【京橋②】八丁堀北紺屋町
2018.01.14 08:49
町名:八丁堀北紺屋町
読み方:はっちょうぼりきたこんやちょう Hatcōbori-Kita-Konyachō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「八丁堀」
後身:八丁堀仲町
現町名:中央区八丁堀二丁目
概要:「はっちょうぼりきたこうやちょう」ともいう。北紺屋町の名称は京橋・芝口等に見られるが、八丁堀北紺屋町も京橋の北紺屋町の代地の1つ。江戸初期、「八丁堀」と俗称される一帯は寺社地。寛永年間(1624~1645年)、下谷・浅草(ともに台東区)方面へ寺院を移転させ、武家地・町奉行組与力屋敷となったが、享保年間(1716~1735年)に京橋の北紺屋町の代地となった(画報・府志料)。町内は「わらかし道明横町」と俗称されていた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、隣接の町とともに八丁堀仲町に編入となり消滅。現行の八丁堀二丁目のうち。
撮影場所:八丁堀北紺屋町