映画『PLAN75』
映画『PLAN75』
監督:早川千絵
出演:倍賞千恵子/
磯村勇斗/たかお鷹/
河合優美/ステファニー・アリアン/
大方斐紗子/
串田和美
近未来のようで、むしろ近未来と言う方が遠く感じるような。
『75』の部分がボヤけた題名。
ゾ、とするようなリアルさは、細かい部分の作り込みによって伝わる。
遺品の中に多かった数珠。
持つよね。
この時だからこそ、持つよね。
ポスターのキャッチコピー。
“国”と“未来”が、“国のために命を尽くすお国柄”に繋がって怖すぎた。
きっとその世代だから響くのかもしれないし、悪用しているようにも感じて胸くそ悪いくらい。笑)
拭く、という仕草。
様々な物を拭く、その人の性格。
自分で片付けられる、片付けたいのだろうか。
自分のことは自分で。
できるし、せねばならない。
1人になって長い時を感じ、だから人のお世話にはなりたくない。
思わず受け取ってしまったお椀と、直後の表情。
そして後の展開にハッした。
別の作品かと思うほどに戸惑った冒頭から、
着想を得たという事件が浮かぶ、モノローグが物語の初めを強く、しかと語る。
多くを語らずも、倍賞千恵子さんの表情や姿勢、映像でわかる。
つい、
「本当に実現されたら、」
と考えてしまうし、今後…というか老後のこと、親や親戚のこと、先日会った際に母が口にした散骨のこと。
身近な、自分周囲のリアルな点に頭を回してしまいがちになる。
でも最後にかけてのシーンで、
例え社会から“必要がない”とされたとて、
誰かは誰かにとって必要とされる存在であるのだと。
無責任かもしれないけど、どこかで生きていて欲しい人になる。
出会って相手に生まれる“情”が、どれほど人間らしい感情なのか、
感情を持つ生物だから故の出来事に思えて、とても尊かった。
「また、明日 会いましょう」
『りんごの木の下で』の歌詞が響く。
生きていれば明日があり、陽が昇るのも沈むのもあり、誰かに会える、かもしれない。
また、
と
明日、
会いましょう、
全部、生きていたら叶うこと。
思わず太陽に手をかざしたくなった。
手を陽にかざすと赤く透けるよね。
家を出る朝に布団の中でかざしたのも、そういった意味があったのかな。
横顔や後ろ姿を多く感じた。
目は人物と同じ視線、情景を、観客も見ることになる。
目だけではなく、耳に入る情報もかなり鋭利だった。
普段の生活で聞こえてくる、何気ない人の声らが度々、耳と心をジワリと刺す。
音からの情報の鋭さ。
映画館の環境あってこそ、さりげない演出がとても効いている体感だった。
そして目が離せないヒロイン。
倍賞千恵子さんは、どこまで邦画史に名前を刻まれるのでしょうか…。
『男はつらいよ』をリアルタイムで観て来た母世代や好きな人は、この倍賞さんを観て想うものが多々あるのだと思う。
それは複雑かもしれないし、だからこそ、キャスティングの妙というのだろうな。
今も観たい、もっと観たい、倍賞千恵子さん映画。
そして、最近「誰からも必要とされていないんじゃないか」と(今も将来を見据えても)不安になっていたのが、年齢が違えど、ほんの少し和らいだ。
不安から、失敗してしまった過去が頭をぐるぐるして、ちょっとしょんぼりしてたけど←
人間って、1番いい選択を知らず知らずしてるんですって。
『世にも奇妙な物語』のタモリさんが言ってたんですって。
救われる〜ぅ。単純)
客席は『峠 最後のサムライ』より年齢層が高く、ほぼ満席だった。
母の感想も聞いてみたい。
映画館でポスター撮るの忘れちゃった。