいても(中島さんはそういうとこ、私に限らずわかるタイプの人だと思います。)、そうでなくても、優しく、というか、そのまま受け取って、そのまま受け取るということはつまり私の思うように、普通に接してくれるのですが、たまに、それを、少し上から見てくる人や、わかっていても忘れる人がいて、傷つくことがあります。



ね、やっかいなところです!

自分が良かれと思ってやっていることなのに、誰にもばれたくないことなのに、汲んでもらえないと傷付いたり、辛くなったりしているんです。ばかですよね!


でも、本当に、多かれ少なかれ、みんなそうなんじゃないかなと、最近思うのです。


しかも、この人はそれもわかっていてくれているかも、なんて自分が勝手にエゴで、理想を描いている人ほど、それをそのまま悪い意味で鵜呑みにされて、一人でゴーーーーーンと鐘をつかれたようになったりしていること、あります。


じゃあ、自分のありのままで生きなよと思うのですが、あくまでありのままなのです。

これもありのままで、そうじゃないけど頑張っている、えらいよわたし!という訳ではなく、淡々と生きているつもりなのですが、気がつけばそうなっているのです。


それになっているときはそこまで意識していないのですが、きっと、自分の中で思い描く、期待している対応、反応があるわけで、それと全然違ったときに、勝手にショックを受けてしまうという虚しい生き方…何してるのお!!!!!


でもそういうのにいつも、気付いてるとか気付いてないとか関係なく、優しく接してくれる人がそうじゃなかったときって、ああ、疲れているんだなとか、いっぱいいっぱいで自分を見失っているんだなとか、すぐ、わかります。


そういう場合、うまくできるようにまた、あっけらかんとしたていでいてしまうのが、より、傷付く負のスパイラルに陥ってしまうわけで…。


そういうときに、うまく立ち回れないのが、自分がまだまだ子供だなと思う瞬間でもあります。


また、私、けっこう思ったことをはっきり言うたちなのですが、なんでも言っていいと思っているわけではなくて、あくまで、相手に対してこう伝えるのが一番いいだろうという言い方を、いくつかの候補の中から選んで、話しているつもりです。


つもりなので、知らねえよ!!!と思われているかもしれないし、それこそエゴの塊なのですが…。


相手に何かを伝えるとき、何かをちゃんと表現するときは、頭の中でそれを表せる言葉を5個くらい考えて、その中から言葉を発しています。

カッコつけているみたいですが、わりと皆、人間は、無意識にそうしていると思うのです。


その中で、わりとどう言ってもきついな、とか、傷付けるかも、と思ったときに、言わなくてもいいな。と思うときと、いや、そんなこと言うなよって言われても、言ったほうがいいかも、という時とあります。


言ったほうがいいというのは、自分の快楽のためではないし、でももしかしたら深層心理はそうかもしれないし、相手のためとか言っていますが、そんなものはなくて、そうやって思いもよらぬことを相手に言うことで快楽を得ているのかもしれないなとか、思います。


それでも言ったときに、いわゆる正論、そうだけどそうじゃないんだよ、と思われるのを承知で言っている時があるわけですが。


そんなときに、「たしかに、間違ってない」って言われることあるんです。


間違ってないって、すごい言葉ですよね。

認められなくて、たしかにそうだ!とは言えないけど、そうじゃない!とは思わない。

だから、間違ってない、になるんだと思います。

間違ってないって言われたとき、相当、相手の逃げる余地のないことを言っているのかなって、はっと、自分の発言を見つめ直したりします。


もちろん誰にでもしているわけではないし、そういう冷静に真面目な話をしている時、自分の発言には、わりと責任を持っているつもりですが、もっと他に言葉の選択肢があったのかもしれないと、思うときがあります。


自分自身、相手の言葉を受けて、その選択肢を選んで発するまでを急いでしまう癖があり、早く返してしまうのですが、発した瞬間の相手の顔をよく見てしまいます。

あっ、と思ったときには、少しだけ色が変わっていたりするのを見ると、もっと他にあっただろうと、相手に言われるわけでもなしに気にしてしまったりします。


こういう自分の中の、エゴや、言葉の選び方なんかを、もっと見直して、落ち着いて、明確にしたいなと、最近とくに思うわけです。



劇のテーマも、相まって…。


でも、この時期にそれを見つめ直すことができてよかったのかも、と思います。

自分にとって節目になる年、になるかもしれない年のはじめに、こうやって考える、いやいつも考えてきたのですが、こうやって誰とはいわず人に向けて考えを発信することができて、良かったのかもしれないです。



そういうことを、自分にとってのプラスのパワーにしていけたらな、と今は思います。



書くだけ書いて、それをどうするかとかは一切、思考をめぐらせていないですが…とりあえず、書くだけ書いてみました。


少しお酒も入って、長い長い文になってしまいましたが…。

自分のペースで、焦らずやっていこうと思います。


え?まとめいみわかんない!



そんなかんじです!



お家が遠くて、都内からだと帰宅がこんな時間になるわけです。最寄りからお家までの間に今この段落書いてますよ。


着いちゃう前に!

おやすみなさい。



木村のばら


早稲田にあるさつまいものたい焼き、みんなが通るから恥ずかしくていけなかったけど、めちゃくちゃおいしかった。さつまいものたい焼き。感動!