Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ヒルティ喫茶:虹息

神や霊は感じることができませんとは誰が言ったのですか?

2019.02.12 13:45

神や霊は感じることができません。

私はかばってくれるひとや守ってくれる人がいる人がうらやましいです。

一人は辛いときがあります。寂しいです。 


.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:



神や霊は感じることができませんとは誰が言ったのですか? 

神や霊は感じることができませんと何故決めつけるのですか? 


リーズ・ハウェルズという人の話を思い出します。 

炭鉱の重労働を終えて家に夕食を食べに帰ったあと、 また炭鉱の労働者たちに今度は伝道のために出かけていくリーズ・ハウェルズに向かって、 リーズの父親が、

「わしは100万ドル出されても、おまえのような大変なことはしないぞ」

と言ったのに対して、 リーズは答えたのでした。

「わたしだって100万ドルぽっちなら、こんなことしませんよ」  


今日のブログの文章は1年以上下書きのままだったのですが、今日、なんとなくアップする気持ちになって、長らく絶版となっている『祈りの人 リーズ・ハウェルズ』の画像だけでもと検索してみたら、‥なんと、Amazonで古本で出ていました!!!


日々、神の慰めと平安を得ていなかったら、いま私はこの世にいません。 

ある若者が

「神がいるのなら証明してください」

と金井為一郎という牧師に喰ってかかったとき、金井牧師は一言、

 「祈ればわかる」

と言い切りました。 

聖書にも

「一心に私を求める者に私は必ず見いだされる」

とあります。 

他に、もうすがるところがなくて、これがだめだったら死ぬしかないと私はそこに賭けました。 

そうしたら、本当にそのとおりだったのです。 


それからの私は、辛いことがあっても人に頼りに行かなくなりました。 

親友のように私のことを思ってくれている友から 

「そんなに大変な状況だったのにどうして俺に言ってくれなかったんだ!」

と怒られたことがあります。 

滅相もない!そんな大変な状況は神以外のどこに行って平安を得るのでしょう。 

どんなに善意の友であっても、どんな権力や富を持った知人がいたとしても、そこで得られたと感じる慰めや守りは幻想でかりそめです。 

「汝鼻より息する人間に頼ることを止めよ。これに何の値打ちがあるか」

との聖書の言葉はまったく真実です。 そして、

「私に来る者に私の平安を与える」

との聖書の言葉もそれと優るとも劣らぬ真実です。  


私はつらいとき、苦しい時、悩めるとき、いつも一人になります。 一人になるときが一番平安を得られ、一番こころ満たされます。心鎮めて待っていると天からのものが作用してくるからです。 

日々の生活ではすぐに一人になれないことも多いので、その間は

「主よ助けてください、主よ助けてください」

と繰り返し祈り続けます(射祷といいます)。 


一人になれれば、主の前に静まり、自分の荒れ狂う心をそこに置き、主が治めてくださるのを待ちます(念祷といいます)。 そして、平安が来ます。

そして、この平安はこの世のどんな人間からも、この世のどんな慰みからも得られない、確固として揺るがない、充満した平安です。 


神や霊は感じることができない、だれが言ったんですか。 

それなら私や、私の前に主にすがって平安を受けた者たちはなんなのですか。 

私はもう、そこにしかすがるところがなくて、ひたすらそこに賭けました。 

お金も要りません、 今あるやるせなさや恨みや投げやりや自己卑下や淋しさや満たされなさや希求を 

向ける方向を天にするだけです。 

お寺や神社に行く必要もない、クリスチャンになる必要もない、 

全てのものの責任者にその今のこころの波風や空虚の責任を問うのです、 

あなたがつくったのなら、あなたがどうにかしろ

と。

あなたも当時の私に負けないくらい、すがるところがない状況ではないのですか。 ないのは信仰ではなく、あきらめの悪さです。 どうして試さない、そんなに淋しくて、辛くて、どこにも助けがないのに。 

他に何か引き出せるようなところ、打って返ってくるようなところがあるんですか。 

ひたすら、向けられる時間をそれに向けるのです。 

他にあてがあるのならふらふらしなさい。 他にあてがないのなら、これにかけてください、 あてがないのなら幸いです、それにかけ続けるしかないから。 


「私に来る者を私は決して棄てません。」 


「心を尽くして主を求めよ。」 


「 わたしの目には、あなたは高価で尊い。

  わたしはあなたを愛している。

  わたしのもとに居なさい。」 


こんなに確かなもの、永続する知覚を味わったら、 世界中の人が否定して自分一人だけであっても、これは“ある”とそこに立ちますよ。



詩編27編


主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。

主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。  

わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、襲ってきて、

わたしをそしり、わたしを攻めるとき、彼らはつまずき倒れるであろう。  

たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。

たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。  


わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。

わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、

その宮で尋ねきわめることを。  

それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、

その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。  

今わたしのこうべはわたしをめぐる敵の上に高くあげられる。

それゆえ、わたしは主の幕屋で喜びの声をあげて、いけにえをささげ、

歌って、主をほめたたえるであろう。 


主よ、わたしが声をあげて呼ばわるとき、

聞いて、わたしをあわれみ、わたしに答えてください。 

あなたは仰せられました、「わが顔をたずね求めよ」と。

あなたにむかって、わたしの心は言います、

「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」と。  

み顔をわたしに隠さないでください。

怒ってあなたのしもべを退けないでください。

あなたはわたしの助けです。

わが救の神よ、わたしを追い出し、わたしを捨てないでください。  

たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。  


主よ、あなたの道をわたしに教え、わたしのあだのゆえに、

わたしを平らかな道に導いてください。 

わたしのあだの望むがままに、わたしを引き渡さないでください。

偽りのあかしをする者がわたしに逆らって起り、暴言を吐くからです。  

わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。  

主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。