【人のせい】から 【全て自分】と変わった瞬間
https://ameblo.jp/daimular208729/entry-12344031229.html より
私、村松の卑近な例で恐縮ですが。『人のせい』特に『親のせい』という生き方から『全て自分』という生き方に変わった瞬間のお話をお伝えします。
『人のせい』にしていると本当に辛いし、どんどん悪化します。
逆に、全てが『自分発振』と捉えて、自分自身の体内の【フォトン】から知らずに発振している周波数を見てそこと向き合う。
そこをどんどん整えていくと様々な出来事が起こったりいろいろな感情が湧いてもその原因がわかり、向き合うことで自分自身が高まっていくことになります。
かつては・・・。
会社で人間関係や肉体的に辛いのも全て父親のせい。
今思うと、その攻撃エネルギーを受けていた父親の方がもっと辛かったんだ・・・、
と気づいたこともありました。
「自分が発振したエネルギーは自分が感じて完了する」
私自身が出したエネルギー、批判・攻撃を私が人からいただいて「なんでこんなに辛いんだろう、アァ、これってかつて私が出していたものだった・・・。」と気づいて、父へのお詫び、となったのでした。
それは最近のことだったのですが。私が「人のせい」→「自分発振」と気づかせてもらったのは、忘れもしない26歳。今から16年も前。
父の会社で働いていた時に父(=社長)から「だいすけ、内観に行ってきなさい。」
私が加工した製品が不良品が多く、心が仕事に向かっていない、ということでした。
確かに当時は、「辛い。こんなに辛いのはお父さんのせい」というものすごい攻撃のエネルギーだったんです。
内観とは、たたみ半畳に屏風を立てて一週間、7泊8日、ひたすら
①していただいたこと
②して返したこと
③ご迷惑をおかけしたこと
を母・父・祖父母・兄弟ひとりひとり・先生などに対して生まれてから今に至るまでずっと見つめていくものです。
年末年始の年越しを、たたみ半畳の中で過ごしました。
その時に、以前から知識ではあったのですが、内観の時に聞いて改めてグサリ!!と心に入り、心がけていることがあります。
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人間、死ぬ時に 走馬灯(そうまとう)のごとく 人生すべて、生まれてから死ぬ直前まで
体験したことを瞬間的に見ると言われています。
0歳で赤ちゃんとして生まれてから小学・中学・・・・、20代、30代、お母さんとのやりとり娘とのやりとり友達とのやりとり元恋人とのやりとり社長とのやりとり・・・
感情面を全部見て人生振り返る。
その時の感情が死に顔に現れるとも言います。
そして来世でやり残しをする。
反省したことを来世生かして恩返しをしていく。
人間、誰でもお亡くなりになります。
死ぬ時に一生を振り返るのであれば、まだ残りの人生があるうちに今までの人生を全部振り返り今後の人生の間に悔いのない、生き生きとした人生を生きてはどうでしょうか。
【内観】とは、『死と向き合って行うもの』です。
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それが内観の時に聞いたお話でした。
また、別の方のお話で、
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・今まで知らずに人を傷つけていた
・無明(むみょう。智慧を持ち合わせていない状態)だったが故にやってしまった過ち
この罪悪感に気付いた時ものすごい苦しむ
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ということも聞いています。
それ故に、智慧をつけていくことはすごく重要です。
例えば。「あの人の方が私にひどいことしているんだから私が謝れなくったって当然よ!」
と、「心の中で思いが沸くこと」「人に言って自分を正当化すること」そのような心理はあると思います。
私も、瞬間その思いが湧いていた時期は長くありました。
でも、これって私のエゴなんですね。
内観で、死ぬ瞬間の話を聞いてからは【『悪かったな・・・』と気付いた部分はちゃんと謝る】ことを意識しています。
そして、そのあとで、「こちらの気持ちもすごく辛かったんだよ」ということも伝えます。
『悪いことしたなぁ・・・。』と気付いたこと。
『でもお互い様よ!!』ということにはしない。
こちらはこちらでお詫びをした分、死ぬ瞬間に見る走馬灯は『よかった・・。』が増えてきます。
相手は関係ありません。
もしここで、『こちらが謝り、相手が謝らなかった』としても、それは『相手の方が走馬灯で何を見るのか』の問題だけです。
この走馬灯は、意識エネルギーが肉体から抜ける瞬間、起こってしまう現象なので逃れようがありません。
「お互い様よ!」
「あいつの方が全然ひどいことしてるし。」と、「相手からどれだけ ひどいことをされたか」は問題がなくて、「こちらがどれだけ日々周波数を高めているか」が「死ぬ瞬間に見る周波数」です。それがその人自身の周波数になってきます。
何度もお話ししますが、周波数とは、あなたの体内の分子・原子の電子雲の中に取り込まれている【フォトン】が発振している周波数です。
【死ぬ直前に全て見る】そして【死なない人はいない】ですよね。
脅しているわけでは全然なく、そういうもの、なんですね。
これも智慧の一つです。『いや、俺は絶対死なないから。』という人はいないと思います。
ここを判断基準にしてあげて日々の行動を変えていくと生き方に【覚悟】が備わってくると思います。
無明(むみょう)とは智慧のない状態です。
今、人々がどんどん智慧に気づいていくことが早急に求められています。
これが【目を醒ますこと】ということですね。
これが、26歳、私が内観研修所に行かせていただき、「人のせい」から「全ては自分発振」ということにガラリと変わった瞬間でした。
町で出会った見知らぬ老人に怒鳴っている若者。
酔った勢いで見知らぬ人に暴言を吐いている方。
旦那さんが奥さんへ、奥さんがお子さんへ感情のままに接して謝らずそのままの方もいらっしゃいます。
もちろん人間ゆえに瞬間沸騰はあるのでつい感情的になることもあります。
でも気付いたら謝るべきですね。
感情的に当り散らして怒鳴った本人はスッキリしているだけ。これは、とてももったいない生き方をされていると思います。
『無明』、なんですね。
この真理を知っていると、絶対できないと思います。
全て自分が蒔いた芽を自分が摘み取るので。
日々日々。
いい種を蒔いて いい芽を育てて行きましょうね。