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天然石についての私の考え方(1)

2018.01.13 07:55

表題の件について、二つの視点からお話ししようと思います。


二つの視点とは

パワーストーンとしての見方と、価値についての見方です。


いずれも、あくまで個人的見解です。

この作品を作っている人はこう考えているのだ、程度にとらえていただければと。


まず、パワーストーンとしては、あまり意識はしておりません。

でも、全くなにも気にしないわけでもありません。

石を購入後はいわゆる浄化作業というのは行うようにしています。


石のパワーは…なんでしょうね、あればラッキー、程度に考えています。


たとえば正月には神社へ行き、結婚式はチャペルで、葬式はきっとお坊様が呼ばれるのだろうけれど、それでも「自分は無宗教」と答える、典型的日本人タイプな考えです。


少し話が飛びますが、少女漫画で、「甕のぞきの色」という山岸凉子先生の作品があります。



私は山岸凉子先生の大ファンで、心をえぐられるような描写がいくつも教訓としてやきついているのですが、


この「甕のぞきの色」にも忘れられないシーンがあります。


この話のあらすじは、末期ガンと診断された主人公(若い男性)が、とある新興宗教組織に救いを求めて入っていき(半信半疑で)、そこで教祖の少女と触れあったり、不思議な体験をするという話なのですが…


くわしい話は脱線甚だしくなるので避けますが、結局のところ、その新興宗教は科学的にインチキと、証明されます。団体で売っていたガンなどの病気が治ると謳う奇跡の水が、科学的に普通の水であると分析されたのです。

ですが、ラスト、主人公は末期ガンではなくなります。


それは治癒ではなく最初から誤診だった、と医師に言われるという結末ですが…


主人公はガンでなくなり、落ち着いてふりかえって考えます。

科学的に水と証明されたけれど、だからといってそこになにもないといえるのか。

本当に自分はガンではなかったのか?


かの有名なルルドの泉でさえ成分的には普通の水であるとされている。


「甕のぞきの色」という日本古来の色がある。

甕の中の水にほんの少し藍を滴らし、その水で染める色。

甕のなかの水に色は見えない。

しかし、昔の人は、そのなかに色を見て名前をつけた。何て繊細な感覚だろう…。


実際の現在の「かめのぞき色」には色がありますね(^_^;)


ですがまあそれはおいといて、この話の肝は、人の目は見えないところにも色を見る、ということです。


パワーストーンとして、これこれこの石はこういう力があって、身に付けるとこういうパワーがあって、ということは私にはわかりません。


でも信じている人をどうこう、なんて絶対思わないです。

見えないもののちからを感じられるなんて、素晴らしいことです。


この「甕のぞきの色」の作品、商売っ気をだした教祖の両親が、最終的には団体をダメにしてしまいます。

ミステリアスな中性的魅力を持っていた教祖の少女も、普通の年相応の女の子になります。


元教祖の少女にとっては、それでよかったのだろうと主人公は思います。

この主人公に私も同意です。不思議な力はなくなってしまったけど、現実の社会でいきるたくましさを身に付けたようでしたから。


なにごとにもバランスで、

盲信もよくなく、ましてそれに頼りすぎたり、私利私欲に走るとろくなことは無い。

でも、見えないからといって真っ向から否定するのもどうだろう。

そんなの、もったいないんじゃない?


そんな感じのこの話を読んだ私なりの結論が、パワーストーンとしての天然石の見方ともぴったりなのです。


では、次回は天然石の価値の考え方についてです。