6/29 蟹座新月〜月がつなぐもの
相変わらず右に寄りがちなチャートが続くけど、新月は10ハウス、MCを超えたところへ。
さっき、新月チャートの画像を探してドライブを開いたら5/23の魚座下弦の月というのが出てきて、「ん?今月の下弦の月も魚座だったのに!」と気づいてびっくり。
蠍座満月からの魚座下弦の月、間を空けて再び魚座下弦の月からの蟹座満月...水サインの月が続くバケツリレーみたいだと思った。言葉のセンス...さすがにタイトルは「もの」としたけど、バトンやタスキという「もの」よりやっぱり中身だけ移してくバケツリレーなのかも?
でもなぜかここ数日「素敵なバケツがほしいんだ!」と思っていたものだから、これもある意味でシンクロなんだわ。
素敵なバケツを探すこともいいけれど、探している間も日々は続いているから、中身の水(なのか何なのか)も常に流していかなければ濁ってしまうから。
満月は水が満たされた状態で、下弦の月は新月に新しいものを入れるために残った水を捨てようとしてる段階。
潔く捨てられたら新月からの流れもスムーズ。
果たして、捨てる覚悟はできたのか?
しかしこの頃、アセンダント天秤座によくお目にかかる...
それはまず私自身のネイタルがそうだからっていうのもある。
でも私のチャートと決定的に違ってくるのが天体の偏り。
私は西半球にほとんど天体がない。
捉え方次第ではあるけれど、私が今まで持ってなくってこれから身につけなきゃいけないことや、私にないものを持ってる人との交流を必要としてるタイミングってことを表しているよう。
アセンダント天秤座5度「心の内面の知恵を教える男」。
夏至前に一気読みした『三軒茶屋星座館』の主人公で店主の和真みたい。
そうそう、あとがきで解説されてたことがしっくりきすぎて手帳にメモしてたんだ。
人は物語に触れることで受動的に癒されるのではない。物語を利用して能動的に自らを癒すのだ。
さらには
むしろ聞き手の「誤解」や「誤読」によって成り立っているケースが多い。
ほんとうこの頃つくづく思うのが、人が言ってることと自分の受け取り方も違えば、そもそも合致することなんて有り得ないわけで。
それを1から10まで合わせようなんてしてると、小さな違いすら争いのもとになってしまったりもするのかもしれない。
知識だって自分や相手の役に立たなければ単なる一つのエピソードであって、それと違っても必要なものを選び取る知恵や行動をすることがよほど大事。
アタマデッカチは身を滅ぼすけど、
カンチガイは地球を救う、のかもしれない。
チャートルーラー金星があるのは双子座。
ここに水星もあるから、対話はキーワードになるんだろう。
だけど必ずしも心が通じ合わなくたっていい。
まぁ蟹座としては「共感」というのがテーマでもあるのだけど、
新月だし、その共感するテーマごと新しいものに差し替えていくような、新たな始まりの新月なのだ。
4ハウスの冥王星は相変わらず土台をゆらゆら揺さぶってる。
勢いのあった牡羊座火星も、揺さぶりをかけられながらも何とか次の牡牛座へ進んでいく。
ただ前に進んでくだけじゃなくて、いろんなものを持たされるようなのが牡牛座の時間なんだと思うけど、新しい自分に今まで通りの価値は通用しない、必要なのだけ選んでいくことができるだろうか。
出し惜しみもしないこと。
新月のサビアンシンボルは蟹座8°「服を着てパレードするうさぎたち」。
なんだか陽気なようなシュールなような。
これも『三軒茶屋星座館』にシンクロしてる...作中でサンバのパレード兼デモ行進のエピソードが出てくるのです。
陽気なサンバは、登場人物それぞれが抱える寂しさや哀しみを覆い隠すためのもの。
めっぽう明るく振る舞うパレードも、実は立ち退き反対のデモの意味が込められている。
新月には7ハウス牡羊座の木星がスクエア。「自分自身」の意識が強まるけれど、その意志を仲間と共有し実現していくのが、目指すテーマなのだ。
変に合わせようとしなくってもよくて、自分の気持ちの赴くまま進んでいったところで出会う仲間がいる。
大きな同じものを目指していくには、私自身の考えを変えることや対話を重ねることが必要だったりするのかもしれない。
頑固なプライドのような、いらないものを削ぎ落としていったうえで、ほんとうに理想とするものが見えてくる。
MC蟹座5°は「列車に破壊された自動車」。
個人のエゴのようなものは、もっと大きな集団によって容易く破壊されてしまう。
まぁ私のフォールの蟹座火星はなかなかしぶといんだけど、個人という小さな枠に収まっていないで、この世界をもっと楽しもうよということ。
ただし「自分」を意識すること。
「世界」の中の「自分」という視点で、自分を、相手を理解しようと努めること。
そうしていったなら、おもしろいように世界が変わっていきそうな気がしてならない。