近代アジアの動乱6-太平天国の乱
2022.06.20 11:05
阿片戦争で揺らぐ清朝では、1851年から太平天国の乱が起きる、実はこの乱にはキリスト教が関わっている。中国で布教が許されたプロテスタントのパンフレット「観世良言」に頭目となる洪秀全が感化されたのだ。彼らは広西省に「拝上帝会」という新宗教を立ち上げた。
拝上帝会は、イエスの行った病気治癒を強調した現世利益的な宗教だった。当時は阿片戦争の出費をまかなうための増税で、貧民に不満が溜まっていた。彼らは土地の特権者などと衝突し、上帝のもとでは平等を掲げて「太平天国」を号して蜂起する。ここまで見ると欧州の宗教改革によく似ている。
当時は各地で匪賊が出没し、治安が悪化、清朝軍の士気は乱れている。それに対し太平天国軍は、宗教に基づき、民家からの略奪を許さなかった。また死後を信じているので、死も恐れない。53年1月に湖北省の省都の武昌を陥落させると、軍資金や武器が入手され、水陸軍を擁するまでになった。
53年3月19日、太平天国軍は南京の制圧に成功し、ここを天京と名すづけた。その後、北京をめざす北伐には失敗するが、江南方面に勢力を伸ばして南部に一定の領土を獲得し、政権を安定させ、清朝と対峙するようになる。中国は分裂したといってよい事態を迎える