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石川県人 心の旅 by 石田寛人

笙の音

2022.06.24 04:48

 今月4日に行われた今年の封国祭と百万石まつりは、絶好の日和に恵まれ、多くの人が3年ぶりの大きな祭事を楽しんだ。我が石川県人会もこれに合わせて約70人が郷土訪問旅行を行い、河口洋徳事業委員長や本田ゆり子さんの御尽力で充実した時間を過ごすことができた。この日の朝、一行は尾山神社の拝殿に上り、加藤治樹宮司以下の神職による厳粛な儀式に参列した。私は桃色がかった淡い橙色の装束を付けた楽人達の笙の音にひときわ感慨を覚えた。笙の音は独特である。字にすると「フギャー」とでもなるのだろうか。この音から、神様の厳かさと神社の清々しさが、辺りの空間いっぱいに広がるように感じられる。

 この笙の音を聴いて、佐竹本三十六歌仙絵巻の中の住吉大明神の御歌「夜や寒き 衣や薄き かたそぎの ゆきあはぬ間より 霜や置くらん」の一首が脳裡に浮かんだ。この絵巻には、36人の歌人に加えてこの神様の一首が含まれており、「今夜はとても冷えているのだろうか、着ている衣が薄いのだろうか。寒いことだ。屋根の千木の交わる隙間から雪が吹き込んで霜のようになっていることだろう。」という意味と思われる。これは、神職が神社の窮状を訴え、神様が寒さを凌げるように寄進してほしいと詠んだ一首のようでもある。しかし、それよりも、本来「神性」は、寒さ厳しさ、そして若干の淋しさのうちにあり、それで、神様は人々の祈りを受けて願いを聞き、喜びと幸せを届けられるということを、このような詠み口で表わしているように思えてならない。

 チェコに勤務中に、プラハ古城の近辺で東儀秀樹さんの笙を聴いた時、そのすばらしい音色に、西洋建築の中に我が国の伝統的雰囲気が広がるような気がした。近くは、舞踊家の藤間信乃輔さんや二十五弦箏演奏者で作曲家の中井智也さんと共演された笙演奏家豊剛秋さんの「KaTaCHI」の舞台で、笙による表現の面白さに感激した。

 私自身は、楽器も全く不調法で、お祭りの子供獅子の笛にも悪戦苦闘したが、我が親戚には何と音楽家がいたのだった。それは加賀市に住んでいた私の大叔父で、曾祖母の弟。家に来ては私にチョッカイをかけて可愛がってくれた。この大叔父は、笛も太鼓も上手だったが、特に笙を得手としていて、晩年は、春祭り、秋祭りに各神社から声がかかり、神前で太鼓を打ち、笙を吹いた。一応、神主装束らしきものを持っていたようだが、神職の資格があるはずはなかったので、臨時の楽人として、神社を渡り歩いていたと思われる。家に居るときは、上がりがまちに続く囲炉裏の側でゴロゴロしている感じだったが、笙は湿ってくると音が出なくなるので、頻繁に乾かす必要があり、囲炉裏の横にいたのも、笙の稽古のためだったかもしれない。演奏家としての収入がどのくらいか、知るよしもなかったが、昼は神社から提供される弁当を食べ、夕食は経木のオリに白御飯か赤飯を詰めて貰って自宅に持ち帰り、大好物の海苔の佃煮をつけて食べていたようだ。その大叔父が体調をくずして入院したので見舞いに行ったら、病床では思うことができないと不満そうで、海苔の佃煮の瓶詰を買ってこいと百円札を渡された。私はすぐ売店に行こうとしたが、塩辛い佃煮は病気に極めて良くないと、看護婦さんに止められてしまった。ほどなく、大叔父は他界したので、あの時病勢は相当亢進していた筈だけれども、ままよと佃煮を買って来るべきではなかったかという思いが残った。あれから数十年。今朝も瓶詰の佃煮を食べたら、あの病室の場面が蘇ってきた。しかし、大叔父の真の願いは、病院を抜け出して、思う存分笙を吹くことだったとも思えてならないのである。(2022年6月18日記)