デルセナ・ジョンソン(シャーマン・スミス・バビット)
ジョセフ・スミスの14番目の妻
2人の夫と多くの子供を亡くした。その後ジョセフと結婚した。ところが、後に初めの夫ライマン・シャーマンと永遠の結婚をした。彼女の記録はあまり残っていない。ジョセフの死後、バビットと結婚するが、彼は教会に反対してはディスフェローシップされ、又戻ってくるの繰り返しだった。彼は他にも妻がいたし、仕事で忙しかったので、デルセナとはほとんど一緒に住まなかった。デルセナは47歳で他界した。
生い立ち
●1806年11月19日生まれ。
●父エゼキエルは農家で大工だった。母はジュリア。
●16人兄弟の4番目で、多くが熱心なモルモンになった。
●家畜を飼い、自給自足の暮らしをし、家族はとても仲が良かった。母のジュリアは信心深く、子供たちをプレスビタリアン教会へ毎週連れて行った。
父エゼキエルはっ神を信じてはいたが、宗教組織を信用してはいなかった。とても立派な人格者だった。
しかし、仕事のストレスから父は酒におぼれるようになり、教会へも決して行かなかった。彼は親がきちんと結婚して生まれた子供ではなかったため、妻の教会が彼を受け入れてくれなかったことから宗教全般に対して不信感を抱いていた。
ライマンとの結婚とモルモンへの改宗
●1829年1月16日、22歳でライマン・シャーマン(24歳)と結婚した。
●1831年~33年頃にバプテスマを受けた。ブラックンベリー兄弟の力強い証を聞いて、感化されたから。モルモン書も読み、母のジュリアや兄たちと共に信じた。このブラックンベリー兄弟は後に伝道中にジョンソン家で死亡する。彼の妻、エリザベスはジョセフ・スミスの12番目の妻だった。
しかし、デルセナの父親のエゼキエルはモルモン教会に反対していた。
●夫ライマンは教会の重要な地位に就いた。
両親の離婚と夫ライマンとの死別
●父と母は宗教の違いと父のアルコール中毒の為、離婚した。
●1839年2月、夫ライマンが死んだ。6人の子供を残して。
予言者との結婚
●1842年7月の前にジョセフ・スミスと結婚。ジョセフとはこの世の結婚をした。
ルイーザ・ビーマンと住んでいた。ジョセフが経済的に援助していたのは明らかだ。兄のベンジャミンがそう書いている。
バビットとの結婚
●1846年1月24日、ライマン・シャーマンと永遠の結婚をした。代理人として立っていたのがアーモン・バビット。ヒーバー・C・キンボールが執り行った。
●その後、バビットとこの世だけの結婚をした。
●同じ日に、バビットはジュリア・ジョンソンとメリー・タリーとマリア・ローレンスと結婚した。
●夫アーモン・バビットはカナダで伝道した。弁護士だった。
ジョセフ・スミスを批判したり、カートランドこそがモルモンの集合場所だと教えたり、オルソン・ハイドとけんかしたりしてディスフェローシップされては、又、戻ってきての繰り返し。
●アーモン・バビットとデルセナはあんまり一緒に住まなかった。
●1854年10月21日、47歳で死亡。6人のうち4人子供を亡くした。2人の夫に先立たれ、3番目の夫の家で死亡。
私の感想
たくさんの子供たちと初めの夫を亡くしてかわいそう。最後の夫とは一緒に過ごさなかったようなので、とてもかわいそうです。夫のバビットは何度も教会に反抗してたんですね。